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「……出た」

 乱太郎によるところの学園最強モテ男、齋藤タカ丸。それがいないとはつまり

「置いてきたの? 久々知くん」
「あそこの豆腐屋はすごく美味しくて、早く行かないと売り切れてしまいます。だから間に合うように来てください、って言ったのに」
「つまり意図的に置いてきたんじゃない。間に合わなかったらって」

 普段はずいぶん優秀らしいが、豆腐が関わるととことん駄目な男である。

「ですが何の策もなく置いてきたわけじゃありません。タカ丸さんは4年生だし元々髪結だから、町にも問題なく来れるだろうと踏んだんです」
「……物は言いようってことね」
「先見の明があると言ってください」
「まだ齋藤くんと合流できたわけじゃないのに明があるなんていえないわよ」

 すると伊助が変だ、と顔をしかめた。

「タカ丸さんを齋藤くん、っていうのは変だ……」
「あ、そう?」
「確かに齋藤くんと呼ぶのは天、じゃない名前さんだけなんじゃないかと」
「池田くんまでそういうなら、タカ丸さんと呼ぶことにするよ」

 それにしても、とまた歩き出した久々知の後ろで名前は首を傾げる。

「4年生なんでしょ? 何で久々知くんはわざわざ『タカ丸さん』って呼んでるの? 滝のこととか呼び捨てなのに」
「タカ丸さんは町で髪結をしてらしたから、俺より一つ上なんです」
「ふーん……4年生にいるのは実力を加味して、ってこと?」
「身も蓋もありませんが、そういうことですね」

 ますます6年に入れられた当初の目的は監視だと思われるぞ、と思いつつ「なるほど」と名前は頷いてみせた。

「けど髪結の実力は確かです……多分」
「多分?」
「だってタカ丸さん、変な髪型にするんですもん」

 こんなのとかこんなのとか、と伊助が再現して見せてくれるが

「鯨とか、一体どうやって」
「それは……ほら、頼んでみたらどうでしょうか」

 後ろを振り返り、その場に崩れ落ちた男を確認する。そんなことができそうにないほどフラフラだが「大丈夫?」名前が声をかけると力なく笑った。

「こんなに進んでると思いませんでしたぁ」
「まぁすごい早足だからね……本当、久々知くんの豆腐にかける情熱には恐れ入る」
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてないわよ」

 むしろどうして褒められていると思ったのか。

「あ、あの、申し遅れましたが僕は齋藤タカ丸です」

 息を整えスッと背すじを伸ばした齋藤は、確かに平や綾部と比べるとかなり大きい。

「どうも、苗字名前です。ずいぶん奇抜な髪なのね」
「はは……似合いますか?」
「いや、似合うけど」

 なんでこんなにビクビクされてるんだ。名前は小首を捻ったが、齋藤は目を見ようともしない。そのまま前を歩き続け、と思えば唐突に「僕、やっぱり聞きたいことがあるんです」と名前を振り返った。

「……何、すごく真剣な顔してるけど」
「名前さんを天女様と呼ぶと、祟られるというのは本当ですか?」
「え?」

 それは嘘よ、と言いかけて閉口する。たしかに最近「天女様」と呼ばれることがめっきりなくなったと思ったが、噂のおかげなら否定することもない。

「まぁ、そういうこともあるかもねっていう」
「ええ!」
「だって本当の天女様が、私ごときを天女と呼んでるのを見たらどう思う? 腹立たしいから呼んでる奴を祟るに決まってるじゃない。
 でも怖がらなくて大丈夫よ、つまり私のこと天女様って呼ばなきゃ良いだけだもん」
「そっかぁ」

 安心したように笑った齋藤は、さっきまでが嘘のように「ねぇねぇ名前さん」と未来で流行りの髪型のことやらケア方法について聞いてきた。なんだ怖がっていただけか、とそれを適当にいなしながら

「……どこからその噂が生まれたか、気になりますか?」

 いつの間にやら右隣に立っていた久々知の囁きに首肯を返した。

「理由、知ってるの?」
「おそらく。図書室で、羽衣天女の話をしたでしょう」
「なるほど!」

 たしかに自分を天女と扱うなよ、と思いながら話はしたが。伝わっていくうちに尾鰭背鰭がついてずいぶん怖い話になってしまっているようだ。
 まぁこれで天女様と呼ばれないなら万事オッケー、ということで

「ねぇ久々知くん、豆腐屋はどの辺?」
「簪売りの隣です」
「つまり先輩……ここ、ですよね」

 言下久々知はうわぁああと地面に膝をついた。

「売り切れてる! こんなに早くきたのに」
「すまねぇなあ、最近……変な奴らがこの町のもの買い占めててよ」
「あっ飛白の旦那!」

 かすりの旦那、と名前はお店を見上げる。この暖簾、たしかに飛白模様なうえどことなく

「……豆腐っぽいわね」
「そりゃあもちろん、ここは豆腐屋ですから。ところで旦那、買い占め、ですか?」
「あぁ。しかもかなり値切られちまってよ、この辺じゃあ商いが成り立たねぇってんでみんな怒ってらあ」
「そのお話、少し聞かせていただきたいですね。豆腐をそんなに粗末に扱うなんて、許せません」
「おう、兄ちゃんならそう言ってくれるって思ったよ! 入れ入れ、あんまり豆腐が無駄にされっからな、最近は奴らが好まねえ甘味を作り始めたんだ」

  言いつつ旦那はさっさと厨房で何かを作り上げていく。待ち切れないのかソワソワ体を動かす伊助たちとは対照的に、向かいに座った久々知の表情はどこか固い。せっかく豆腐屋にいるというのに
 これ、豆腐云々は口実で何かがおかしいんじゃないの
 声には出さず呟き名前はじっとテーブルを見つめた。すると

「ん、なんだこの傷……土里草威、女をひとつ失えば家臣を得、これすなわち金となる……?」
「どうしたんです?」
「いや、ここに」
「へいお待ちぃ!」

 ドンと置かれた皿にすっかり隠されてしまった。

「……なんでもないよ」
「これはなんですか?」
「坊主、こりゃ豆餅ってんだ。初めて見たろう?」
「けどこれ、豆が入っていませんね」
「おうよ、金髪の兄ちゃん。こりゃ普通の豆餅と味がちげーんだ。つべこべ言わずに食べてみろ!」

 ふむ、と言われるがまま名前はその餅を口に入れ

「あぁ、豆乳を餅の生地に入れて、餡子を挟んで……うん、甘くて美味しい」

 旦那は機嫌が良くなったのか声を立てて笑った。

「そうだろう、そうだろう」
「こんな美味しいもの、初めて食べました!」
「ったりめーだろ坊主、ワシが作ったんだから」

 これは世に言うミルクもちの豆乳版だ、おそらく。少ない材料で出来る上に喉越しも良く、夏にはもってこいだがこの時代の相場が気になる。

「でもアイツらはこんなのはいらねーっつったんだよ、豆腐は全部買い占めたくせによ」
「全部ですか!?」