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「そんな!」
「それがもし鉢屋先輩と付き合う、とかだったら……」
「お断りだ」
「こっちから願い下げよ」
「じゃあ僕、名前さんが鉢屋先輩と恋仲になるのが目的であることを祈っておきます」
「うーん……俺はそもそも、名前ちゃんの言っている前提────目的を達成すれば成仏できる、というのが間違っているんじゃないかと思うけど」

 え、と名前は目を瞬いた。

「どうして」
「名前ちゃんの言っていることが正しければ、どうして今までの天女たちは成仏できなかったんだ?」
「……そうだな。一度は私たちと恋仲になっているのに」

 は、と名前は息を飲み「……でも、あの団子屋の天女は接吻して早々成仏したんでしょう?」自然と硬い声になった。向かいの鉢屋はしばし考え込んだが

「……分からん。考えたこともなかったからな」

 肩を竦めて苦笑する。

「術を使ったから、ということはありませんか?」
「だが彦四郎も見てただろう? あの団子屋の主人の様子も相当おかしかったぞ。天女が術を使ったとしか思えん」
「よし、これはやっぱり俺たちも、詳細記録を見てみようか!」

 え、いいのよ放っておいてくれて、と名前は慌てて首を振ったが「俺たちも気になるから」と尾浜はニッコリ笑うだけだ。

「ま、名前ちゃんも大船に乗ったつもりで! まずは景気づけに、学園長先生からいただいたこの饅頭を食べよう!」

 どうせくすねたんでしょう。そう突っ込む代わりに「新しくお茶を入れるわね」と名前は席を立った。




 自分たちの部屋で、彦四郎は虫取りから帰ってこない一平を正座して待ち続けた。
 頭の中ではずっと小藍と名前が戦っている。ドクタケだけじゃなく、“大川孤児院”のことをしつこく聞きたがる小藍、もしかしたら先輩を誑かしているかもしれない名前。「若様を救い出すために!」と小藍が声高に叫ぶと、すぐさま「嘘つけ、忍術学園の情報が欲しいだけだろう。私はただ、ここで生きているだけなんだ!」と名前が反駁する。そうしてまた「……嘘だ。ただ先輩からの関心が欲しいだけのくせに」と小藍が囁いて振り出しに戻った。

「……いつ戻ってくるんだろう……やっぱり、話すのやめようかな」
「……彦四郎?」
「あっ一平!あ……」

 「……おかえり」と呟いてから言葉が続かない。つい足元に視線を落とし

「……あの」
「彦四郎、僕ご飯食べてきてもいい?」
「あ、う、うん!」
「帰ってきたら話を聞くからさ。それまでに気持ち、決めておいてよ」

 パタンと閉じられた障子の奥で、彦四郎は一平の言葉を反芻した。
 ……気持ちを決めておけ、なんて簡単に言うよなぁ
 今から自分が話そうとしていることは、確実に一平や伝七たちを怒らせるのに。それを話すにはもう、決意を固めるよりも、勢いのまま喋ってしまう方がいいように思われた。それほど

「……思い詰めてるの?」
「うん……」

 結局一平が帰ってくるまでの四半刻、もんどりうっているうちに過ぎてしまった。

「馬鹿だなぁ。僕、彦四郎がなに話したいか分かっているよ。天女のことだろう?」
「う、うん」
「僕もね、実は……あの人、先輩たちをたぶらかすつもりなんてないって思ってるんだ」

 彦四郎はガバリと顔を上げた。

「生物委員会のときから思ってたんだ、本当は」

 どうして、と思わず食い気味に聞くとおかしそうに一平は笑う。

「あの人が、虎若が落とした照星さんからのお守りを拾うために、あのくっさーい汚泥に手を突っ込んだから」
「えええ! もしかして鶏小屋のそばの? 信じられない……」
「僕もびっくりしちゃった。しかもそのとき、天女も僕たちも擦り傷だらけで医務室に行くことになってたんだよ?
 伊作先輩にも、竹谷先輩にも会うのにあのくっさーい臭いを体につけてもへっちゃらなんだもん。
 僕たち1年と一緒にいる時のくノたまみたい。まるで興味ない!って感じ」

 とうとう声を立てて笑い始めた一平につられて彦四郎も吹き出した。例え腕だけだとしても相当臭かっただろうその姿は、想像するだにおかしい。

「それで彦四郎は、なにを言おうと思ってたの?」
「その、もちろん名前さんのことではあるんだけど」

 どこから話せばいいんだろう。改めて聞かれるとどう切り出せばいいか分からず、散々迷った挙句

「……今日の学級委員長委員会で、天女……成仏するつもりだ、って言ってた」
「つまり?」
「先輩方と恋仲になりたい人は、成仏なんてしたがらないと思うんだ。今までの天女は、いつも最後に死にたくないと言ってたじゃないか」
「あの人は先輩たちが好きじゃないのかもしれない、ってこと?」
「うん……だから、 僕は正直、天女と小藍さんなら小藍さんの方が危険じゃないかって思うんだ」

 ぐっと拳を握りしめ俯いた彦四郎の頭上から、え、突然?と戸惑う一平の声が聞こえる。
 やっぱりこれを話すのはまだ早いかも
 そう思うのに、話し始めた口は止まらなくなっていた。

「だってやっぱりおかしい、なんであの人はあんなに……忍術学園のことを知りたがるんだ?」
「彦四郎、」
「最初は楽しくて聞いてるのかな、って思った。だけど大川孤児院にいる友達の話や大人の話、あんなに聞きたがるのか?」
「それは……」
「大川孤児院の配置図がどうして必要なんだ? ドクタケのことを知るのに関係ないだろう? もしかしてあの人は」

 忍術学園を狙ってるんじゃないのか!?
 叫んで肩で息をする。敢えて無視しようとしていたこと、しかし一度声に出すとそれが事実だと思われた。