75


「一平のバカ! だったらどうして小藍さんはあんなに悲しそうな表情をしていたんだ!?」
「忍者だからそれぐらいのこと、簡単に出来る!」

 言下「しっかりしろ!」左吉に飛びかかられ彦四郎は床に背中を打ちつけた。

「だったらシメジ城なんて名前のはずがない。彦四郎は天女の術にかかっているだけだ、目を覚ませ!」
「私多分、その術使えないと思うの」

 一瞬にして部屋が静まり返る。一平も伝七も、彦四郎を抑えていた左吉さえも部屋の入り口を振り返り

「……名前さん」

 茫然と彦四郎は呟いた。

「なんでその術が使えないって言えるんですか」
「今までに誰1人として、途中から術をかけた天女なんていないから」
「でも絶対ないとは言い切れません」
「そうね、黒門くん。でももっと、ありえないことがあるのよ。
 ……小藍さん、彼がシメジ城の小姓だなんてことは絶対にありえない」

 え、と呟いたのは誰だったのか。

「小藍さんがいたのはカキシメジ城よ」
「……どうして分かったんですか?」
「それを説明するために、あなた達と対面で話したいんだけど。中に入れるのが嫌だったら……どう、私は縁側で喋るから、出てきてくれない?」

 左吉と伝七はグッと地面を見つめたが「行こう!」と彦四郎が言うと何も言わずに立ち上がった。ガラリと障子を開けると、地面にあぐらをかく名前がどーもー、と片手をあげた。

「汚れますよ?」
「良いのよ。ここに来るまでの間に、塹壕掘ってた小平太から土かけられたから」

 ここまで来ると災害よ。ひとりごちて大きくため息をついた名前に彦四郎と一平は思わず笑った。「いたのか! すまんすまん」と言っている七松の姿まで想像できる。

「そんなことより、どうして小藍さんがカキシメジ城の人だとおっしゃるんですか」
「この手紙、見せてもらったんだけどね」

 あっと息を飲んだ左吉にジトリと睨めつけられ、彦四郎は亀のように首を竦めた。

「ここ、署名のところになんて書いてある?」
「……いと悲しうしほたれて 木の上に燃ゆるほのおの一つ消えたるシメジ城より、ですが。これは小藍さんたちが若様を連れ去られた悲しみから作られた、彼らだけの署名なんです」

 侮辱しないでくださいと眉を顰めた左吉に名前は「ごめん」と優しく笑う。

「でも、そうやって騙したならなおのこと最低だ」
「騙した?」
「ええ。ねえ、木の上に燃ゆるほのお、って漢字で書き表してみて」

 木の枝を渡された左吉は渋々と言った体で立ち上がると、地面に「木」と、その上に「炎」を書いた。そして

「さあ。炎から火をひとつ消したらどうなる」

 火木シメジ城。つまり──────『カキ』シメジ城。

「図鑑で調べたら、カキシメジは毒キノコだったわ」

 名前は「ああ、これも泥だらけ……」と嘆きながら栞が挟んであるページを開き「……ね」と小首を傾げた。

「大丈夫、潮江も立花も、絶対に怒らないよ。行きましょう、6年長屋に」


 彦四郎たちは名前の背に隠れビクビクしながら6年長屋に向かったが、6年生たちは怒るどころか優しい笑顔で迎えてくれた。名前の言った通りだ。

「……そっか。よく話してくれたね」
「今まで黙っててごめんなさい、伊作先輩」
「まさかとは思うが、名前はこのことを知っていたのか?」
「ごめーん。こんなに重大な話だと思わなくて」

 「お前は!」と潮江に思い切り拳骨を喰らった名前だったが、それでも「イテッ」というだけで頑として彦四郎から口止めされていたとは言わなかった。「本当に名前は、あの曲者のときからそうだが危機管理を」と食満からも怒られているのを見ているうちに、彦四郎は自然と息が上がっていた。
 だめだ、違う、名前さんは悪くないのに

「ごめんなさい!」

 叫ぶと勢いよく涙が溢れた。嗚咽がひっきりなしに続き、視界が歪みわんわんと耳元で音が鳴る。

「僕、僕は名前さんを騙していたんです! 名前さんが術を使っているのかな、と思っていました。だから本当はただ町を歩いていたんじゃなくて、名前さんを忍術学園から追い出そうと思って、それに協力してくれる人を探してたんです。名前さんが術を使っていないかもしれない、と思っても信じられなくて、それで」
「落ち着いて、今福くん」

 頭を撫でる、涙の奥から見つめた名前はいつもと変わらない。

「そんなこと、私だけじゃなくて潮江も立花も、鉢屋も勘ちゃんも竹谷だって知ってた。でもその気持ちはよく分かるから、誰も何も言わなかっただけだよ。
 大丈夫、怒ってないよ。むしろ、話してくれてありがとうね」

 ふわりと優しく抱きしめられ、彦四郎は名前に縋り付いた。わぁわぁと声を上げる背中、それをポンポンと優しく叩かれどうしてか郷里の母を思い出し────ふっと体から力が抜けた。




「しかしまぁ、1週間に2度も気を失った彦四郎を抱きとめるなんて……可愛い、一年生」
「お前のそのニヤケ面は可愛くねえがな」
「食満は本当にうるさいわね」

 名前はべえっと舌を出すと目の前のみたらし団子を口に入れた。

「よく出来た子たちでしょ、学級委員会の後輩たちは。なんとか他の子を庇おうとする彦四郎、差し入れを持ってくる鉢屋と勘ちゃん」
「町で情報を集める実習とはいえ、仮にも任務帰りにこう言うものを買ってくるのはどうかと思うがな」
「潮江、文句言うなら食べちゃダメよ。もともと私一人用なんだから」
「多くないかい?」
「勘ちゃんは私がどんどん痩せているのを気にしているらしいの。何日も部屋の中にいたあの時が太ってただけなんだけど」

 そりゃこんだけ運動量が増えれば痩せるわよ。言いつつもうひとつ口に入れると「それでも糖分の摂り過ぎは健康によくないよ」と保健委員長らしく指摘した善法寺が、名前から皿を取り上げた。

「……善法寺のことそろそろお母さん、って呼ぼうかな」
「どちらかと言えば姑が正しいんじゃないか」
「仙蔵!」
「言えてる」
「もそ。それでだが」

 中在家が手紙を手に取ったのを見て、名前も団子を飲み込んだ。

「これは、やはり忍術学園への宣戦布告か」