おっさんたちに背中を押され、部屋に入るとすぐにモニカと目が合った。
モニカはベッドの上で上半身だけを起こし、不安げな顔をしていた。何か様子がおかしい気がしながらも一歩ベッドへ近づく。するとモニカはびくりと体を震わせた。
「……モニカ」
名前を呼んでも反応はない。むしろ警戒を強めたような気さえする。
俺は困惑してもう一歩だけモニカに近づき、何もしないと両手を肩の位置まで上げて見せた。
「モニカ、俺がわかるか」
返事はない。ぎゅっとシーツを握りしめて不安げに瞳を揺らすモニカに俺は小さく息を吐いた。
「自分のことはわかるのか?」
「……わからない、です」
小さな、今にも消え入りそうな声でモニカはそう言った。
・ ・ ・
モニカの目が覚めたとポーリュシカさんから連絡を受けて、あたしたち妖精の尻尾はその場にいたほとんど全員がポーリュシカさんの家に押しかけていた。もちろん烈火のごとく怒られたけれど、そんなことよりも仲間が目覚めた喜びに支配されてすでにお祭り騒ぎになっている。
「うるさいよあんたたち!!!」
「ラクサスどこだ!」
「早く会ってこいよ!」
「待ちな!!」
怒鳴るポーリュシカさんをものともせず、ギルドのおじさんたちに背中を押され一番最初にラクサスがモニカのいる部屋に入っていく。部屋の外で待つあたしたちはポーリュシカさんをなだめながら2人が出てくるのを待った。
少しして部屋のドアが開く。出てきたのはラクサス一人だった。
「覚えてないらしい」
あたしたちはラクサスのその言葉に首を傾げる。ラクサスはそれだけ言うと無表情でどこかへ行ってしまった。
「だから待ちなって言ったんだ」
ポーリュシカさんは呆れたようにため息をつき、まだ状況がわかっていないあたしたちに説明を始める。
モニカの怪我は回復に向かっていて、もうほとんど心配はないこと。けれどモニカが自分のことも含めて記憶を失くしていること。魔法も使えなくなっていること。
あたしはどこか信じられない気持ちで言葉を失っていた。ラクサスがショックを受けてしまうのも無理はないと思う。
「オレたちもモニカに会っていいだろうか」
「何かがきっかけで思い出すかもしれねぇ」
「モニカの顔が見たいだけよ」
雷神衆はそう言いながらモニカに会いに行った。またポーリュシカさんが呆れたようにため息をつく。
「なんじゃ、モニカの記憶はもどらんのか」
「さあね」
マスターとポーリュシカさんの会話にみんなから非難の声が上がる。ナツなんかは人一倍大騒ぎだった。
「うるさいね!戻るかもしれないし戻らないかもしれないんだよ!わかるもんかい!」
ポーリュシカさんがあたしたちに怒鳴った直後、雷神衆が部屋から出てくる。3人とも悲しげな雰囲気で中での出来事をなんとなく察した。
「じっちゃん何か方法はねえのかよ」
「うーむ、こればかりは運じゃろうな」
「じっちゃん!」
マスターの言葉を非難するようなナツにあたしは「落ち着きなさい」と声をかけた。でもあたしもマスターの言葉には気持ちが落ち込む。運ってことは記憶が戻らないかもしれないから。
「じゃが、記憶が戻らなくともモニカは仲間。支えてやろうじゃねえか。同じギルドの仲間として」
その力強いマスターの言葉にあたしたちは雄たけびにも似た歓声を上げた。すぐさまポーリュシカさんにうるさいと拳骨をくらうことになったけど、それでもあたしは仲間がいれば大丈夫だと信じることが出来て、みんなと一緒に笑った。
・ ・ ・
エバーグリーンと名乗り、エバと呼んで欲しいと言った女性に連れられて私は私の自宅だというアパートに連れられていた。
その部屋は整理整頓され、家具もそろっていて、確かに人が住んでいるのだと思わせる。けれど懐かしさなどは全くなく、初めて見る部屋に私は戸惑った。まるで他人の部屋を借りるような感覚で、イスに座るのさえ遠慮してしまいそうだ。
「しばらく帰ってなかったから掃除しておいたの。何か必要なものがあれば言ってちょうだい」
「ありがとうございます……エバ、さん」
「あら、エバでいいわよ」
エバはにこりと笑って帰って行った。
部屋の中にぽつんとひとりで取り残されたような気持になって、私はクローゼットを開けてみたり、寝室やお風呂場をのぞいてみたりと部屋の中をウロウロしてみる。それでもやっぱり見覚えはなく、孤独感に襲われるだけだった。
これからひとりで夜を過ごすのかと考え始めると居ても立っても居られず、クローゼットから上着を掴んで私は家の外へ出た。すでに日が沈んでいるため、空は暗い。私は家の窓から漏れる光と街頭に照らされた道を宛もなく歩き始めた。
マグノリアという街はそこそこ大きいらしい。エバから私が育った街だと聞かされていたものの、本当にそうなのか疑いたくなるほど何も覚えていなかった。だから目に入るものが物珍しく、気になる通りを思いのまま歩いてため、私はいつの間に迷子になっていた。
エバに教えてもらったアパートを探そうにも道に見覚えはなく、来た道を戻っても分かれ道でどっちに行けばいいのかわからない。そうしてウロウロしているうちに街中の人は少なくなり、家々の明かりも消え始めた。それほど長く歩いていたのか月の位置もずいぶん変わっている。もう真夜中だ。
「どうしよう……」
肩にかけている上着をぎゅっと握りしめ、私は途方に暮れる。とりあえず歩き疲れたからと水路の脇に腰を降ろした。
朝になるまでここにいることになるかもしれない。その前に誰かがここを通りかかってくれれば道を聞ける。でも私は私のアパートがわからない。どう伝えればいいだろう。その前にこんな真夜中に出歩いている人を簡単に信用していいのだろうか。
記憶がないことも相まってどんどん不安になってくる。妖精の尻尾というギルドの人たちは助ける!と言ってくれたけれど、私は本当に妖精の尻尾のメンバーなのかすらわからない。もしかしたら人違いなのかも。それに今は誰に助けを求めればいいのかもわからない。
「おい」
「ひっ!」
考え事に夢中になって誰かが近づいてきていたことに気が付かなかった。突然かけられた声に私は驚いて体が跳ね、水路に落ちそうになる。心臓がぎゅっとなり思わず目をつぶった。でも声をかけてきた人がとっさに腕を掴んでくれたおかげでどうにかその場にとどまる。
「何やってんだ」
呆れた様子のその人は、私を治療してくれたポーリュシカさんのところで会った男の人だった。そういえば名前を聞いていない。でも胸の奥がざわざわしたことや、私が何もわからないと言った時の悲しそうな顔はよく覚えていた。
「あ、あの、ありがとうございます」
「怪我も治りきってないんだろ。さっさと帰れ」
その人はそれだけ言って私に背を向ける。私は家に帰れなくなる!と衝動でその人が羽織っているコートを掴んだ。
「道がわからなくて……家も、その……わからなくて」
口に出すと恥ずかしさから目に涙が滲んできた。なんだか情けないような気持にもなってきて、「すみません」と謝ってその人のコートから手を放す。
するとその人はくるりと向きを変えて歩き出した。私はどうしたらいいのかわからずその場に立ち尽くす。
「帰らねえのか」
「あ、いえ……!」
その人は少し先で立ち止まり、私を振り返ってそう言った。私は慌ててその人に駆け寄り、今度は2人で歩き出す。
しばらく無言で歩いていたもののその気まずさに押しつぶされそうだった。ちらりとその人を見上げてみても無表情で何を考えているのか全く分からない。つい顔をうつむけて足元を見ながら歩いた。
「なんであそこにいたんだ?」
一瞬、私に問いかけられていることに気づかなかった。ばっと顔を上げてみるけど、その人はまっすぐ前を向いている。
「……知らない部屋にひとりでいるのがなんだか嫌で」
「それでここまで歩いてきたのか。こんな夜中に」
「じゃあ……あなたはどうしてこんな夜中に?」
「俺は散歩だ」
「人のこと言えないじゃないですか」
少しだけむっとして問いかければ、しれっと返ってきた答えに私は小さく笑った。その人も歩きながら「そうだな」と小さく笑っていて胸のあたりがあたたかくなる。
「ここだ」
その人が指した建物は確かにぼんやりと見覚えがある。鍵をさしてドアを開けてみれば、エバに連れてきてもらった時と同じ部屋だった。私はほっとして案内してくれたその人を振り返る。
「ここです!ありがとうございます!」
その人は頷いて、一度アパートの外に出ると私を手招いた。私が呼ばれるままに外に出ると、その人は少し先の建物を指差す。
「俺はあそこに住んでる。何かあれば来い」
「ご近所さんなんですね……」
「じゃあな。傷に触るから早く休めよ」
私はつい、立ち去ろうとするその人のコートをつかんで呼び止める。その人は驚いたように足を止め、私を振り返った。
「あの、あなたの名前は……」
勇気を振り絞って問いかける。その人はポーリュシカさんの家で会った時のように悲しげに目を細めた。その表情に罪悪感で私は胸が苦しくなる。
「ラクサスだ」
「ラクサス、さん」
「ラクサスでいい」
ラクサスはどこかぶっきらぼうにそう言って今度こそ私に背を向けて歩き始めた。
「ありがとうございました!」
私が後ろからお礼を言っても立ち止まることなくラクサスは手を軽く振って応える。その後ろ姿に私は胸の奥がざわざわとしていた。