※女主/百合
「フリーナ」
聞きなれた声に顔を上げる。ベッドに腰かける僕の前になまえが立っていた。なまえはにこにこと笑って僕の隣に座る。
なまえに出会ってからもう何年にもなるのに未だにその半透明な姿には慣れない。本人は人間だって言っているけど、僕は本当は幽霊なんじゃないかって思ってる。それか僕の幻覚か。
「なんだか久しぶりだね」
「そうだね、1週間ぶりだ」
「え、私には3日くらいなんだけどな」
なまえは驚いて、そのあとすぐに「変な感じ」と言って笑顔に戻った。
僕たちの時間がズレているのはいつものことだ。僕たちの世界はそれぞれ違う。僕はテイワット、なまえは地球。そこがどんな世界なのかはわからないけど、テイワットのように色んな国があって、色んな神が信仰されているらしい。でも神が統治する国は滅多にないそうだ。
僕はなまえの話を聞くのが好きだった。知らない世界、知らない国、知らない生活。ここじゃないどこかの話を聞いていると少しだけ心が軽くなる気がした。それになまえも僕がするフォンテーヌの話を喜んで聞いてくれる。
「最近はどうだった?」
「変わらないよ。いつもと同じさ。裁判があって、ケーキを食べて、民たちに会って話を聞く」
「でもこの前はマジックショーを見に行くって言ってなかった?」
「それはまだ先さ」
僕がなまえの前で神を演じなくなるのに時間はかからなかった。本当になまえはこの世界の住人じゃないと思ったから、きっと話しても大丈夫だって信じた。いや、僕が限界だっただけなのかも。
でも僕がテイワットの人間が何かしらの方法で僕の秘密を聞き出そうとしているんじゃないかってしつこく疑ったときに、なまえが最初は疑われていることに腹を立てていたのに次第に悲しむ様子は嘘だと思えなかった。
「いいなぁ。私もフリーナと一緒におでかけしたいよ」
「行けばいいじゃないか」
「何度も言ってるけど、自分の意志で会いに来れてるわけじゃないから無理だよ……」
「……そうだね、ごめん」
思わず僕がうつむくと、なまえは小さく「ごめん」と言った。別に謝って欲しかったわけじゃない。
僕以外になまえの姿は見えないし、なまえが言った通りこうして会えるのだっていつになるのかわからない。約束したところで無駄になる。
「ごめんね、フリーナ。もっと会いに来れたらいいのにって自分でも思う」
「いいんだ。こうしてたまにでも話せるだけで」
神を演じなくていいのがどれほど嬉しいか。きっとなまえに言ってもわからないだろう。水神フォカロルスのことや予言や天理のことを話した時もよくわかっていない様子だったから。
「僕はそろそろ休むよ。明日は朝から裁判があって……」
隣にいたはずのなまえへ顔を向けると、そこには誰もいなかった。見慣れた自分の部屋を見回してもなまえの姿はどこにもない。
今日はさよならの挨拶もできない日だった。突然現れるなまえはこうして突然消えてしまうことがある。でもお休みの挨拶をしてから消えることもある。どうしてなのかは僕も、なまえにもわからない。
消えてしまったなら仕方がないと僕はベッドに横になった。しんと静まり返った部屋が無性に寂しかった。
***
部屋の隅ですすり泣いていると目の前に誰かが立った。恐怖で体が固まり、呼吸が止まる。僕は頭が真っ白になったまま何も出来なかった。
「フリーナ?」
なまえの声だ。僕は恐る恐る顔を上げ、目の前に立つ人を見上げる。
「どうしたの?大丈夫?」
そこにいたのは本当になまえだった。僕が泣いていることに気づいたらしいなまえはすぐに僕と目線を合わせるように屈む。
「……なんでもないさ」
「じゃあどうして泣いてるの?」
「本当に、なんでもないんだ」
なまえは不安と悲しみが混じったような表情で僕を見ていた。隠す必要はない。それでもファデュイに襲われたことを口に出すのはとても怖かった。
「ごめんね。フリーナ」
「なんだい?どうして君が謝るのさ」
僕はポロポロと涙を零しながらなまえに笑いかけた。笑いかけたつもりだけどちゃんと笑えていたのかはわからない。
そんな僕になまえは触れようとしたのか手を伸ばしてきた。襲われた後だからか思わず肩を跳ねさせた僕に、なまえの手は触れられない。触れようとしても半透明のその手は僕の体をすり抜けてしまう。触れたくても触れられない。
「何かあったんでしょ?でも背中をさすってあげることもできない」
涙声にはっとしてなまえの顔を見れば、その両目からは涙が溢れていた。
「……どうして君が泣くんだい」
「だよね、傷ついてるのはフリーナなのに。ごめん、ごめんね」
僕たちは向かい合って床に座り込んだまま泣き続けた。なまえがあまりに目を擦るからそれを止めようとしても僕の手はなまえの体をすり抜ける。もうすぐまた誰かが僕を殺しに来るんじゃないかって怖かったし、目の前にいるなまえに触れられないことが虚しくて僕は涙が止まらなかった。