その悪魔がホテルに来たのはアラスターが協力を申し出た日からちょうど3日目だった。コンコンと軽やかなノックの音にチャーリーがホテルのドアを開けると、そこには顔に微笑みを浮かべたなまえが立っていた。談話室のソファの上に寝そべっていたエンジェルはその来訪者に驚き、思わず体を起こす。
「こんにちは。ここで魂の救済をしているとか?」
「ええ!そうよ!えっとでもあなたは……」
アラスターに続いての上級悪魔の登場にチャーリーも困惑したのか、明るい笑顔がすぐに困惑に変わる。そして何を察知したのか槍を握りしめたヴァギーがエンジェルの前を走り抜け、チャーリーを庇うように飛び出した。
「何しに来たの」
槍の切っ先を突き付けられてもなまえは微笑んだままだった。むしろさっきよりも楽しそうだ。
ラジオデーモンのことは知らなかったエンジェルでもなまえのことは知っていた。いや、悪魔の中でどれほどの強さをもっているだとか、どれだけイカれているだとかは知らない。でも数年前までエンジェルの上司であるヴァレンティノと四六時中一緒にいたことを知っている。
「アラスターが協力してるって聞いて来たの」
「……あなたも魂の贖罪に興味があるってこと?」
ヴァギーの肩越しにチャーリーが尋ねる。なまえは「ふふふ」と声を出して笑いながら首を左右に振った。
「罪人たちが今さら救われるとは思えないし、私自身贖罪しようなんて思わない」
「じゃあ何の用なの」
ヴァギーが槍を構えなおす。チャーリーはバギーを落ち着かせるように軽く肩を叩いた。なまえはヴァギーの迫力に怯むこともなく相変わらず微笑みを浮かべたままだ。
「娯楽に飢えていたの。ここはとても楽しそう。アラスターが興味を持つくらいだもの」
なまえの言葉にチャーリーとヴァギーは顔を見合わせている。エンジェルはここになまえが住み始めるのかと思い顔をしかめた。
「あなたの望む宿泊者ではないでしょうが、その代わりにお手伝いいたします」
「そうね……それなら……」
「チャーリー!」
ヴァギーは慌ててチャーリーの腕を引き、ちょうどエンジェルが座っているソファの近くで立ち止まる。様子からしてヴァギーはなまえをこのホテルに入れることに反対のようだった。
「ラジオデーモンがすでにいるのにこれ以上厄介なやつを入れるわけにいかない。贖罪に興味もないのに」
「でもヴァギー、協力者は多い方があなたも助かるはずよ。それにここにいることで考えが変わるかもしれないわ」
チャーリーのその言葉にエンジェルは思わずソファから立ち上がり、ヴァギーの横に立った。そして腰に手を当て、チャーリーを見下ろす。
「あいつがどんな奴なのか知ってて言ってる?」
「え、あんたラジオデーモンのことも知らなかったのに彼女のことは知ってるわけ?」
「なまえは色んな意味でイカれてる!あいつのせいで俺は……!いや……なんでもない」
驚きを隠さなかったヴァギーにエンジェルは怒鳴った。けれどなまえが突如姿を消した時のヴァレンティノの荒れようや、それ以来自分への執着が増したことをここで言うことは出来ずに口を閉じる。
なまえの姿がどこにもなく、連絡も取れず、いなくなってからの数日間は毎日誰かしらスタッフがヴァレンティノに八つ裂きにされていた。今思い出しても最悪だ。
「エンジェルの知り合いなの?だったらやっぱり彼女にも協力してもらいましょう!きっと楽しくなるわ!」
チャーリーがその気になってしまったら止められる奴はここにはいない。ヴァギーだってチャーリーに「お願い」と大きな目で見つめられると仕方ないと肩をすくめる。今回もそうだった。
エンジェルは思い切り嫌悪をむき出しにした顔でなまえの方を見る。
そこにはいつの間に現れたのかアラスターがおり、なまえと談笑していた。しかもなまえはドアの外にいたはずがすでにホテルの中に入っている。
「おや皆さん。彼女もこのホテルを手伝ってくれるとか」
「そうなの!楽しくなりそうでしょ?」
この場で大はしゃぎしているのはチャーリーだけだ。なまえは微笑むだけで、アラスターも不気味に笑っている。エンジェルはちらりとヴァギーを見たが無言で首を振られた。
「私はチャーリー!これからどうぞよろしく!」
「存じておりますよプリンセス。私はなまえです」
エンジェルは不愉快だった。それを隠すこともなくチャーリーに連れられてホテルを案内されていくなまえの背を睨み続ける。
もし、ヴァレンティノになまえがいることがバレたら。考えるだけでも恐ろしかった。
・・・
エンジェルはホテルの談話室のソファの上に寝転びながら、同じくロビーでアラスターと談笑している悪魔を睨みつけた。そいつはすぐにエンジェルの視線に気が付いたが、睨みなど意に介さずただニンマリと顔の笑みを深くするだけだ。その表情にエンジェルはクソッタレと小さく毒づく。
「どうしました?」
近づいてきたなまえの声にイラつきエンジェルは顔をそらす。それも気にすることなく悪魔、なまえは笑っていた。
「機嫌が悪いですね」
「あんた、いつまでここにいるつもりだ?」
「それはもちろん、飽きるまでです!」
今日一番のとびきりの笑顔でなまえはそう言った。エンジェルは荒れるヴァレンティノの姿を想像し顔を歪める。ちょうど留守電に入っていた罵倒を聞いた直後だったのもあり、気分は最悪で取り繕う気にもなれなかった。
エンジェルはその罵倒が入っている端末を握りしめながら大きなため息を吐く。いつの間にかロビーにいるのはエンジェルとなまえ、離れたところにあるバーカウンターで安酒を煽っているハスクだけになっていた。
「あんたがここにいると面倒だ。ただでさえ面倒なのに」
「そうですね」
知らぬ間に向かいのイスに腰を降ろしたなまえはうんうんと頷いた。なんでも知ってるかのようなその態度にエンジェルは思わず頭に血が上り、勢いよく立ち上がる。
「あんたのせいで俺は……!」
こんな思いをするのはなまえのせいだと言いかけて、やめた。ヴァレンティノの執着も罵倒もそのあとの謝罪や甘い言葉だって今に始まったことじゃない。なまえがいようがいまいが、契約したのは自分だ。なまえが姿を消した直後から激しさを増したとはいえ、契約からは逃げられない。なにも変らない。今さらなまえが戻ってきたところで何も。
「ここはいいところです。楽しいですから」
エンジェルが上から見下ろしてもなまえの表情は変わらない。ずっと笑っている。強者の笑みだ。
「……イカれたアバズレはどこに行ったってそう言う」
「ふふっ。ねえ、ヴァルは元気ですか?」
胸にナイフが突き立てられたようだった。一瞬言葉を失い凍り付いたエンジェルはどうにかなまえの顔に目を向ける。なまえはただ静かに穏やかな笑みを浮かべていた。
「俺が知るわけないだろ」
ヴァレンティノの隣で今と同じように笑っていたなまえを思い出しながらエンジェルは吐き捨てるようにそう言って、足早にその場から離れた。自分の部屋に入るなり乱暴にドアを閉め、床に座り込む。
何もかもが腹立たしかった。