本丸の季節は本格的に夏を迎えた。女体の大倶利伽羅は未だに目覚めない。それでも燭台切は毎日毎日、大倶利伽羅に話しかけた。
 その姿を不憫に思う刀剣たちも少なくはない。長谷部のそのうちの一振りだった。

「待つのは辛くないか」

 何か自分も本丸の手伝いがしたいと言い、片腕で厨の掃除をする燭台切の背中に長谷部は問いかける。
 待てと言うのならいつまでも。だが、大倶利伽羅は燭台切にそう言ったのだろうか。願ったのだろうか。今も望んでいるのだろうか。わからない。

「長谷部くん、どうしたの?まだ掃除は終わっていないよ?」
「答えろ、燭台切」
「……」
「大倶利伽羅はお前に待っていてくれと頼んだのか?お前は待つのは辛くないのか?」

 笑顔だった燭台切の表情が凍りつく。無言になった燭台切を見つめつつ、長谷部は言葉を続けた。

「大倶利伽羅は今の生活を望んでいるのだろうか。もしかしたら……」
「やめてくれ」
「燭台切、大倶利伽羅は……」
「やめてくれ!長谷部くんは僕らの何を知っているんだい?憶測だけで好き勝手に言わないでくれ!僕がどんな気持ちで……!」

 燭台切はうつむき、肩を震わせながら一息でそう言うと、まるで怒りややるせなさを吐き出すように拳を台の上へ叩きつけた。ガチャン!と置いてあった食器がいくつか床に落ちた拍子に大きな音を立て、長谷部はびくりと肩を揺らす。

「……違う、燭台切、俺は……責めたかったわけではないんだ……」
「……いいんだ」

 落ちた食器や掃除用具を放置して燭台切はふらふらと厨を出ていく。なんと声をかければいいのかわからず長谷部は黙ってその背を見送った。せめて、この散らかった厨を片付けようと思いながら。
 先ほど床に落ちて割れてしまった皿を処分し、燭台切が途中まで磨いていた流し台を洗おうと蛇口をひねる。水が流れる音を聞きながらしばらく一人で掃除をしていると、厨の入口から足音がした。

「燭台切光忠に何をしたんです?」

 宗三か、と声で判断し首だけを動かし目を向ける。壁にもたれかかる宗三は億劫だという態度を隠しもせず、呆れたようにため息をついた。

「どうせあなたのことですから失言でもして燭台切の機嫌を損ねたんでしょう」
「……俺はただ待つのは辛くないかと」
「あの燭台切の様子を見て平気なように思えるんですか?」

 宗三の言葉に長谷部はうつむいた。立場は逆だが、まるでさっきの自分と燭台切のようだ。

「心配なら心配だと言えば良いんですよ。ただでさえ人の気持ちを察するのも汲むのも苦手なのにごちゃごちゃ考えるから余計なことを言うんです」
「……そうだな」
「落ち込む暇があるなら謝ってきたらどうです?つい先ほど燭台切とすれ違ったときに、あなたに謝りたいと言ってましたよ」
「燭台切は何も悪くないだろうになぜだ?」
「そんなこと僕が知るわけないじゃないですか」

 もう一度、宗三は大きくため息をついた。大袈裟なほど肩をすくめて、呆れたというように。

「あなたはほんとにバカですねぇ」
「なんだと」
「早く行きなさい」
「……ああ。すまないな、宗三」

 長谷部は素早くタオルで濡れた手を拭くと、風を切る音を立てながら燭台切の部屋へと向かった。宗三はそれを見送り、洗いかけの流し台へ視線を投げる。今度は本当に心の底からのめんどうくささにため息をついた。


・・・


「待ってたよ、倶利ちゃん」
「……待たなくていい」
「そんなこと言わないで。僕すごく君に会いたかったんだ」

 女体の大倶利伽羅はその言葉にはにかむように小さく笑った。その姿に胸の内が暖かくなり、そっと手を伸ばす。しかし、その手が大倶利伽羅へ触れる瞬間、世界がぱっと弾けたかのように目が覚めた。
 がばりと勢いよく起き上がり、隣の布団で眠る女体の大倶利伽羅の顔を覗きこむ。目覚める様子はない。燭台切ははぁ、と大きく息を吐き出した。夢だ。何度も見た。同じ夢。せめて、夢の中で触れられればいいのに。それすらも出来ず、必ず目が覚めてしまう。

「昼間、長谷部くんとあんな話をしたからかな……」

 大倶利伽羅と一緒に生きたいと思う。けれど長谷部は「大倶利伽羅は今の生活を望んだのか?」と燭台切に聞いた。考えたこともなかった。
 もし、大倶利伽羅が目覚めることを望んでいないのなら?本霊に還ることを望んでいたなら?けれど何を望んでいるかなんて教えてもらわなければわからない。燭台切は大倶利伽羅が本霊へ還りたいと望んだとしても、たった一度だけの最後の会話になっても、再び大倶利伽羅と会話することを諦めたくなかった。
 気持ちを落ち着かせるように深呼吸をし、もう一度燭台切は自分の布団に横になってみるが全く寝付けそうにはない。明日は非番の太鼓鐘とよろず屋へ行く約束をしているというのに。

「貞ちゃんに格好悪いところは見せられないのにね」

 大倶利伽羅へ語りかけるように独り言を呟いてみる。君にも会って欲しいよ、早く目覚めて。そう語りかけてもやはり返事はない。小さな小さな呼吸の音だけが聞こえる。

「僕、待ってるからね」

 手を伸ばし、眠る大倶利伽羅の手を握る。大倶利伽羅の手は夏だというのにひんやりと冷たい。燭台切光忠は自らの熱をわけるように、手を握ったまま目を閉じた。



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