鶯丸は熱い茶をゆっくりとすすった。縁側に座って茶を飲む時間はこの本丸に顕現してから一等好ましい時間だった。
四季を現世と同じように廻らせる審神者によって徐々に気温も上がり、この本丸にも夏が近づいてきた。鶯丸は初夏の空を見上げながらほっと息を吐く。しかし風通りのよい縁側は涼しく、少し熱い茶を飲むのがちょうどいいくらいだった。
「鶯丸様、お隣よろしいでしょうか?おやつもお持ちしました」
鶯丸が声のした方を向けば、盆に羊羮をのせた平野が立っていた。その姿に鶯丸は微笑む。
「平野か。もちろんいいとも」
「ありがとうございます」
軽く会釈をした平野が鶯丸と並んで縁側に座り、そんな平野に鶯丸は茶を淹れてやった。そうしてしばらく縁側に座り、ぽつりぽつりと会話をしながら茶をすする。
そうしているうちに本丸の正門の方から出陣から帰った部隊の声が微かに聞こえた。少しだけ本丸が騒がしくなる。帰ってきた刀剣たちとそれを出迎える刀剣たちの声をしばらく聞き、鶯丸はおもむろに立ち上がった。
「鶯丸様?どうされました?」
「いや、なに。待ち人に会いに行こうと思ってな」
「待ち人、ですか?」
湯呑を持ったまま首を傾げる平野へ鶯丸は小さく笑いながら頷いた。
「ああ、すまないが片づけは頼む」
「あ、はい。お任せください」
鶯丸の待ち人。大包平はもちろんそうだが、これから会いに行く待ち人は別だ。粟田口のように兄弟かと言われれば違う。歌仙や和泉守のような関係とも似ているがまた違う。
なんと形容すればいいのかはわからない。しかし、先日演練で見かけた、別個体の自分と燭台切光忠の姿が鶯丸の脳裏によぎる。強いて言うなら、祖父と孫のようなその姿に憧憬の念を抱いた。
だが、この本丸に来た燭台切光忠はどうだろうか。鶯丸と親しくなるどころか他の刀剣たちとも関わりを持たない。同郷の倶利伽羅や鶴丸、太鼓鐘の声にも応えないのだから鶯丸がどうこうして解決するようには思えなかった。
それでも、鶯丸は伝えたかった。この本丸のことを、この世界のことを。そうして願わくば、一緒に茶が飲みたいのだと。
「光忠」
ぼんやりと考えているうちに鶯丸は燭台切光忠と女体の大倶利伽羅の部屋の前につく。名前を呼んでみるが、当たり前のように返事はなかった。
「すっかり初夏だな。もう少しすれば夜に蛍が見れるぞ」
鶯丸は穏やかに話しかける。そういえば去年は本丸の皆で水風船を投げ合い笑いあったものだ。夏が過ぎれば秋が来る。紅葉が見事だ。夜には主の意向で紅葉が光に照らされ、昼間とはまた違った美しさがある。その次は冬だ。ここは雪がたくさん降る。短刀たちがこぞって雪だるまやかまくらを作ってくれる。かまくらの中で飲む茶は格別だった。
「なぁ、光忠。俺はこの本丸に顕現してから大包平を気長に待ってきた」
辺りはしんと静まり返り、鶯丸の声だけがする。ここからよく見えていた桜の木々の花はすっかり散ってしまった。
「だが今はお前を待っている。気長に待つつもりではいるがな、気長に待ちすぎて季節が過ぎていくだけというのももったいない」
鶯丸はそっと締め切られている障子戸に手をかけた。軽く力を入れれば容易く開く。
「光忠、迎えに来たぞ」
開かれた障子戸の間から光が差し込んだ部屋の中央には布団が敷かれ、そこには女体の大倶利伽羅が横たわっていた。その横には短刀たちからの贈り物だろう絵本が積まれている。そして、部屋の隅で膝を抱えるように座り込んでいる燭台切光忠がいた。
「……うぐいす、まるさん……」
「ああ」
小さく掠れた声で名を呼ばれた鶯丸は笑って返事をした。ゆっくりと燭台切光忠に近づき、腕を引く。よろめきながらも立ち上がった燭台切光忠は今にも泣き出しそうな顔で、鶯丸を見た。
「……どうして……」
それは今にも消え入りそうな弱々しい声だった。
「言っただろう、迎えに来たと」
「迎えに来たよ」
審神者に連れていかれた大倶利伽羅が全く部屋から出てこないことが心配で、いや、そうではない。僕はただ話をしたかった。女体で顕現された大倶利伽羅は、それでも僕が知っている大倶利伽羅だったから。ただ、同じものを見て、とりとめのない話をしたかった。だから審神者が休暇だなんだといいながら現世で遊び歩いている間に大倶利伽羅を部屋から連れ出した。
大倶利伽羅は僕が差し出した手を見つめ、控えめに手を重ねてくる。僕は重ねられた手を優しく握り、その腕を引いた。驚くほど簡単に大倶利伽羅を部屋の外へ連れ出せたことに舞い上がり、本丸の中を見せて回る。とはいっても、手入れをしてもらえない刀剣や掃除が行き届かず汚れたままの場所を避けて通ったため案内はすぐに終わってしまった。
「あんまり綺麗じゃないし、見るところも全然なくてごめんね」
「光忠が謝ることじゃない。それに……嬉しかった」
「よかった」
目を伏せながらも口元を綻ばせる大倶利伽羅に胸の奥がぎゅっとなる。この感情をなんと呼ぶのかわからないけれど、悪くはない。
「またこうやってお話ししようね。僕が迎えに行ってあげる」
「待つのは性に合わない。こちらから行く」
「楽しみだなぁ」
辛うじて緑が残る庭を見ながらそう会話をしたのは、いつだったか。
鶯丸によって外へ連れ出された燭台切は、彼が出てくるのを待ちわびていた鶴丸、太鼓鐘、そしてこの本丸の倶利伽羅と対面した。ぎこちなく挨拶を交わし、気まずそうに視線をさ迷わせる燭台切の腕を倶利伽羅が掴むと、怯えるように燭台切の肩が跳ねた。それでも構わず倶利伽羅は燭台切の体を引き寄せ、力強く抱き締める。
体格の大きな男が、自分より小柄な男に抱き締められ、あやすように背を撫でられる光景を誰も笑うことはなかった。呆気に取られていた燭台切も状況を理解したのか、くしゃりと顔を歪め、抱き締め返すというよりはすがり付くように倶利伽羅の背中に片腕を回す。
倶利伽羅の肩に額をのせる燭台切の表情は見えないが、時おり堪えきれない嗚咽が漏れるのが聞こえた。そんな二振りに覆い被さるかのように鶴丸はまとめて抱き締める。太鼓鐘も負けじと燭台切の腰の辺りに強く抱き、傍でずっと様子を見守っていた鶯丸は満足げに笑った。
「大包平も喜ぶだろうなぁ」
こうして、燭台切はその日を境に部屋に引きこもるのをやめた。