「あ、えっと、ごめん。
聞いてなかったから、もう一回だけ──」

聞いてもいい? なんて言葉を言う前に男はもう一度同じ言葉を繰り返す。
聞き間違いでは無かった事に心の中で溜息を吐いた⬛︎原だったが、本人でも自分の器用さに驚いてしまう程、口元だけは笑っていた。

「……うん、分かったよ」

目深に被っていた帽子のひさしを更に下げて、冷たい視線を男に向ける。その視線を感じ取らせないようにしている少年は、屈強な指とは正反対な、繊細さすら感じる真っ白の封筒を受け取る。

「ありがとな、⬛︎原。じゃっ、俺は行くよ」

先程まで羞恥心を孕んだ声とは打って変わって、いつも通りのよく通る声に戻れば、用が無くなったと言わんばかりに素早くきびすを返して人混みの中に紛れ込んでしまった。

⬛︎原は男を睨みつけていた視線を一通の封書に移す。強く握っていたのか、一部分だけ微かにシワが付いている。

「(……っ、嫌だ)」

そのシワを一瞥いちべつしただけで、どれだけあの男が名字に惚れ込んでいたかを彼は一目で理解する。
ただのシワであっても、彼にとっては言いようもない怒りと嫌悪感を生み出す材料となってしまう。

そんな感情を表に出さないよう、少年は深呼吸をするが、そんなことをしても止まることなく湧き出るドス黒い感情────独占欲は⬛︎原の心を侵略していく。


「……でも、なんで僕に渡しちゃうかな」

一周回って冷静になった彼は手の中にある封書を開けることもなくビリビリと破った。
少年の感情とは裏腹に紙を破る音は爽快さを感じる。

「君みたいな人に、名無しは渡さない。
……絶対に、渡すもんか」

もう見えなくなった男の背中を思い描き、それを思い切り睨みつける。
そんな時、後ろから一人の影が近づき⬛︎原との距離が30pにも満たないほどに接近した影は、両手を振りかぶり、容赦なく振り下ろした。