「久しぶりじゃの、アリア」
嵐のような夏休みが終わりを告げた。
呼び出された見慣れた校長室に腰を下ろすと、温かい紅茶が目の前に差し出される。有難く受け取ると目の前の彼もゆったりとカップを口へと運んだ。
「さて。どこから話すべきか。」
「すべて、話していただけますか。」
「そう急かすでない。……そうじゃの、結果から言うにヴォルデモートは消滅した。」
「……ッ!」
「拠り所にしていた分霊箱も無いとなれば、本体の魂は還る場を失う。」
震えた手でカップをソーサーへ戻すと背筋を伸ばす。ついに、終焉の時が来たのだ。
「本当に、何もかも終わったのですか…?」
「間違いない。おぬしの危惧する未来は訪れないと断言できよう。」
アイスブルーの瞳が柔らかく私を見つめる。無意識に息を止めてしまっていたようで肺の底から息を吐きだす。まだなんの実感も湧かないが全身から力が抜けた。
「じゃが、ディメンターが街を襲ったのは予想外の出来事であった。」
「はい、知っています。」
「収容されておった死喰い人と共に脱獄し、人々を恐怖の渦に陥れたことは断じて許されるべきことではない。」
「…では、」
「そうじゃの、アズカバンの看守については大臣と話し合う必要がありそうじゃ。」
随分と骨が折れそうな話し合いになりそうだ。何だかダンブルドアに面倒事を押し付けてしまったようで気まずい。だが、本来の目的は既に達成された。私という存在が有効に消費され、全ては無に葬られた。私の知りえる未来は、訪れることはない。
「あの、休暇中ディメンターに襲われた際に魔法を…」
「よいのじゃ、それが最善の策であったことは誰もが分かっておる。」
「お咎めは?」
「もちろん、ないとも。」
あの状況で魔法の使用禁止というのも中々痛い。いつ魔法省から警告がくるのかとひやひやしたものだが、これで一先ず安心できる。魔法省は忘却呪文を使用した記憶の操作に追われることだろう。
「聞きたいことは山ほどあるじゃろうが、今日はもう戻りなさい。身体を休めることも大事なことじゃよ。」
「……では、最後に一つだけ」
どれだけ考えても分からなかったこと。この人になら分かるのだろうか?
「ディメンターへの対抗として、守護霊の呪文を使用しました。」
「実に聡明で明瞭な判断じゃ。」
「ありがとうございます。私の守護霊は雉のはずです。…でも、」
あの日見た最後の記憶が正しければ、あれは……
「変わっていたんです。」
「…ほう、なんとも奇妙な。」
「そんなことがあり得るのですか?」
「アリア、守護霊の呪文は使用者の心に大きく影響される。もし姿が変わったのであれば、おぬしの心に大きな変化があったからであろう。」
「……それは」
「それは、アリア自身にしか知りえぬことじゃ。なに、焦らぬとも時間はたっぷりとある。」
初めから答えを期待していなかったけれど釈然としない。私の心に変化があったとは一体どういうことなのか。分からないから聞いているというのに。
「ホグワーツに着くなり呼び付けてすまなかったの。…ゆっくりとおやすみ。」
「……はい、失礼します。おやすみなさい。」
見間違いじゃないとしたら、あれは牡鹿の守護霊だった。
夏休み明けのホグワーツはそれはもう騒然としていた。
新聞の一面は闇の帝王失脚についてで埋め尽くされ、生徒の話題もそれについてで持ち切りだった。何処へ行っても誰もが口々に語っている。殊更スリザリンの空気は葬式かの如く重かったことをここに記しておこう。
「アリア、どこへ行くつもりだ。」
「図書館よ。借りたい本があるの。」
「僕もついていく。」
あの日から、セブルスが私を一人で行動させることはまったくと言っていいほどなくなった。最早お手洗いくらいしか一人の時間がない。これっぽちも信用されていないようだ。
ディメンターとの戦いの後、ポッターが私を漏れ鍋へ送り届けてくれたらしい。そこでひと悶着あったことは主人のトムさんから聞いているが、詳しくは分からない。何故ポッターに連れられ帰ってきたのか問い詰められたのは説明するまでもないだろう。
ヴォルデモートの件は私とダンブルドアだけの秘密なのでセブルスにも話すわけにはいかず、何の説明もしないことへのフラストレーションがこうした監視体制となって跳ね返ってきている状況である。
「そんなに心配しなくても、もうどこにも行かない。大丈夫よ?」
「そう言って何回危険な目にあってきたと思ってる。信用できない。」
「う、…それは、その…ごめんね。」
心当たりが多すぎて反論もできない。ぐうの音もでないとはまさにこのことか。ちょっと行き過ぎな気もするが、心配されることは素直に嬉しいので大人しくしていようと心に決めた矢先、
「え、きゃあ!」
「アリア!?」
視界がぐるりと回り景色が変わる。先ほどまで歩いていた景色とは打って変わって、何処かの空き部屋のようだった。背後に感じる気配へ向け呪文を放つ。
「待った待った、落ち着いてアリア!」
「……一体なんのつもり。」
予想ができなかったわけではないが、やはり私を連れ去ったのはジェームズ・ポッターだった。持ち前の反射神経の良さで呪文を避けたようだ、残念。
「少し話がしたかっただけなんだ、そんなに殺気立たないでくれよ。」
「なら普通に呼び止めればいいでしょう?またセブに怒られるじゃない。」
「普通に呼び止めたところで、君が素直に応じてくれるとは思えなくてね。」
「よくわかってるじゃない。」
「だからこうして誰もいない空き部屋へ招待したというわけさ。」
癇に障る話し方は相変わらずのようだったが、以前のような腹立だしさは感じなかった。私が変わったとダンブルドアに言われたけれど、これもその影響なのだろうか。
「…アリアと、こうして話せる日がくるなんてね。」
変わったのは私だけじゃない、きっと彼もそうなのだろう。以前よりずっと穏やかな空気を纏って優しい顔をしている気がする。
「あの日、漏れ鍋まで送ってくれたんでしょう?……ありがとう、助かったわ。」
「……いや、」
助けてもらってお礼も言わないのは気が引ける。素直になってみたはいいものの、視線をウロウロとさせ忙しなくローブの裾をいじっている。そんなに私の反応が意外だったのだろうか。
「アリア、君って本当に僕を戸惑わせるのが上手い。」
「なんのこと?…話がないなら、もう行くわ。」
「あー、待って!違うんだ、その…」
一体なんだというのか。引き止められ訝し気に見つめれば珍しく彼が悩んでいるようだった。いつも思うがままに行動しているイメージだったので新鮮な一面を垣間見た気がする。掴まれた二の腕がやけに熱い。
「君と、仲良くなりたい。」
「……え、」
「…今まで、たくさん酷いことしてきたと思ってる。償いだっていくらでもする、ごめん。」
「……いまさら、」
「…あの日、アリアに言った言葉に偽りなんてないよ。」
森の中での出来事が鮮明に思い起こされる。私を守ると、そう真摯に告げた彼と姿が重なる。何も言えないまま彼を見つめることしかできない。そんな私をそっと抱き寄せる、まるで壊れ物に触れるかのように。
「……アリア、」
意地を張っていたのは私のほうだった。
彼を信じたいと思う気持ちも、可能性のある未来も、全てを受け入れて進んでいこう。
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