「あ!アオキさん、いらっしゃいませ!」
「…どうも」
別のお客さんの料理を運ぶ途中で、今日も来てくれた常連さんとすれ違う。
常連さんは相変わらず疲れた顔をしているけれど、それでも今日は少しだけ元気そうに見えた。
ふと店の壁にかかった時計を見上げ、こんな早い時間にうちに来てくれたのかと気付く。
なるほど、きっと今日は仕事が早く終わったのだろう。
少し元気そうに見えた理由が、なんとなくわかった気がしてちょっとだけ口元が緩んだ。
あのテーブルにこのからしむすびを届けたら、アオキさんのお茶を用意しなくては。
早く用意してあげたくて、いつもよりも少し急いで座敷へ上がり目的の席まで向かう。
その後は、まだお客さんが疎なうちに一度休憩かな、なんて空になったお盆を手元で回しながらやや上機嫌で厨房に戻ろうとした。
「ナマエさん」
「あ、お茶ですね!すぐに…」
「いえ、そうではなく」
呼び止められたアオキさんから、これを、と箱を渡された。
パッと見はケーキでも入っていそうな、白い箱。
「今日はセルクルタウンで仕事だったので、貴女に差し入れを」
「え!?良いんですか?ありがとうございます…なんでしょう?」
「ムクロジのスイーツです」
白い箱の開け口には、確かにパティスリームクロジと書かれたシールが貼られている。
パティシエカエデのむしポケモンをイメージしたスイーツ。
ネットとかSNSでも話題になってて食べたいと思いながら、私が行く時はいつも売り切れでちっとも食べられなかった代物。
まさかこんな時に、というか、この人からもらえるなんて思ってもいなくて、箱を持つ手が思わず震える。
「ほ、本当に良いんですか?いや、あのずっと食べてみたかったんですけど…」
「ええ、お好きなものをどうぞ」
食べきれなければ皆さんで分けてください、と言われたが正直全部食べたいくらいだ。
いや、せっかくならアオキさんと一緒に食べたい。
甘いものが好きかはわからないけれど、この際だから思い切ってお願いしてみようか。
「あ、あの…もう少しで休憩なんです、だから…」
白い箱を持つ手が、もらった時より震えているのがわかる。
「その、アオキさんも一緒に、どうですか…?」
「…では、お言葉に甘えて」
アオキさんは少し驚いたような顔をしたけれど、口元を手で隠しながら私に辛うじて聞こえるくらいの声でオッケーしてくれた。
嬉しさのあまり思わずケーキの箱を放りそうになったが、ぐっと箱を待つ手に力を入れて堪えた。
少しだけ待ってくださいね、ともらったムクロジの箱を大事に、そっと自分の賄い席に置いて、急いでお皿とフォークの準備に厨房へと戻る。
いや、それよりも女将さんに今すぐ休憩をくださいと言うのが先だ。
エプロンに付いたかいがらのすずが、これまで聞いたことないほどに軽やかな音を立てているのは、私の心の浮き立ち具合を表しているのかもしれない。
「お待たせしました!お皿とフォークです」
アオキさんとの一連のやり取りは女将さんにばっちり見られていたらしく、厨房に戻って私が口を開く前に休憩して良いよと言ってくれた。
女将さんがお皿とフォークを2人分くれた時、なんだかとっても笑顔だったのは、どういう意味の微笑みなのかわからなくてちょっと怖かったけれど。
改めて開けてもいいですか、とアオキさんに聞いてムクロジの白い箱の開封する。
色形も様々、どれも可愛らしく美味しそうなスイーツに言葉を失った。
なんだか箱の中身の全てが、宝石みたいにキラキラ輝いて見える。
だからそれらの中から、どれか1つなんて選べない。
「…そんなに喜んでもらえたのなら、並んで買った甲斐がありました」
「え…?」
「いえ、いくつでもどうぞ」
その時に見せたアオキさんの顔は、いつもうちのご飯を美味しそうに食べてくれる時の顔とはまた違った。
嬉しそうで、優しい目をした彼の笑みに、私の心はまた早鐘を打つ。
それが、目の前の可愛いケーキやマカロンに胸が高鳴ってこんなにもドキドキしているわけではないことぐらい、私にもわかっていた。
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