「ナマエちゃんっていうんだ、可愛いね」


「あー、どうも…」


「きみがお酌してくれたら、もっとお酒が美味しくなりそうだけどなー」



今日は金曜日の夜。
次の日が休みだからって、普段よりもお酒についつい手が伸びてしまうお客さんが多い。
いつもこういうのは上手く躱しているつもりだけど、今日のお客さんは一段と粘り強い。
うちはそういう店じゃないんで、と言ってもなかなか引き下がらない。
あと、名前は3回くらい聞かれた。



「お客さん、追加の注文はゴーヤーチャンプルだけで良いですか?」


「うんうん、あとナマエちゃんのお酌があれば、ね?」


「だからそれは…」



大分、しつこい、そして相当酔ってる。
また後で来ますから、と言ってとりあえずこの場を去ってしまおう。
私が立ち上がろうとすると、ついにお客さんが実力行使に出た。
お客さんに腕を掴まれて、そのまま身動きが取れなくなる。
1番奥まった座敷の席では、声を上げたところで女将さんにも受付の彼にもこの騒がしさじゃきっと聞こえない。
プラスルとマイナンも、他の席のお客さんのところだ。
どう逃げようか、と考えながらお客さんを落ち着かせようと、あの手この手で声をかけても全然ダメだった。
酔ったお客さんの手の力は徐々に強くなるし、さっきよりも顔を近付けてくる。
お酒の臭いが凄くて、思わずしかめっ面をしてしまった。
少し距離を置こうと仰け反ると、エプロンのかいがらのすずが小さく鳴った。



「お客さん、あの、これじゃお料理持って来れないので」


「なんで出来ないわけ?」



まずいな、なんか怒らせた気がする。
その証拠に、掴まれた腕はその力を増して痛みを感じるようになった。
今までこんなことはなかったから、流石にヤバいと焦り始めた時。
掴まれていたはずの腕が、何故かいとも簡単にするりと抜けてしまった。
私に影がかかり見上げれば、あの、常連さん。



「彼女が困っています」



アオキさんが、私の腕からお客さんの手を離させたようだ。
アオキさんの良くいる席からこの席までは、そんなに近くもないはずなのに、何故か彼は私を助けてくれた。
食事の時以外は、表情があんまり変わらないからわからないけれど、多分怒っている、と思う。
いつもとは違う角度から見る彼の横顔に、また私の胸の奥にあるものがどくんと波打つ。
それは前みたいにすぐに収まるものではなく、段々と速くなって、ついに息が詰まりそうになる。



(な、んで…?)



今の状況にも、自分の気持ちにも追い付けなくてしばらく頭が回らなかった。
酔ったお客さんもとうとう頭に来たのか、勢いよく立ち上がって表に出ろ、だとかポケモン勝負で決着つけたる、だとか騒ぎ始めた。
アオキさんもアオキさんでお客さんのそんな態度に、自分は構いませんが、と言ってその水色のネクタイを締める仕草をする。
ここで、ようやく私の頭は動き出した。
それは、やめてほしい。
店として困るから、この2人を止めなければならない。



「あー!あの!お料理冷めちゃいますから!お2人とも!座って召し上がってください!」



2人の間に入って両手で制止をかける。
すると、興奮冷めたお客さんはやっと静かに座ってくれたし、アオキさんはさっさと自分の席に戻っていってしまった。
もういろいろありすぎて、まだ頭の整理ができないけれど、何はともあれアオキさんのお陰でなんとかなった。
けれど止めるのに精一杯で、お礼の一言も言えていない。
その足で彼の座る席へ行こうとすると、今度は別のお客さんに呼ばれる。
今じゃないのに、と下唇を噛み締めながら、ただいま、と返事をして、アオキさんの席とは真反対へと歩いて行った。




back / next

cover
top