Sucreve
やみ
「んん〜?こんな夜更けに一体何処へ行こうと言うのかなぁ?」
背後から聞こえた声に私は足を止めた。軽い調子の癖に妙に低いその声に全身の毛が総毛立ち、背筋を冷たい汗が流れる。
微動だにしない私にかつりかつりと足音が近付いてくる。そうして肩を掴まれ、振り向かされた。立っていたのは、鶴見さんだった。
琺瑯の額当てに燭台の灯りが反射してきらりと光る。隙間から見える瞳もぎらぎらと光を放っていた。
「何処へ行くんだ、と私は聞いているんだぞ?その小さなお口は飾りかな?」
つい、と唇を爪の先で撫でられる。ぞくりと走った怖気に一歩、後退った。
「…………少し、散歩を……」
「ほう?ならば私も付き合おう」
「……っ」
「どうした?私が行っては不都合があるのか?」
「…………い、え」
腰に手を回され、しっかりと抱き寄せられた。整髪料の香りが鼻をつく。鶴見さんの匂いだ。
「ほら、行こうか」
鶴見さんの言葉に、手に従い歩く。玄関の扉を開いた先は暗闇で、何も見えない。新鮮な夜の空気が肺を満たした。
そのまま少し歩き、鶴見さんが空を見上げて言った。
「うんうん、いい夜だなぁ。新月だから月も無い。人里離れた山だから明かりも無い。……こんな真っ暗な夜に、お前は一人で散歩をするつもりだったのか?」
「…………」
次第に低くなる声。全て見透かされている。
しかしそれを認めるわけにはいかなかった。そんなことを言えば、私はどうなるかわからない。
「なぁ、私は聞いているんだよ。この可愛らしいお耳は聞こえていないのかな?ならば要らないから取ってしまおうか」
「!」
耳に吐息を感じたかと思えばぬるりと温かなものが這った。舐められた、と気付くのに時間がかかった。
鶴見さんはふと私の手を握り、親指で甲を撫でた。ひどく冷たい手だった。くるりくるりと撫でられて、ぐ、と爪を立てられる。鈍い痛みが手に走った。
「……ああ、そうだなぁ。この白いお手々が無ければ扉を開く事も出来ないし、その細いあんよも無ければ勝手に何処かへ行ってしまう事も無いなぁ。……ないないしてしまおうか?」
「…………っ」
鶴見さんの声は本気だった。是も非も答えられず、ただ恐怖に震えていると「おや、寒くなったのか?戻ろう」と部屋へ連れ戻される。
寝台へ座らされたかと思うと、にっこりと笑みを浮かべた鶴見さんに頭を撫でられた。
「さぁ、おやすみ。また明日」
そう言い残して鶴見さんは部屋を出て行く。ばたん、と閉じられた扉に錠のかかる音がした。
やっと緊張が解けて息を吐く。手の甲に残った細い三日月のような爪の跡が、じんじんと痛みを訴えていた。
終.
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