Sucreve
ずるい×3!


『熊の脂を塗ると傷が残らないんだ』
脱走兵の頬を見た女は、アイヌの少女の言葉を思い出していた。
「……頭巾ちゃんのあの傷、痛そうですよね」
ぽつりと女が言って、アイヌの少女が「そうだなぁ」と返した。
「確かにまだ生々しい感じだしな」
「熊の脂って、もう意味無いですかね」
「うーん……。傷が出来てすぐなら意味があると思うけど……塗ってみるか?分けてやるぞ?」
「いいんですか?」
「頭巾ちゃんが大人しく塗らせてくれるかどうかわからないけどな」
「……やるだけやってみます」
アイヌの少女から熊の脂を受け取ると、女は脱走兵に近付く。
「?」
脱走兵はフンフンと女の持つ物を気にしているようだった。
「これをね、頬に塗ってあげたいんだけどいい?」
「…………」
首を傾げる脱走兵に女は思案する。薬のようなものなのだがどうしたら伝わるだろうか。
暫し考えて、女は身振りで示してみることにした。手の甲を柱に軽く当てて、悲しそうな顔をしながら「痛い」とそこをさする。それから熊の脂を少しだけ塗り、「もう痛くない」と笑みを浮かべて見せた。
「というわけで、これを、貴方の頬に、塗りたいの」
「…………」
区切ったところでそれぞれを指さしながら女が言った。脱走兵は女の様子を黙って見ていたが、少なくとも自分に害のあることは無いようだと判断したらしくじっとしていた。
それを了承とみなし、女は熊の脂を指に取ると、ゆっくり脱走兵の頬につけた。痛みはあるのだろうか。出来るだけ負荷をかけすぎないようにと優しく女は熊の脂を両頬に塗ってやった。
「どうかな」
てか、と光る頬を見て女は満足そうだった。脱走兵はそろりと頬に手を伸ばし、指先についた脂が何であるか確かめるように人差し指と親指を擦り合わせ、匂いを嗅ぐ。さしていい匂いではなかったのだろう、眉根を寄せ、不快そうな顔をした。
「きっとこれでよくなるよ」
柔らかな笑みを浮かべる女に、脱走兵は頷いた。言葉は通じていない筈なのに、その頬はほんのりと赤く染まっていた。





そんな、甘ったるい空気の二人を見つめる者達がいた。片方はアイヌの少女と坊主頭の男だった。二人はにやにやと楽しそうな笑みを浮かべている。
「仲良しだなぁ、あの二人は」
「全く、スウィートだぜ」
飴を一つ口に入れながら坊主頭が言った。意味がわかっているのかいないのか。アイヌの少女もうんうんと首を動かす。
「……ずるい」
甘やかな空間とは対照的に、地を這うような低い声がした。
二人を見つめていたもう片方、軍帽を被った傷だらけの男がぎりぎりと血が出そうな程唇を噛んでいた。
「どうした杉元ぉ、また嫉妬か〜?」
「小さい男だよなぁお前」
「ううううるせぇなぁ!別に嫉妬とかじゃねぇよ!」
そう言い返すがどう見ても嫉妬である。女が脱走兵に近付いた時から射殺しそうな目で脱走兵を睨みつけていたし、女が熊の脂を塗り始めた時など血が出そうな勢いでその両目を血走らせていた。
更には「いざという時に」と握り締めていた銃剣がみしりと嫌な音を立てた。その様子は幾ら本人が否定しようとも嫉妬以外の何でもない。
「杉元も塗ってもらえばいいんじゃないか?」
「な!?」
「お、そりゃいいな。おーい」
坊主頭が女を呼ぼうとしたが、女はしー、と唇に真っ直ぐ伸ばした人差し指を当てていた。いつの間にやら、女は脱走兵に膝を貸してやっていた。脱走兵は満足そうに目を閉じて、眠っているようだった。
「ちょっと見ない間に何があったの!?」
「本当仲良しだなお前ら」
「ずるいずるいずるいずるい」
「皆さんが話してる間に眠くなっちゃったみたいで」
この状況を何とも思っていないのだろう、女は言った。その手は脱走兵の頭をゆるゆると撫でており、幼子に向けるような優しい表情を浮かべていた。
「……ずるい」
うっすら涙を浮かべて杉元が呟く。その声は女には届かず、少女と坊主頭に無言で肩を叩かれるのだった。


終.

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