Sucreve
視差
ヴァシリが夢主を抵抗出来なくして露に連れて帰る話。
若干のグロ注意。
「そうか、おめでとう」
アイヌの少女は言い、軍帽を被った男も「いつの間にそんな関係になってたんだよ」と言いつつ嬉しそうだった。坊主頭の男は「お似合いだぜお二人さん」と野次を飛ばすように笑みを浮かべ、両手の人差し指を伸ばしていた。
三人の目の前にいるのはとある男と女。男はロシア軍の脱走兵で、女は日本人だった。ひょんなことから二人を一行に加えて旅をしていたのだが、どうやらこの男女は好い仲になっていたらしい。脱走兵が身振り手振りと、得意の絵で『彼女を連れてロシアへ帰る』といった事を伝えていた。
何かしらの意思表示なのか、風習なのか。それまで脱走兵が被っていた頭巾は女の頭につけられていた。代わりに脱走兵は襟巻きで口元を隠していた。更に寒くないようにだろう、女には外套が巻かれ、脱走兵はその傍らにぴったりと寄り添っていた。
別れを惜しんでいるのか、それとも男と一緒になれる嬉し涙か、女はその両の目に一杯の涙を溜めていた。それが零れる事のないよう我慢しているようで、女の頬は震えていた。
「それじゃあここでお別れだな」
「また縁があったら何処かで」
「元気でね」
アイヌの少女と軍帽を被った男、坊主頭の男が口々に言う。女が何か言いたげにしたがその口からは何も発せられる事は無かった。
手を振り、去って行く三人。時折振り返り、また大きく手を振る。暫く経ち、三人が見えなくなってから脱走兵は目だけで女に微笑みかけた。
「…………っ」
女が駆け出そうとしたが脱走兵がその襟首を掴み、止める。首を絞められるような形になり女はくぐもった声を漏らした。
「!」
つぅ、と女の目から涙が溢れた。それは一度流れ始めると止まらず、後から後から涙は流れ続ける。
脱走兵はそれを親指で拭ってやりながら女を腕の中におさめた。女が抵抗しようとしたので、脱走兵は先程まで女の背に当てていた銃口を女のこめかみに当てた。女はびくりと身を竦ませて、抵抗をやめた。
「Хорошая девочка」
そう呟いた脱走兵が女の頭巾の、口元を外す。女の唇の上には小さな×が八つ並んでいる。昨夜脱走兵が縫い合わせたのだ。嫌がる女を押さえつけ、拳銃を向けて抵抗する気を削ぎ、ちくりちくりと一針ずつ縫い合わせたのだ。余計な事を言えないように。
血は乾き、女の唇を赤黒く彩っている。縫い合わせた糸も血を吸って同じ色になっていた。
脱走兵は女を馬に乗せると自分もその後ろに乗り、祖国へ向けて歩き出す。泣きじゃくる女の頭を脱走兵は片手で撫でた。
女がもぞりと肩を揺らす。脱走兵が外套をめくると後ろ手に縛られている手首が鬱血していた。恐らく痛むのだろう。しかし脱走兵はそこを軽く指先でなぞるだけで何もせず外套を元に戻した。
脱走兵にとっては天国への道。女にとっては地獄への道。止める者は誰一人としていなかった。
終.
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