Sucreve
或る絵師と娘の話



刺青パロ。パロディ?
細かい事は考えてないけど時代設定は江戸くらい。
直接描写してないけど最終的にヴァシリが夢主を殺します。









ヴァシリは一目惚れした。その相手は顔も何も見えなかったが、確かに美しい女だとヴァシリは思った。
ヴァシリが娘を見初めたのはとある店の前だった。娘は顔を覆うように頭から布を巻いていた為に、見えたのはその白く細い手首から先だけだった。
透き通るような肌。握り締めれば容易く折れてしまいそうな手首、その先に生えた五本の指。それを彩る桜色の爪。
たったそれだけの部分が至極豪奢な物に思えた。ヴァシリはそれとなく娘の後を尾け、娘の住処を辿った。
娘が住んでいたのは長屋だった。顔を出してはくれないか。その手だけでもいい、もう一度見せてはくれないか。曲がり角に身を潜める様に立ち、じぃ、と窓を凝視する。日も傾き、月が昇り、最早今日は叶わないだろうと思われてもヴァシリは待った。只管に待った。
結局その場で夜明かしをして、日が昇る頃、漸くその願いは叶った。娘が窓を開け、その手を、顔を、ヴァシリの眼前に晒したのだ。
覆い隠すものなど無いままに、娘の白い腕が、美しい顔が、朝日に照らされ、ヴァシリの目に焼き付けられた。
美しい、という言葉では足りなかった。ヴァシリが持っている言葉全てを使ってもその光景を表現することは出来なかった。それくらいに衝撃的な光景だった。
娘はすぐに引っ込み、それから出てこなかった。それでもヴァシリは其処を動けなかった。受けた衝撃が強く、また、娘を見たいという願望がヴァシリの足を地に縫い止めていた。
「行ってきまーす」
「!」
娘が玄関から出て来た。家人にだろう、声を掛け、軽い足取りで何処かへと向かう。今日は布を被っていないので、その姿形を全て見る事が出来た。自分よりも小さな体躯で歩いて行く娘にヴァシリの目は釘付けだった。
とことこと歩いて娘は店に入って行った。其処は団子屋だった。ヴァシリは店に入るわけではなく、遠くから様子を窺う。
一人の客が店に入ると、娘の「いらっしゃいませー!」という元気な声が聞こえてきた。どうやらこの店で働いているらしい。店先の長椅子に座った客に茶や団子を出したり、道行く者に声を掛けたりとちょこまか動き回る。
元気な娘だ、とヴァシリは好感を持ち、同時に興味を持った。もっとあの娘の事を知りたいと。

    ◆◆◆

ヴァシリは絵師だ。主に遊女や役者の絵姿を描いていたが頼まれれば一般の人間でも描いた。売れっ子というよりは固定客が多く、そう稼いでいるわけではないがそれでも絵一本で食っていけるだけの腕があった。
娘を見初めてからというもの、ヴァシリが描くのはあの娘ばかりだった。しかしそれがどうも巧くいかない。それはヴァシリにとって初めての事だった。
覚えていないわけではない。娘の姿は瞼に、脳裏に焼き付いている。目を閉じても何をしていても娘の姿は記憶から消えない。
それなのにいざ紙に向かうと、筆を手にするとその記憶は霧散する。今までそんな経験の無かったヴァシリはその理由がわからなかった。初めての事にヴァシリは困惑していた。
記憶だけで人を描く事はあった。客と共に芝居を見に行き、後程その姿を描く事もあった。なのに今はそれが出来ない。自分でも不可解でたまらなかった。
ヴァシリは絵描きの道具を手に家を出た。向かったのは娘の家だった。夕暮れに染まりつつある道を辿り、娘の家の見える角に身を潜めた。
娘が丁度、帰宅したところだった。「ただいまー」と家に入りゆくその一瞬、娘はヴァシリの存在に気付いたが特に気に留める事もなくそのまま家に入って行った。
今、ほんの数秒前に見たのだから描ける筈だとヴァシリは画板に紙を広げる。しかしやはり手は動かなかった。
日が暮れて、月が昇る頃になっても、ヴァシリは何も描かれていない紙を前に思い悩んでいた。何故あの娘を描く事が出来ないのだろうかと。答えも解決策も見えぬままのヴァシリに声を掛けたのはあの娘だった。
「あの……」
「!!」
いつの間にか夜が明けていた。ヴァシリは辺りを見回すとおろおろと道具を纏めて立ち去ろうとしたが出来なかった。うっかり躓き、道具をばら撒いてしまったのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
娘は困惑しつつもヴァシリが道具を拾うのを手伝った。絵筆やなんかがあるのを見て、「絵師さんなんですか?」と小首を傾げた。
娘の問いかけに、ヴァシリは頷いた。それを見た娘は「凄いですね!」と顔を綻ばせる。
「どんな絵、描かれるんですか?」
筆を渡してやりながら娘は訊いた。ヴァシリは一瞬考え、近くを歩いていた野良猫の絵をさっと描いて見せた。
「うわ、早い。凄い、可愛い……」
出来上がった絵を見て娘は感嘆の声を上げた。描く速度は勿論、絵の中の猫は愛らしく、目の前で描かれたというのに信じられないといった様子だった。
「…………」
ヴァシリはその絵を娘の方にやる。押しつけられたそれに娘は首を傾げた。
「…………」
無言のままぐいぐいと押され、娘は「くださるんですか……?」と呟いた。
ヴァシリはこくりと頷くと、娘の手を取る。
「え、あ、あの……?」
その空色の瞳に焼き付けるように、ヴァシリは戸惑う娘を見詰めた。これならば娘を描けるのではないだろうか。しかし目を閉じるとその姿はぼんやりと消えてしまった。
「…………」
目を開けば確かに娘は其処にいた。手を握っているのだから、何処かへ行ってしまうような事は無い。故にそれは当然だった。だのに瞼を閉じてしまうと周りの風景は蘇るのに、娘の姿だけが残らない。霧がかかったような、煙に巻かれたような、靄が其処にあるだけだった。
「あの……?」
「…………」
流石にヴァシリの様子を不審に思った娘が口を開くと、ヴァシリは娘を指さし、すぐに紙を指さした。
「……?」
何か伝えたい事があるのだろうと娘は考える。しかしよくわからない。
するとヴァシリは先程猫がいた辺りを指し、娘に渡した絵を指した。そしてまた娘を指して、紙を示す。
「……私を描いてくれるんですか?」
暫くして娘が言う。伝わった、とヴァシリは何度も頷いた。

    ◆◆◆

突然のヴァシリの申し出ではあったが、娘はそれを受け入れた。結果、娘の都合のよい日、時間にヴァシリの住む家に通うようになった。
目を閉じれば消えてしまう存在でも、目の前にいれば描く事が出来た。だが、それは決して納得がいくものではなかった。
今日描いた娘もそうだった。足を崩して座った娘を描いた。しかし納得がいかず、ヴァシリは紙を丸めて投げてしまった。
「…………」
娘はそっとそれを拾い、広げて見る。墨が乾く前だった為に線が擦れ、黒い点が散っている。丸められた事により皺が寄っているが、娘から見れば充分に描けていると思えた。
「…………」
娘はちらりとヴァシリを見た。ヴァシリはまた新しい紙に向かい、娘と紙の間で視線を何度も往復させる。此処まで真剣だというのに、ヴァシリは何が気にくわないのだろうかと娘は溜息を吐いた。
「……あ、あの、私そろそろお暇しますね」
立ち上がると戸の方を指しながら娘が言う。窓から入る光はいつの間にか夕暮れのそれに変わっていた。ヴァシリは娘を見上げた。赤い光に照らされた娘を見て、ヴァシリがその空色の瞳を大きく見開いた。
「どうしました……?」
娘の白い肌が、柔らかな頬が、細い手首が赤色に染まる。ああ、自分が描きたかったのはこれだったのかとヴァシリは手近にあった小刀を取った。

    ◆◆◆

或る所に、一人の男がいた。男は絵師で、頼まれればどんなものでも描いた。
男の元には一幅の掛け軸があり、それは一人の娘を描いたものだった。鉄錆色で描かれた娘はまるで生きているかのような美しさだった。
幾らでも出すから掛け軸を売ってくれという声もあったが、男は決して首を縦に振らなかった。傍らに置いてあった絵の具皿は、気味が悪い程真っ白だったという。



終.

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