Sucreve

愛という名の暴挙


胃が痛い。原因は勿論明日が月曜だからということだ。
仕事なんてしたくない、何もしたくない、上司も同僚も後輩も嫌いだ、嫌だ、私はあそこにいるべきじゃない。
毎週日曜、ぎりぎり痛む胃を押さえながらやってくるのはライモンシティにあるバトルサブウェイだった。イライラともやもやを解消するのにはバトルが一番楽だった。バトル中は目の前の戦いのことだけ考えていればいいから。
単純作業がいいよなんて聞いたから孵化作業とかしてみたけれど単純すぎて嫌なことばかり考えてしまう。だからひたすらに戦うだけでいいバトルトレインが好きだった。
シングルトレインに乗り込み、さくさくと勝ち進む。スーパーでないのはいくらバトルが好きでもそこまで廃人じゃないから。あと負けたら負けたでストレスが溜まるから。
そんな理由で辿り着いた七両目。黒いコートを纏った彼は私を見て少し眉を下げた。けれどすぐにいつもの仏頂面に戻り、お決まりの台詞を言う。
「本日はバトルサブウェイご乗車ありがとうございます。わたくしサブウェイマスターのノボリと申します」
サブウェイマスターの彼と戦うのが、私の唯一のストレス解消だった。

  ◆

「ブラボー!!」と叫びながら手を叩く彼に「ありがとうございます」とお礼を言って座席に腰を下ろした。バトル中は忘れていた胃痛も終わればまた私を苛む。きりきりと、じくじくと。
「わたくしに勝っても喜ばないのはあなたさまくらいのものでございます」
不満そうに言いながらノボリさんも隣に座った。今日は早めにノボリさんを倒せた気がする。
「……未だ、お仕事お辛いのでしょうか」
ぽつりと問われる。ノボリさんの所に辿り着いたのは今日が初めてではない。何回目だろう。結構な回数ここまでやってきている。
それは別にBPが欲しいわけではなくノボリさんに勝ったという栄誉が欲しいわけでもない。先述の通り、ストレス解消の為に戦いまくっていたらいつの間にか来れるようになっていつの間にか倒せるようになっていたとかいうだけだ。
そんなことをノボリさんに話したのは何回目の勝利をおさめた時だったか。ノボリさんに勝って、いつもの口上を聞いてあとは終点まで待つだけだと思った時だった。
普段はそのままバトルについての話を少しするだけだったのが、その日は違った。『いつもいつも鬼気迫る表情で戦っておられますが、何かございますでしょうか』と訊かれたのだ。
楽しむわけでも切羽詰まるわけでも恐怖するわけでも高揚するわけでもなく無の感情のまま自らの全てを叩きつけるような戦い方をされるとこちらとしても不安になりますとまで言われてしまい、ぽつりと仕事が辛い話をした。それ故に何も考えたくなくて、無茶にも近い戦い方をしているのだと思う、と。
それを聞いた時、ノボリさんはへの字の口を更に尖らせて『それはよろしくありませんね』と言った。
『勝負というのは楽しくあらねば。発端がストレス解消というのでも構いませんが、終わった時の感情は喜か楽であっていただきたいものです。例え出発が哀や怒であっても』
そう語るノボリさんは高潔な人に見えた。そんなに純粋にバトルを楽しんでいるとは。ストレス解消なんかでここに来ちゃいけないんだな、と思った。
もう来るのはやめようと思ったけれどその帰り際、『またのご乗車お待ちしております』と柔らかな笑みで言われてしまったら来てしまうのは致し方ないことだと思う。例え営業スマイルだったとしても。それくらい、彼の表情は優しいものだった。
以来バトルが終わると終点に着くまでの時間を雑談で埋めるようになった。その時間は結構好きだった。
「未だお仕事続けてらっしゃるのですか?」
隣に座ったノボリさんの質問に「辞めるわけにもいかないんで」と返す。するとノボリさんはとても心配そうな顔になった。
その表情に余計申し訳ない気分になる。ノボリさんはいい人だ。とても優しい。だからこんなただのトレーナーの私にもよくしてくれる。それもまた少しばかりのストレスになってじくりと胃が痛んだ。
「わたくしではあなたさまの支えになれないでしょうか」
私の心中を知ってか知らずかノボリさんが言った。思わず「え?」と聞き返すと「ずっとあなたさまをお慕い申し上げておりました」と言われる。
「……」
ノボリさんの言葉が理解出来ない。慕う?誰が、誰を、何で。
顔に出ていたのかノボリさんは「最初はただの心配ではありましたがいつしかあなたさまの支えになりたいと願うようになりました。ええ、あなたさまとお話する度にわたくしからのあなたさまへの想いは強くなる一方。どうか、わたくしにあなたさまを守らせてはいただけませんか」と語った。
あまりに突然の告白に私は戸惑いながら首を横に振る。だって、彼はサブウェイマスターだ。私みたいな一般人が隣にいていい相手じゃない。
大体ノボリさんの感情はただの同情だ。私が可哀想だからそんな風に思っているだけだ。それを好意と勘違いしているだけだ、きっと。
ごめんなさいと小さな声で謝るとノボリさんは肩を落とした。
その目がひどく悲しくて、また胃がじりじりと痛む。少しでも痛みを逃せないかと服を握った。
「よろしければこちらをどうぞ」
そう言ってノボリさんが瓶を差し出す。何だろう、と手のひらを出すと白い錠剤を二つ乗せられた。
「胃が痛いのでしょう?楽になりますよ」
鎮痛剤か胃薬の類だろう。剥き身で薬を貰ったのは初めてだなと些か困惑していると水の入ったペットボトルを差し出された。用意周到っていうかどこに入ってたんだこれ。ポケット?
まぁどうでもいいや、と有り難く薬を飲んだ。冷たい水の中に小さく固い感触が喉を滑り落ちる。
何故か、ノボリさんは私の事を見ていた。じっと、まるで監視するように。
「……楽になった気がします」
「即効性ではありますがそんなにすぐに効果は出ませんよ。……出ていただきたいですが」
心配してくれているのだろう。だからそんなにじっと見ているんだ、と自分に言い聞かせるが妙な違和感が拭えない。どうして、この人は私を見つめているのだろう。
「……、何、ですか」
不意に片手を握られた。ノボリさんの手を包む手袋はどこかしとりと湿っていた。バトルで興奮してくれたのだろう。そうでなければ手袋が湿る程汗をかく理由なんて無い筈だ。
「ノボリ、さ……ん……?」
何で、手を、と尋ねようとしたが上手く口が動かない。ぐら、と身体が傾ぐ。何だ、これ。
「ああ、効いて参りましたね」
倒れそうになったのをノボリさんの腕がしっかりと抱き留める。ふわ、と香ったのはさっぱりとした洗剤の香り。
段々と思考が鈍る中、眠気に襲われているんだとやっと理解した。どんどん身体に力が入らなくなっていく私を抱えながらノボリさんは嬉しそうに言った。
「即効性ではありますがどれくらいで効果が出るか、個人差がありますのでわたくし大変不安でございました。もし効かなかったらどうしようという意味でも」
ノボリさんは何を言っているんだ。即効性?さっきの薬か?あれは胃薬の類じゃなかったのか?この人は私に何を飲ませた?
「わたくし、あなたさまに一つ忠告を。例え素性も顔も知っているからといって、本性の知れない相手から貰った薬なぞ口にしてはいけませんよ。……まぁ、既にご理解いただいているでしょうが」
私を抱くノボリさんの表情は甘かった。頬に手を添えられ親指で目元をなぞられる。
「……隈が出来ておりますね。それに前回お会いした時よりも痩せてらっしゃるのでは?食事もあまり摂られていないのでしょう。……ですがどうぞご安心ください、わたくし、二度とあなたさまをこのような目には遭わせないと誓いますので」
うっとりとした口調で言われてそら恐ろしくなった。人に変な薬を飲ませて何でこの人はこんなに嬉しそうなんだ。
「そろそろ駅に着きますね。わたくしたちの始まりの地でございます。……少しだけ手荒な真似をすることをお許しください」
思ったよりも効きが悪いとノボリさんはさっきの瓶から薬を取り出し、私の口に押し込んだ。幾つか指先で砕いたのだろう、ざらりとした粉を喉の奥に塗り込める。粒のままのものはそのまま胃袋へと落とされる。
彼の長い指で気道を塞がれて苦しくなるがまともな抵抗は出来ない。
一気に眠気が強くなり、瞼が下がる。眠ってはいけないと本能が訴えるが薬によって引き起こされる眠気に抗えるわけもなく。
「さ、おやすみくださいまし。次に目が覚めた時はあなたさまを苦しめる一切のものから解放されておりますよ」
その言葉を最後に私の意識はブラックアウトした。


end.

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