chapter1 03

酒場の女主人、ルイーダに紹介されたのは、昨日ケンカをあっという間にかつ力尽くで収めてしまったあの青年だった。一人で屈強の男二人を軽々とのしてしまった手際の良さは見事としか言えなかった。
青年は、アイクというらしい。相変わらず不思議な服を身にまとっている。


「よう、昨日ぶりじゃねーか! お前、僧侶だったんだな」


「はぁ、まぁ……あなたが僧侶を探している方だったのですか」


最初こそ目を丸くして驚いていたアイクだったが、紹介された相手がシルフだと知るやいなや、昨日同様、人懐っこそうな笑顔を浮かべ、気さくな口調で話しかけてきた。


「それにしても何でまた黒騎士退治なんて……」


「あーそれは、俺にもいろいろとフクザツなワケがあってだな……まぁこんなところで立ち話も何だし、とりあえず……」


アイクは酒場を見渡す。酒場が賑わっているのはいつものことだが、今日は一段と混み合っている。時間帯的にもお昼近くの今はかなり混雑する時間だった。空いている席もテーブルも見あたらない。
席に座るのは無理だと諦め、アイクは、シルフを振り返る。


「……とりあえず王の話聞きに行くってことで良いか? ワケも途中で話すからさ」


まぁ話せる範囲でだけどな、とアイクはぼそっと付け足す。
どうやら何か事情がありそうだ。しかし、知り合って間もない相手にさすがにズカズカと踏み込んだことを聞ける程、シルフも野暮ではない。
だから、その場では頷くに留めた。


「分かりました。では、城へ向かいましょうか」


この不思議な青年――アイクが一体何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。着いていけば多少なりとも彼の人となりが見えてくるはずだ。
それにしても黒騎士退治とは、さすがに荷が重い気もしたが、アイクが探していたのは僧侶である。シルフに求められているのは戦いや武器のスキルではなく、回復能力だろう。
これに加えて戦士か魔法使いでもいればパーティとして尚のこと心強いのだが――シルフは昨日喧嘩が起きる前に酒場で聞こえてきた、とあるパーティの会話を思い出す。黒騎士退治に気乗りしない者が大多数の中、果たしてついてきてくれる者がすぐに見つかるかどうか。仲間探しをしていたら、いつまで経っても目的の黒騎士を退治しに行けそうにない。
それに本気で黒騎士退治をしたいという者がいたとしても、それはよっぽどの力自慢か命知らず、あとは馬鹿くらいのものだろう。
――目の前の青年はどれに当てはまるだろう。
ケンカが強いのは酒場で証明されている。豪胆さもある。仲裁をした時のやり取りからして愚かな人物ではないことは確か。しかし、これらの情報だけでは黒騎士退治の動機として少し弱い気がした。
アイクは、なぜ黒騎士退治をしようと思ったのか――。


「お、おい! シルフ!」


「はい?」


返事をした瞬間、何かがぶつかる衝撃を受けた。訳も分からないまま重力に従って地面へと体が傾く。


「シルフーーーー!!」


アイクのかなり焦った絶叫が聞こえる。そういえば、まだあのことを話していなかったな、と思いつつ、尻餅をついたシルフは何とか状況を把握しようと目を開ける。するとそこには犬がいた。
――なぜ犬が。しかも、かなり大きい。
胴に思い切りタックルをかましてきた正体を知り、シルフは途端に気が抜ける。
こんな街中で真っ昼間から暴漢が出るわけがないが、しかしまさか犬に襲われるとは思わなかった。
犬はなぜか大変嬉しそうな様子でシルフの顔をべろべろなめ回した。……威嚇して唸られるよりはマシ、だと思いたい。


「だ、大丈夫か? シルフ……」


アイクが気の毒そうな同情の眼差しを向けている。大丈夫だなんて冗談でも言えるわけがなかった。
シルフを襲っているのが魔物ならすぐに撃退させるのだが、相手は人畜無害な犬である。
犬になされるがまま顔中を舐められるシルフを、アイクもどうしたら良いのか分からず動けないでいると――。


「すみませーん! うちのワンちゃんがご迷惑を……」


犬の飼い主らしき親子がパタパタと駆け寄ってくる。そこでようやくシルフは犬の舐め回しから解放され、ハンカチで顔を拭うことが出来た。


「おにいちゃんごめんね、ぼくがリードから手を離しちゃったから……」


母親と共に駆け寄ってきた小さな男の子は、しゅんと落ち込んだ様子でシルフに謝る。


「いえ、何てことはありません。こういうことは慣れていますから」


男の子に悪気がないのは一目瞭然なので、シルフも責めるつもりはなかった。
親子はずっと謝りながら去って行ったが、シルフとしてはこのようなとばっちりは日常茶飯事なのであまり気にしていない。不幸なハプニングはシルフにとって良くあることだからだ。
街を歩けば犬と衝突事故を起こす。
はたまた二階のベランダで鉢植えに水やりをしていた奥さんの手元が狂い、シルフの頭上にのみ局地的大雨を記録する。
しまいには、坂の上からこちらに向かってタルが勢いよく転がってくる始末。


「なぁ、シルフ……なんか今日、すっげぇツイてないような気がするんだが……それって俺の気のせいか?」


最後に転がってきたタルについては、アイクが手持ちの剣で木っ端微塵に大破してくれたおかげで、シルフにもそして周りにも被害が及ぶことはなかった。


「そうですねぇ……私としてはケガをする前に貴方が未然に防いでくれるので、むしろいつもよりツイている気がしなくもありませんが……」


「ちょっと待て、シルフお前……まさかいつもこんな危険と隣り合わせな生活してんのか?」


そのまさかだったりする。


「お話するタイミングがなかなか掴めず申し訳ありませんでした。実は私、不幸を招き寄せる体質らしいのです」


「えっ、フコウって……あの不幸?」


「はい、不幸せの不幸です。不運とも言えます」


アイクは驚き戸惑っている。これが戦闘中であれば、しばらくの間行動不能間違いなしである。


「私が言うのも何ですが……今まで引き寄せた不幸を被ってきたのは私だけで、そのせいで周囲の人を巻き込んだことはありません。そこはご安心ください」


シルフは努めて穏やかに告げた。そう、この不幸を被るのはシルフに限った話で、そのせいで周りの人間にも不幸を振りまくなどということは一切なかった。いや、シルフを助けるためにアイクがタルを壊さざるを得なくなったという意味で、アイクに迷惑をかけていることにはなるが。
しかし、ケガ人を出したことがないのは事実である。
そこでアイクは少し考える素振りを見せたが――。


「いやいや安心出来ねーわ!」


幸の薄すぎるシルフの発言に、当たり前といえば当たり前なツッコミを入れたアイクであった。
でしょうね、とシルフも心の中で同意したのは秘密だ。

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