008

初めて訪れるイーリスという国に、フィオルは驚かされっぱなしだ。
老若男女問わず、様々な人々が行き交い、市場はお祭りのような賑わいを見せる。どこからともなく美味しそうな匂いが漂い、ペレジアでは見たこともないような色とりどりのお菓子が店先をかわいらしく彩る。その甘い匂いに誘われて集まる少女達。だだを捏ねる半べその子供。通りには奇抜な格好で手品を披露する者もいた。
全てが新鮮で、不思議で、そして興味深い。
街全体に活気があり、平和を信じて疑わない、それがイーリスの王都だった。


「フィオルさん、ちゃんと前を見て歩きませんと危ないですよ」


「えっ、あ……」


周囲に気を取られる姿を見かねたのか、フレデリクが忠告すると、フィオルはハッと我に返った。キョロキョロとよそ見をしながら歩いていたせいで前を歩く人とぶつかりそうになっていた。ちなみに、フレデリクはフィオルとリズの後ろを歩いている。おかしな真似をしないか監視されているのでは、と思わなくもない。気のせいだと信じたい。
それにしても、今の自分は田舎者丸出しだっただろうか。フィオルは急に恥ずかしくなって咳払いをする。


「ごめんなさい、あんまり素敵な街だったから……王都には来たことなかったけど、とても賑やかね」


無意識にペレジアと比較してしまい、フィオルは故郷の荒れた王都を思い出す。先の戦争の傷も癒えぬままにクーデターまで起こってしまったせいで、街は荒れる一方。路頭に迷う国民も少なくはなかった。
だからこそ、王家がしっかりと国を建て直し、民を導いていかなければならなかったのに。


「えへへ、ありがとう。そう言ってもらえるとわたしも嬉しいな」


リズの嬉しそうな声音に現実へ引き戻されたフィオルは、その満面の笑みにつられて笑顔を返す。
ここは言わば城下町。城下の入り組んだ街を進めば、その最奥にはイーリス城がその存在を主張するように泰然と佇んでいる。遠目から見ても立派なもので、その威風堂々とした姿はイーリスの街を見守るかのようだ。


(あそこにイーリス王……聖王がいるんだわ)


今代の聖王は確か女性だったはずだ。つまり、今このイーリスは女王による統治が行われている。
活気溢れる城下町は、聖王の治世が安定している証だろう。


「人々が平和に暮らせるのは、きっと聖王が素晴らしい方だからでしょうね……」


「まぁね、私のお姉ちゃんだもん!」


「そうだったの、リズの……。……え?」


寝耳に水だ。
今、この少女は何と言ったのか。
不意打ちのごとく投げ込まれた爆弾に、フィオルは一瞬理解が及ばなかった。


「え……聖王って……え?」


そういえば言ってなかったっけ、なんて何でもないことのようにリズは決定打とも言える言葉を付け加えた。


「私のお姉ちゃんは聖王でね、で、わたしはこの国の王女なんだよ!」


“お姉ちゃん”の話をするリズは得意げに胸を張る。自慢の姉なのだろう。とても微笑ましいが、今はそれどころではない。フィオルの頭の中は混乱を極めるが、どうにか状況を把握しようとして頭を抱えた。


「ええと、リズのお姉様が聖王で、リズが王女様……ってことは、」


まさか、いや、まさかしなくても。
恐る恐る、視線をリズからその“兄”へと移せば、フィオルの言葉を引き継ぐ形でフレデリクがにこやかに、そして容赦なく告げた。


「こちらのクロム様はイーリスの第一王子であらせられます」


「…………」


故郷を逃れてきた先で出会ったのがイーリス王族の兄妹だなんて、そんな偶然あるだろうか。


「おーい、フィオルさん? どうしよう、完全に固まっちゃってる」


「驚きで声を失うのも無理もありません」


まさにフレデリクの言う通りなのだが、動じない姿を見るに、フィオルのこの反応は想定内だったのだろう。だったら初めから言ってくれないだろうか。


「すまない、自警団としての活動中はあまり肩書きを名乗らないようにしているんだ」


「そう……だったのね。ごめんなさい、少しビックリしてしまって」


クロムの言葉に何とか頷いたフィオルだが、心中は全く穏やかではない。
まさか、国のはずれの国境で助けてくれたのがイーリスの王女と王子だなんて、誰が想像出来ただろう。
そう考えると、助けた小汚い娘が敵国ペレジアの王女だったなんて、相手も思いはしないのだろうが。


(困ったことになったわ……)


イーリスとペレジアの王族同士、思いもよらぬ対面をしてしまったというわけだ。しかも、その事実を知るのはフィオルだけ。何とも心臓に悪すぎる。
フィオルはここに来て初めて故郷を飛び出したことを少しだけ後悔した。
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