009

もう、後戻りは出来ない。
重厚なカーペットを踏みしめ、フィオルは覚悟する。長く敷かれたカーペットの先にあるのは、イーリスでただ一人だけが座ることを許された玉座。そこに今腰を下ろしているのは言わずもがな、イーリス現聖王――名をエメリナといい、クロムとリズの姉でもある女性だ。
聖王エメリナは、クロムとリズの顔を見た途端、ホッとしたような笑顔で立ち上がった。そして、「お帰りなさい」と温かく出迎える。その慈しみに満ちた表情から、弟妹を心から愛しており、それゆえに心配もしているのであろうことが窺えた。物騒なこのご時世、自警団だなんて危険と隣り合わせも同然な活動を家族がしているのだ。むしろ心配するなという方が無理な話である。
クロムは、今回の遠征について聖王に報告すると言い、聖王のいる玉座の間へと向かった。城へ帰還したその足ですぐに聖王へ会いに行ったところから察するに、元気な顔を見せて心配性な姉を安心させるという目的もあっただろう。
リズはリズで、姉に会えるのをとても楽しみにしていたようで、フィオルに姉のことをいろいろと教えてくれた。
聖王と顔を合わせたことのないフィオルでも、とても仲の良い姉弟達であることは謁見する前から感じていた。
弟の報告を穏やかに聞いていたエメリナは、話の中で出て来た“ペレジアの盗賊に襲われていたところを保護した少女”であるフィオルに顔を向ける。当然、目が合う。
もともと緊張ですでに激しかった胸の動悸だが、今や早鐘どころではない暴れっぷりだった。とうとう来るところまで来てしまったと、そんな心境で聖王との謁見に臨む。
そんなフィオルの心情を見透かしたわけではないだろうが、エメリナは、ふわりと微笑みを浮かべた。見た人を安心させる力があるのでは、と思えるような、とても優しい笑顔だった。


「……そう、あなたが新しく自警団に加わってくださるのですね」


眼差し、口調、動作、全てが慈愛に満ちた、聖母のような女性だった。額に浮かぶ痣――イーリスの聖痕がその証明のように存在を主張している。
この人が、イーリスの頂点に立つ人。


「どうか、私の弟と妹……クロムとリズをよろしくお願いします」


「こ、こちらこそよろしくお願いします……」


フィオルは控えめに頭を下げる。緊張のあまりガチガチになって挙動不審な礼になってないと良いのだが。
聖王があまりにも優雅に礼を取るものだから、つられて自分も王女時代のお辞儀をしそうになってしまった。体に染みついた習慣とは怖いものだ。
一通りクロムの報告が終わると、城の警備について相談があるとかで、クロムとフレデリクはそのままエメリナ達と一緒に会議へと向かうこととなる。
いきなり手持ち無沙汰となってしまったリズとフィオルは、互いに顔を見合わせるのだった。










「フィオルさーん、こっちこっち!」


前を歩くリズがはしゃいだようにフィオルを呼ぶ。元気よくクルリと振り返ると、それと同時にツインテールも元気よく飛び跳ねた。
聖王との心臓の悪い対面を終えた後、フィオルはリズに連れられて城の中を案内されていた。
野営中は「ベッドで寝たいよ〜」と弱音めいたことをぼやいていたりもした彼女だが、城に戻った途端たちまち元気を取り戻した。野営は苦手そうだったし、ようやく住み慣れた場所へ戻ることが出来て安心したのだろう。リズの気持ちは何度も頷きたくなるほど良く分かる――フィオルも野営なんてするのは初めてだったが、今回思い知ったのだ。野営は、話で聞くよりも予想の遙か上を行く大変さだった。リズやフィオルのように、ふかふかのベッドに慣れてしまっていたら尚更である。まず、疲れの取れ方が違う。
それはそうと、城内でとにかくリズを追いかけているフィオルだったが、肝心の行き先は知らされていない。時折「こっちが厨房で、ここを真っ直ぐ行くと図書室があるよ」等補足的に説明してくれることはあるのだが、リズの迷いの無い歩き方は、どこか目的地があるように感じさせられる。


「リズ、私達どこへ向かっているの?」


「それは着いてからのお楽しみ!」


お茶目にウインクをする仕草はいたずらっ子のようで、フィオルをビックリさせようとしているのは分かるが、どこへ連れて行かれるのかは全く検討がつかなかった。
それからいくつか曲がり角を曲がってすこし歩いた先、ようやくリズが立ち止まる。


「えへへ、みんなビックリするかな〜」


「みんな?」


「さ、この中だよフィオルさん、入って入って!」


「え、ちょっ……リズ?」


部屋の中へと半ば引きずられるように引っ張り込まれたフィオルは、目の前に広がる光景に目を瞬かせる。
ここは倉庫、だろうか。武器やら防具やら木箱やら布袋やら、いろんな物が置いてある。とはいえ、机や椅子も置いてあり、机の上には本が高く積み上げられ、地図やら羅針盤やらが転がっているところを見ると作戦部屋のようにも見える。
雑然とした部屋の中、ちらほらと何人か人が集まっている。その格好は鎧を纏っていたり、ローブを身につけていたりとてんでバラバラだったが、ここまで来ればフィオルも分かった。この人達はきっと、自警団のメンバーなのだろう。


「みんなちゅうもーく! 今日から新しく自警団に入団してくれた子を連れてきたよ!」


リズが部屋の中に声をかけると、皆一斉にこちらを向いた。
誰だろう、と不思議がる気持ちとちょっとした好奇心が混ざった視線に晒されて、フィオルは戸惑う。視線の感じからして、歓迎されていないわけではなさそうだが――どんな顔をして良いか分からない。
愛想笑いすらどこかへ忘れてきたように無表情のまま突っ立っていると、こちらへ向かって駆けてくる少女が目に止まった。


「リズ! 帰っていらっしゃいましたのね」


縦に巻かれた髪は金髪で、少々きつめな顔立ちをした少女だったが、リズのことをとても心配しているのが表情から伝わってくる。服装こそ皆と同じように動きやすさを優先した格好であったが、その言動から一目で貴族の令嬢と察した。


「どこもおケガはありませんこと?」


「うん、わたしもお兄ちゃんもフレデリクも、みんな元気だよ!」


「そうですの、それならば一安心ですわね。それで……こちらの方は?」


先程までの心配そうな顔とは打って変わり、警戒心剥き出しな目をこちらへ向ける少女にフィオルは少したじろいだ。そして、自分がまだ名乗っていなかったことを思い出す。


「わたしは……フィオルと申します。この度自警団に入団させていただくことになりました。ええと……」


「そう、フィオルさんとおっしゃいますのね。申し遅れました、わたくしはマリアベルですわ」


「そう……マリアベルさんはリズととても仲良しなのね」


「えっ」


それまでのつんと澄ましていた表情が崩れる。
何かおかしなことを言っただろうか。フィオルは内心首を傾げたが、マリアベルは少し頬を赤くさせてそっぽを向いた。


「そ、そんなの当たり前ですわ。わたくしとリズは親友ですもの」


口調だけは強気なまま、マリアベルはぼそぼそと言葉を返す。
もしや余計なことを言って怒らせたのではとフィオルが不安に思っていると、リズは気にせずニコニコと口を開く。


「マリアベルとわたしは小さい頃から仲良しなんだよ」


幼なじみ、ということだろうか。マリアベルが怒っているのではと心配したフィオルだったが、昔から仲良しだと言うリズはあまり気にしてなさそうだ。ならばフィオルもあまり気にしなくて良いのかもしれない。


「そうだったのね、私とも仲良くしてもらえると嬉しいわ」


微笑むフィオルに、マリアベルが何かを言おうとした時、別の方向からも声がかかった。


「やあ、フィオルと言うんだね。僕はソワレ。よろしく」


「こちらこそ、よろしくお願いします。ええと、ソワレさん」


「ソワレで構わないよ。何か困ったことがあればいつでも頼ってくれ」


一瞬男か女か迷ってしまったが、女の人だろう。ベリーショートにした赤い髪がとてもボーイッシュで、それが不思議と彼女に良く似合っている。鎧を着ているので、騎士で合っているはずだ。とても頼りがいがあって、爽やかで、下手をすれば男よりも格好良いかもしれない。


「僕はソール、よろしくねフィオル」


そのソワレの隣からフィオルに声をかけた青年はソールと名乗った。ソワレと似た鎧を着ているので、こちらも騎士だろう。優しげな雰囲気を纏い、寝ぐせらしき不自然なクセのついた茶髪が愛嬌のある、親しみの湧く青年だった。
ソールにフィオルが言葉を返そうとしたところ、その彼の後ろでずってーん、と盛大な音を立てて誰かが転んだ。
何事かとソールの後ろを覗き込めば、案の定というか、少女が倒れていた。思いっきり顔から行ったらしい。フィオルの後ろから「スミアさん大丈夫?!」とリズが声をかける。
すると、“スミアさん”と呼ばれた少女はおもむろにムクリと立ち上がり、服の裾についた汚れを軽く払う。そして、恥じ入るように俯いた。
ふわふわとした茶髪におっとりとした目元、そしてどこか儚げな雰囲気が可憐な女の子だ。それだけに、派手に転んだのが衝撃的だったが――鎧を着ているからか、ケガはなかったらしい。とはいえ、ソワレやソールの鎧とは違い、より軽装なものなので油断は禁物と言いたい。


「すみません、花占いをしていた花びらに滑っちゃったみたいで……私ったら本当にドジ……!」


よく見ると、彼女の足下にはたくさんの花びらが散っている。そんなに大量の花で何を占っていたのだろうか。


「……って、ソールさん?! 何だか顔色がよろしくありませんが、どこか具合が悪いのでは」


スミアの言葉に「え、」とフィオルが顔を上げると、先程まで何ともなかったソールの顔色が、いつの間にか真っ青になっていた。


「うん、ごめん……何だか急にお腹が痛くなってきて……」


力のないソールの言葉にいち早く反応したのはソワレだった。


「何だって? それは大変だ! ソール、辛いかもしれないが、医務室に……」


連れて行く、とか人を呼んでくる、とかそういう言葉が続くものと思っていた、が。


「僕が君を担いで行こう!」


「ええええ?!」


ソワレが格好良さそうなのは外見や雰囲気だけではなかった。中身まで男前である。確信した、ソワレはそこら辺の男よりも格好良い女性である。


「いや、ちょ……ちょっと待ってソワレ大丈夫だよそんな大げさな」


ソールも、騎士とはいえ女性に担がれるのは具合が悪くてもさすがに気が引けるというか、男としても騎士としてもいろんな意味で頼るわけにはいかないと思ったのだろう。やんわりと拒否した。


「ソワレさん、杖! ここにライブの杖あるから! 医務室に行かなくても大丈夫だよー」


慌ててリズがライブの杖を取り出す。
果たしてライブで腹痛が治るのか疑問だったフィオルだが、実際に使ってしばらくすると、本当に腹痛が治ったらしい。体調が悪かったのが嘘のようにケロリとした表情で、ソールは「そろそろ鍛錬の時間だ」などと言って部屋を出て行こうとしている。
先程まで体調が悪かったのに訓練なんて大丈夫だろうか、とフィオルは心配したが、それを察したのかソール本人が「いやぁ、僕すぐお腹が痛くなっちゃうんだよね」とあっけらかんにのたまった。最早彼の体調不良は日常茶飯事なのだろう。とはいえ、団員達はソールの体を心配しているようで、医務室へソールを担いで行こうとしていたソワレも「訓練中に具合が悪くなったらすぐに言うんだよ」と言いつつ、彼と共に訓練へ向かった。
訓練とやらがあるのはソールやソワレだけではないらしく、その部屋にいた全員が各々訓練に行く準備を始める。
その様子を眺め、フィオルはふと気になった疑問をリズに投げかけた。


「リズ、訓練って何をやるの?」


「んーと、いろんなことやってるんだけど……そうだ、フィオルさんも一緒に訓練行ってみる?」


「ええと……私なんかが良いのかしら?」


自警団に入団したばかりの新米が、訓練に飛び入り参加しても良いものかフィオルは迷ったが、リズは「良いから良いから」とフィオルの背中を押す。


「そうと決まれば、早速訓練場へしゅっぱーつ!」


リズの城案内はまだまだ続くようである。
訓練場へ向かう道中に、団員達と出会い、フィオルが改めて思ったこと、それは――。


(とても、個性的な人達ばかりだったわね)


入団にあたっての自己紹介をしただけのはずだった。ソールの体調不良が重なったというのもあるが、いろんな意味で忘れられない初の顔合わせとなった。


(それにみんな、良い人達だった……)


イーリス王家も、そして自警団の面々も、素性の知れないフィオルを歓迎してくれた。優しさにつけ込むような真似をする自分が、とんでもなく浅ましい存在に思えてならない。
ふと窓の外を見れば、イーリスの街並みが広がっていた。


「フィオルさん、どうしたの?」


「いえ……ごめんなさい、何でも無いの。行きましょうリズ」


イーリスにペレジア王家の者がいるだなんて、誰が思うだろう。
平和な国へと這入りこんだ、異端の存在。そして皆を欺く者。それが、自分だ。
きっと、罰を受ける日が来るに違いない。
いつか来るその日を覚悟して、復讐の道へとその足を一歩一歩確実に進めつつあるのをフィオルは感じていた。
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