010

自警団の“訓練”を目の当たりにし、フィオルはその光景を見守る。
筋力や体力作りのトレーニングから実践的な練習まで、各々が力をつけるための鍛錬に励んでいる。


(さすが、少ない人数で賊を追い返せるわけだわ)


この場にクロムやフレデリクの姿はないが、二人も地道な修業を積み重ねる中で、そして実戦の中で、あの実力を身に付けてきたのだろう。


「最初から強い人なんて、いないわよね……」


「フィオルさん?」


フィオルの小さな呟きに、リズが振り向く。
どうかしたのかと問いかけるような、不思議そうな顔をフィオルに向けるリズに気付き、はっとする。思っていたことを無意識に声に出てしまっていた。


「いえ……私も自警団として足を引っ張らないように強くならないとって思って」


咄嗟に誤魔化すような言葉を付け足したが、本心でもある。自分は戦闘要員として経験が浅く、まだまだ未熟だ。
イーリスにおいて自分は王女ではなく、ただのフィオルだ。守られていた頃とは違う。弱いままではダメなのだ。強くならなければ、復讐なんて夢のまた夢だ。
そのために自警団を利用するのは心苦しいところだけれど。フィオルは後ろめたさを隠すように、リズから訓練場へと目をそらす。
皆を騙しているという事実がフィオルの体を締めつけるように纏わりつく。ここにいる限り、蛇に巻きつかれているようなこの息苦しさから抜け出すことは出来ないのだろう。


「フィオルさん!」


リズの一際大きな声に驚いたフィオルは、何事かと再び顔をリズへと向ける。
リズは杖を握りしめて、真剣な表情で、どこかもどかしそうにしながら口を開いた。


「あのね、上手く言えないんだけど……困ったことがあるなら言ってね。わたし、いつでも相談に乗るから」


「リズ……?」


思い詰めたような顔をしてしまっただろうか。もしくは、切羽詰まった必死さが伝わってしまったのかもしれない。
素性を明かさない、明かしたくないフィオルへ、彼女なりに考えての言葉だった。無理に聞きだそうとしない、フィオルを信頼してくれている、その優しさをひしひしと感じる。


「て言っても、わたし聞くだけしか出来ないかもしれないけど……でも、話してスッキリすることもあるかもしれないし、わたしに出来ることがあれば何でもしちゃうよ!」


それが彼女の本心だと分かるだけに、その心遣いが嬉しかった。同時に、纏わり付く息苦しさがより一層フィオルを締め付ける。罪悪感が胸の中にじわじわと滲む。
だからこそ、それらを全て覆い隠すように微笑む。素性の知れないフィオルにすら優しいこの国の人達を、自国の陰謀に巻き込む気はサラサラ無かった。


「ありがとう。私も……出来ることがあったら何でも言ってちょうだい。だって、あなた達は危ないところを助けてくれた私の恩人だもの。私もあなたの力になりたい」


「フィオルさん……」


その時だった。
地崩れでも起きたのかと疑う程の騒音が訓練場に響いた。訓練をしていて聞こえるようなものではないのは明らかで、皆が訓練を中断して音源を探す。


「なっ、何の音?!」


よもやフィオルがここにいるのがバレたかと――敵の襲撃かと最悪の事態が頭をよぎり、ヒヤリとした。しかし、良く考えなくてもここはイーリスの王城だ。簡単に入り込める場所ではない。
音のした方を見ると、訓練場の一角に土煙が舞い上がっている。どうやら壁が崩れた音らしいが、一体何があったのか。
その様子を一緒に見ていたリズが何か心当たりがあるらしく「もしかして……」と恐る恐る呟く。


「お兄ちゃん、まさかまた……」


「え、クロム?」


そこでなぜクロムが出てきて、何が「また」なのか。
その答えは、土煙が収まった頃に判明した。
そこにいたのは、エメリナとの話が終わって戻ってきたらしいクロムと、金髪に浅黒い肌が印象的なガッシリとした体つきの男――多分自警団の一員だろう。互いに武器を構えて向き合っているのだが、どちらともしまった、というような顔をして壁があったはずの場所を見ている。
静寂の中、パラリ、と瓦礫の破片が落ちる音がした。


(まさか……手合わせ中に壁が壊れた、とか?)


魔法が当たってしまって崩れた、ならまだ分かる。しかし、状況を見るとどう考えても武器を構える二人が魔法を使ったようには見えない。それに、壁は見るからに頑丈そうで、とてもではないが独りでに崩れてしまうようには思えない。
当たり前だが、その場は騒然となった。団員達、リズやフィオルも集まって、壁にぽっかりと空いた穴をまじまじと見つめる。


「これはまた……派手にやったね」


さすがのソワレも苦笑いだ。
穴の向こうには城の中庭らしき景色が見えた。穴を覗いた者はソワレとほぼ同じ感想を抱いたに違いない。


「おいおいどうすんだよクロム、こんなのフレデリクにバレたらただじゃ済まねーぞ!」


クロムの対戦相手と思われる男は、焦りを浮かべながら頭を抱える。


「すまん……油断していた」


油断して壁が崩れるものなのだろうか。
大いに疑問ではあったが、しかしフレデリクに見つかるのがマズイのは何となく分かる。それ以上に城の警備的にマズイ気もするが。


「ちょっと良いかしら」


「フィオル?」


前へと一歩踏み出すと、クロムが目を見張る。それは、フィオルがここにいることに対してか、自分の壊した壁の穴に向かって足を進めていることに対してかは分からないが、フィオルは構わず穴の前に立った。
皆が見守る中、フィオルは懐を探り、小さな包みと一枚の紙切れを取り出す。


(本当は、こんな正体がバレそうなことしない方が良いのかもしれないけれど……)


しかし放っておくのも忍びない。これくらいなら平気だろう、と見当をつけてフィオルは紙切れと包みを片手ずつに持って誰にも聞こえないくらいの小さな声で言葉を紡ぐ。
すると、みるみるうちに穴が塞がっていく。周りからはどよめきが上がった。


「すっげー! 穴がなくなっちまった」


「なくなったわけではないわ。なくなったように見せかけただけ。効果は一日だけだし、触れたらすぐ消えるわよ」


幻惑の呪術の一種である。大変便利なこの呪術はサーリャから教えてもらったもので、実はこれを使ってフィオルはペレジア城から脱出した。そうして命からがらイーリスへと逃れてきたわけだ。
――そんな種明かしをするわけにもいかないので、一族に伝わる幻惑の魔法とでも言って誤魔化しておこうと思う。


「分かった、すぐに直してもらわないといけないな……悪いフィオル、助かった」


しかし、実際の壁を直すには魔法であっと言う間に、というわけにもいかず。その後、結局フレデリクにバレたらしい。
クロムが終始冷静だったのは、すでに後々のことを覚悟をしていたからかもしれない、とフィオルは振り返る。
ちなみに、クロムが壁をやたら壊す常習犯であるとフィオルが知ったのはその後日のことだった。
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