003

外へ出れば、町は混乱と恐怖に陥っていた。
誰かの悲鳴、何かが壊れる音、逃げ惑う人々、子供の泣く声。――フィオルは、つい数日前にも似たような状況にいたことを思い出す。ペレジア王宮を、脱出した時のことを。
あの時は、ただ逃げるだけしか出来なかったけれど。


(もう、逃げたくないの)


とはいえ、丸腰では戦うことなど出来ない。どうにかして、武器を手に入れなければ。
息を潜め、辺りをうかがう。すぐ近くに、剣をモチーフにした看板を掲げる建物を見つけた。武器が置いてあるだろうことは容易に想像出来る。


(あそこなら、魔導書もあるかしら……)


武器屋があるとしても、魔導書を取り扱っているかは分からない。賊に荒らされてしまっていれば魔導書が手に入る可能性は更に低くなる。
武器屋の位置は、今いる場所の斜め向かいにある。敵に気取られることなく無事たどり着ければ良いのだが。
目の見える範囲に賊の姿はない。


(今なら……!)


覚悟を決めて、通りを横切る。素早く武器屋の扉を開けて身を滑り込ませる。どうやら見つからなかったようだ。心臓がバクバクとうるさいほどに高鳴る。へたりこみそうになるのをどうにか堪えた。


(魔導書、見つけないと)


壁一枚を隔てた向こう側の騒ぎを聞きながら、フィオルは部屋を見回す。建物の持ち主はすでに逃げた後らしい。
誰もいない建物の中は当然ながら静けさが漂う。外が騒がしいだけにやけに非現実感を伴った。
様々な剣や斧が並ぶ中、武器の一角に魔導書が取り揃えられているのを見つける。


「あった……」


赤、紫、黄色、とこうして見れば色とりどりの本が並ぶ棚に手をかける。
威力が強すぎるのはダメだ。魔力を使いすぎる上にコントロールが難しくなる。手軽に扱える初級魔法が良い。


(これなら……)


一冊の赤い本を取り出そうとした時だった。静寂を割るようにして乱暴に扉を叩く音が鳴り響いた。
咄嗟に体を物影へと滑り込ませる。同時に、大きな破壊音と共に外の音が一気に近くなる。


「……誰もいねぇみてぇだな」


低いダミ声に、フィオルは一気に体を強ばらせた。先程ベッドで聞いた声を思い出す。――賊だ。


間一髪で取り出した本をぎゅっと握りしめる。持っているのは、炎の魔導書だった。


(……まずい)


建物の中で炎を放てば大変なことになる。それくらい子供でも分かるだろう。


「こんなしけた武器屋に大したものなんかあんのかよ?」


「武器屋っつーくらいなんだ、金と武器くらいあんだろ」

下卑た笑い声が間近に迫る。
しかも、相手は二人いるようだ。賊は金目のものがないか辺りを物色し始める。フィオルには気付いていないが、見つかるのも時間の問題だ。何か、この窮地を抜け出せるものはないだろうか。
その時、焦るフィオルの目に青い背表紙の本が映った。


(あれなら!)


そろりと賊の様子をうかがえば、二人とも金目のものを物色するのに忙しいようで、こちらには全く注意を払っていない。
ゆっくりと慎重に……音を立てないようにして、フィオルは目当ての本を本棚から引き出す。表紙を捲れば、風の魔法が記載されていた。これならば、建物の損壊も抑えられるだろう。
相手はまだこちらに気付かない。――武器を手に入れられればこちらのものだ。
覚悟を決めて、物影から躍り出る。賊が振り返るより早く魔法を放った。


「ウインド!」


背を向けたままの男が、グルグルと回転しながら店の奥へと吹っ飛んで行く。けたたましい物音を立てるそれを見送ることなく、フィオルはもう一人の男に狙いを定めた。


「何だぁ?!」


異変に気付いた男が音のした方へと顔を向ける。そして、フィオルが次の魔法を唱えようとした時に、こちらを振り返った。魔法を放つまでが、やけにゆっくりに感じられる。


(当たって!)


半ば願うようにして放った風は、男に直撃し、窓ガラスを割って外へと消えていった。


(倒せ、た……?)


窮地を脱したことを確認し、大きく息を吐く。
しかし、これで気を緩めることは出来ない。賊は外にまだまだたくさんいるかもしれないのだ。
魔導書を少しの間拝借することにして、フィオルは一歩踏み出した。
……突如として外から人が現れた時、思わず武器を構えたのは仕方がないと思う。


「お前は……!」


「……あ、」


新たな敵かと思えば、違う。フィオルを助けてくれた先程の青年――クロムだった。


二人はしばらく目を合わせたままだったが、クロムが外で伸びている賊に気付き、再びフィオルへと視線を戻す。


「お前が倒したのか?」


「えっと、その……なんと言うか、」


フィオルの持つ魔導書に気付いたのだろう。クロムは一瞬目をみはったが、やがて感心したように頷く。


「そうか……大したものだ」


それは、敵を倒したからなのか、思った以上に威力がありすぎて建物を少なからず壊してしまったことに対するものなのか――フィオルにはよく分からなかったが、それよりも伝えなければならないことがある。


「あの……私も戦います。戦わせてください……!」


もう、あの時のように逃げたりしない。
戦う覚悟を決めた瞳に、クロムが何を思ったか――フィオルが知るよしもない。


「……ああ、助かる。すぐに終わらせるぞ!」


クロムの後に続き、フィオルも外へと飛び出す。
思えば、この出来事が自分を変えるキッカケになったのだろうと、フィオルは後に振り返る。
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