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新しいパンプスのヒールが、コツコツと小さな箱に音を響かせる。1階のボタンを押して扉を閉め、奥についている鏡を見てそっと身だしなみを整えた。


病院の外に出て、通知を確認する。すると「今から向かう」と轟くんから連絡が来ていて「了解!正面の所で待ってるね」と返事を送った。


週明けにママの退院が決まった。
退院後も少しの間は通院が必要だけれど、怪我の治りは安定しているとお医者さんに言われて一安心。
やっと家で一人ぼっちじゃなくなると思うと同時に、轟くんとのこの時間は今日で最後かと思う自分もいた。

「悪い、待たせた」
「わ!全然!今さっき来たから大丈夫だよ」

そんな事を考えていたら、いつの間にかその思案の張本人が来ていた事に気付かず、聡い彼にバレないよう動揺を丸め込む。

「何かあったのか、ボーッとしてた」

やっぱりそうだ。轟くんはいつもそう。
こうしてよく話す仲になって分かったけれど、彼は意外と…というか、しっかり天然で、だけど人の事をよく見ているからか、その変化に敏感な人だった。

「あ、えっと、ママが週明けに退院する事になったの!だから色々準備があって、それでちょっと考え事してた」
「退院決まったのか、良かったな」
「うん!轟くんも色々助けてくれてありがとう」

少しだけ気持ちを誤魔化してそう伝えると、轟くんは短く返事をする。
最初はこの帰り道に思い出が残るなんて思いもしなかったけれど、この不慣れな生活を乗り越えられたのは間違いなく隣を歩く彼のおかげだった。

私は、ほんの少しだけ歩調を遅める。

そしてお互いの日常を切り取ったような、他愛もない話をしながら、いつものように駅へと向かった。





「ええ……運転見合わせ……」
「15分前だからしばらく動かねえな」

駅に着くと改札前に人が沢山集まっていて、何かあったという事は察せられたけれど、まさかの運転見合わせ。
しかも15分前というタイミングの悪さだった。

「あ、でも祐佳の方向は一応動いてるみたい」

よく確認すると私の方面は遅延しつつも動いているようで、轟くんの方面は完全に運転見合わせで止まっている。
でも、彼を置いて1人で先に帰るのは、流石に選択肢の中に入れる事は出来なかった。

「でも轟くん方面は止まってるみたいだから、どこかで待とうか」
「……いや、かなり遠回りにはなるが一応前田の方面でも帰れる」
「え、そうなんだ!帰れる方法あってよかった…!じゃあこっち方面から一緒に帰ろうか」
「ああ、そうだな」

轟くんが念の為と調べたのが功を奏し、帰る方法が無事に見つかる。遠回りする為、いつもより時間はかかってしまうが、いつ復旧するかも分からないものを待つよりは早いだろうと、一緒の方面から帰ることになった。


「なんか轟くんと一緒にあホームにいるの不思議な感じする」
「いつも逆方面だからな、俺も違和感ある」

電光掲示板には行先のみが表示されていて、時刻の表示は無かった。余程遅延しているのか、ホームにはいつも以上に人がいて、私達は少し空いている待機列で電車を待つことにした。

「明日、英語の小テストあるから次の電車乗れるといいなあ、勉強しなくちゃ」
「こないだ分かんねえって言ってたところ、ちゃんと分かったか?」
「うん!轟くんが教えてくれたからね、もうバッチリだよ、あとは色々確認するだけで……あ!電車来た!」

轟くんとおしゃべりしつつ待つこと20分、本来の発車時刻より大幅に遅れて電車が到着する。
ホームに強い風が流れ込み、瞬きしつつも窓から見えた電車内はやはり遅延の影響で混雑していて、一気に乗るのが億劫になった。

「わあ…やっぱり電車混んでるね」
「まあでも、ギリギリ乗れそうだな」

電車のドアが開き、混雑している中、更に詰めて先頭の人から乗車していく。やはり電車内は想像以上の混雑で、彼が予想した通り、私たちが乗ってギリギリというところだった。この電車を見送ったところで、次もきっと混んでいるだろうし明日の勉強しなきゃだし、なんて自分を納得させながら電車へと乗り込んだ。

「わっ………」
「大丈夫か」
「う、うん…平気」

私が乗ったあと、更に1人押し込むように乗車してきた人がいて、必然的に少し奥へと追いやられる。
しかも運悪く周りは全員男性で、少しヒールのある靴を履いているとはいえ、轟くんから見たら埋もれてしまっているのか、心配そうな声が届いた。

(混んでるの苦しいなあ…)

混んでいる場所がすごく苦手という訳でもないけれど、それでもこの状況は流石に息苦しく感じてしまう。せめて轟くんの方を向ければなと思い、少し体を動かそうとする。

すると、「おい」と彼の声が降ってきたかと思えば、パッと大きな手が私の手首を掴む。突然のことに驚いて振り向こうとしたのもつかの間、轟くんの方へと引き寄せられた。

「ここのが楽だろ」

満員電車の湿度の高い空気の中、背中にはヒヤリとしたドアの冷たさ。少し見上げると、長い睫毛を瞬かせる綺麗なオッドアイと目が合う。
どうやら苦しそうな私を見兼ねて、轟くんが自分のいた壁際に私を立たせてくれたようだった。

「ありがとう、轟くんいつも優しいね」

そう言うと彼は、人に埋もれて見えなくなりそうだったからな、なんて言ってくるので、いや小動物じゃないんだから…と思ったけれど、背の高い轟くんからしたら女の子はそれくらいのサイズ感なのかもしれない。
目の前にいる彼は、律儀に私の周りにスペースが出来るように立ってくれているけれど、それでもいつも以上に近くにいて、轟くんがそんなこと言うからか、やっぱり轟くんも男の子なんだなあ、背高いなあ、なんて思いながら見上げてしまう自分がいた。

「なんか俺の顔について……………っと、悪い、大丈夫か?」

そんな事を考えながら、ぼーっと彼の顔を見つめる私の視線を勘違いしたのか、自分の顔に何かついていると思った轟くんはペタペタと顔を触り始める。そう吊革から手を離した瞬間、タイミング悪くカーブで電車が大きく揺れた。
轟くんは咄嗟にバランスをとる為、壁に手をつく。その壁というのは、私の背にあるドアのことで、彼と私の間にあった余白は一気に0に近くなった。

「うん、全然大丈夫だよ」

冷静を取り繕い、笑顔を張りつけながらそう言ったけれど、心臓の音が鐘のように頭まで響いてくるようだった。
突然電車が揺れた事にも驚いたけれど、そんなのは今の私が抱える動揺の1%にも満たない理由である。朝に戻れるならば、自分にヒールの靴を履かないでと伝えたい。ただでさえ触れてしまいそうな距離なのに、この靴のせいでいつも以上に彼の綺麗な顔が近くにある。

正直、自分がどうしてここまで動揺しているのかよく分からなかった。思い返せば、彼が私を壁際に立たせてくれた時から、少し心音が速まるような感覚があったけど気付かないふりをしていたと思う。
でも電車が混んでいる時は、出久くんも優しいから同じようにしてくれている。多分だけど、出久くん以外の男の子がこんな距離にいることが初めてだからかなと思った。

「なんか顔赤くねえか?熱でもあんのか」
「え、いや、普通に元気だよ」

そう言って彼は心配そうに容赦なく私の顔を覗き込んでくる。否定したけれど、自分でも顔に熱が集まっている感覚があって、轟くんは納得していない様子だった。
本当に大丈夫か?と再び心配され、また笑顔を張りつけながら大丈夫だよ!と話すけれど、どうしたって目が泳いでしまうのでついに目が見れなくなり、私は轟くんのネクタイに視線を固定させた。

「でもやっぱ様子おかし……」
「あー!ゆうかもう次で降りなくちゃ!」

嘘はついてない。本当に次の駅が私の最寄りだ。
意外と頑固な轟くんは私が何度大丈夫と言っても、中々納得してくれない。多分…というか完全に熱があるから様子がおかしいと思われている。でもこれ以上追求されるのは流石にしんどくて、彼の話を遮るように話し始めた。

「じゃ、轟くんまた学校でね!期末試験がんばってね、ゆうか保健室いるから!またね!」
「おい…!」

同じくこの駅で降りる人々の波に乗り、一方的に別れの言葉をぶつけて電車を降りる。明らかに挙動不審すぎたと心が青ざめていく一方で、心音は相変わらず速いままだ。
さっきそれがどうしてなのか、自分の中で理由づけたばかりだけれど、自分が1番自分のことをよく分かっていないかもしれない。
私は轟くんのことが友達として大好きで、間違いなくそれ以上ではない。でも、この心音はなんなのだと聞かれると、何も答えられなくなってしまった。

「はあ……」

溢れ出るような大きなため息をついて、思わず頭を抱えてその場にしゃがみこむ。なんだかもう、頭の中がひっちゃかめっちゃかだ。こんなに整理のついてない頭では、とてもじゃないがテスト勉強なんて出来ない…と思っていると、スマホの通知が鳴る。ポケットからそれを取り出して確認すると、何となく予想はついてたけど、やっぱりその相手は轟くんだった。

『帰ったら一応、熱測れよ』
『あと、この前教えた文法はポイント抑えてたら解けるから明日のテスト前に復習しておけ』

私は再び頭を抱えた。
轟くんは、優しすぎる。きっとこの心音は、私が彼の優しさに甘えすぎているからなのだと思う。多分。いや、きっとそうだ。『ありがとう』とスタンプを押すと、いつの日かのようにすぐ既読がついてそれ以上送られてくることは無かった。

満員電車とは違う、少し湿度の高い初夏の風が頬を撫でる。季節の移り変わりを知らせるそれは、まるで私が気付いてない気持ちの変化さえも、見透すかのようだった。




2022/02/16 ベタベタなやつ(cvハライチ岩井)