純黒の悪夢/後編

「やあ、ご無沙汰」
 咄嗟に頭は庇ったものの、腹部までは守りきれなかった。彼女の真っ赤に染まった腹と血溜まりに僅かに眉を寄せたが、苗字は敢えて触れなかった。
 まだ意識があるようで、キュラソーは苗字の呼びかけに薄っすらと目を開けた。
「…まさかキミが組織を裏切るとは思いもしなかったよ。どういう心境の変化だい」
「……ふ、」
「ともあれご苦労様。結果は上々、皆は無事だ」
 そう告げてやればキュラソーは目元を和らげた。
「あ、なた……が…」
 複数の足音が近づく中、掻き消されそうな声音でキュラソーが呟いた。まさか返答が来るとは思わず、苗字は口を閉ざす。最期の言葉だ。聞いてやらねば。
「あんな……に、…ス…ッ…チに…傾倒、してた…の」
「……」
「…今なら…わか……」
 隣で、松田が僅かに息を呑んだ。
「キュラソー」
 苗字は、述べた。
「私たちは、もっと普通に生きられた筈だ」
 たとえ始まりがどんなに最低最悪であったとしても。どんなに絶望的だったとしても。きっと、変われる。変わることができる。
「彼は、それを教えてくれたのさ」
「……」
「キミにとって、子供たちがそうだったんじゃないのか?」
 そう投げかければ、彼女はほんの少しだけ微笑んだ。それだけで充分だった。
 やがて光が消えた。彼女はそれ以降、一言も言葉を発さなかった。暫し、沈黙に包まれたが接近する足音に顔を上げた。
「行こう」
 そう言えば、松田は黙って頷いてくれた。

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