同僚はただの同僚であって友達ではない

「あのさぁ、俺さぁ、何もかも忘れて二日くらい眠りこけたい気分なんだけど」
「気持ちは分かる」
 諸伏に同意したのは、かつて同僚だった男―――アイリッシュ。
 河南がアイリッシュを連れて帰ってきた。意味が分からない。どうして彼女が、この男と一緒にいる?
 ドアを開けて彼らを迎えた際、諸伏は素顔のままだった。おかえりという口のまま彼を見た時の諸伏の心境を是非とも察してほしい。
 アイリッシュとは組織にいた頃、片手で数える程度しか任務を共にしていないしプライベートで話すこともなかった。だがそれでも彼の仕事に対する確実性は初めて任務を共にした時から理解せざるを得なかったし、頭脳明晰で冷静沈着、堅実な性格で技術力も高くタフだった。彼には傭兵のような重厚感があった。
 少なくとも妙に青い顔をしながら無防備な状態で諸伏にばったり会うようなミスはしない。
「なんだ貴様ら、知り合いか?」
 少し膨れた腹を満足そうに撫でて呑気にもそんな言葉を口にする河南を当てにせず、諸伏は真っ先にアイリッシュに説明を求めた。
 そして全てを聞き終え、冒頭のセリフに至る。
 アイリッシュは頭を抱える諸伏に憐れみのような視線を向けている。
「この人間辞めてる女はお前の駒か?」
「駒じゃない。恩人だ」
「成程、俺と似たようなもんか」
 東都タワーのほうで騒ぎがあったのは諸伏も知っていたがまさか組織絡みだとは思わなかった。念の為足を運ばなくて僥倖だったものの、河南とアイリッシュが鉢合わせてしまったのは何の因果なのか。しかも本人は組織に裏切られ宙ぶらりんの状態。ピスコが故人な以上、彼の組織に対する愛着もないと見て取れる。
「アイリッシュ、俺と組まないか?」
 彼を仲間に引き入れるという選択肢を浮かべるのに時間はかからなかった。
 アイリッシュは真意を問うように目を細める。
「知っての通り俺はライの目の前で自殺したNOCということになってる。本来の所属は公安警察だ」
「ほう、公安か」
 そりゃすげえと大袈裟に彼は宣う。そういう風な態度になってしまうのも無理はない。
 諸伏は匿名・・の密告により組織から追われた。本来NOCを特定するという行為はコードネーム持ちになれるチャンスを得られるほどの大手柄だ。にも関わらず諸伏スコッチ亡き後、誰かがコードネームを得、急速に力をつけたという情報はない。
 つまり密告者が、公安警察側にいる可能性がある。アイリッシュにはその推測があったわけだ。だからこその『すげえ・・・』である。
「俺たちに協力してくれればそれなりの礼をしよう。だから…」
「お前は俺たちと言ったが公安とは連絡が取れてるのか?礼ってのは何だ?協力ってのは組織壊滅か?お前にそれだけの力があるのか?」
 その詰問にすらすらと答えられるほど有効な答えを諸伏は持っていない。そのことすら分かりきっていたのか、アイリッシュは嘲笑した。
「スコッチ、テメェは組織にいた頃から詰めが甘いな」
「……」
「効果的なカードを持ってないのに俺を部屋に入れちまう辺り、感が鈍ったか?」
「俺なりのアンタに対する信頼の証だったんだが……お気に召さなかったかな?」
「たった数回しか一緒に任務をこなしてねえのにそこまで見込んでもらえるとはな。嬉しいぜ」
 だが、と続けるアイリッシュから殺気が漏れ出る。
「利がねえ」
「…」
「確かに俺は組織から見限られた上ジンに恨みを抱いてる。動機はあるが、お前につくメリットを見出だせねえ。お前と組んで確実にジンに恨みを晴らせるか、俺には分からねえ」
 彼の言い分は理解できる。全くもって道理に適っていて何も言えない。
 しかしふと、アイリッシュの動きがビタリと止まった。
「口と態度に気をつけろ」
 いつの間にか彼の背後にいる河南の手には、刀。
「貴様の首は私の得物の射程内だ」
 何の迷いもない瞳が冷ややかに彼を見下ろしている。
 緊張の糸がピンと張り詰める。河南は本気だ。アイリッシュが事を起こそうと動いた瞬間、彼女は刀を抜く。そして一瞬だろう、一瞬で全てが終わる。
 固唾を呑んで二人を見ていた諸伏であったが、アイリッシュがフッと息を吐いて殺気を解いたことにより、諸伏の肩の力も自然と抜けた。
「あんたと遣り合うのは二度とごめんだな」
「………」
 若干疲れた声でそう呟き頬の傷をなぞった彼に、どうやら既に一戦交えていたことを察する。頬のそれはどうせ河南が負わせたに違いない。彼女も手加減していただろうとはいえ、その程度で済ませたアイリッシュはやはり手練れと表現する他ない。
「アイリッシュ……頼む」
 真剣に頭を下げる。
 諸伏には手札がない。FBIの赤井秀一は諸伏の生存を知っているが協力関係にあるわけではない。今日まで彼と持ちつ持たれつでいられたのは、単に彼が病的なほどの秘密主義者だったからだ。赤井が口を閉ざす対象は組織だけでなく本来の所属の人間にまで波及する。階級制度の中でそのやり方は褒められたものではないが今の諸伏には都合が良かった。本来であれば日本警察に協力依頼をしてこない外国の警察官など、諸伏だって当てにしたくない。しかし古巣から裏切られた己が頼れる人材など限られている。
 だからこそ今ここでなんとしても、アイリッシュという手札を得たかった。