そこは、血の海だった。鉄の匂いが蔓延る場所の中央に、彼女は立ち尽くしていた。アシカは絶句する。あまりにも惨たらしい状況に嘔吐した。元々彼に気づいていたのかマオはそれに反応しない。虚空を見つめたまま、つまらなさそうに刀の鋒で死体をほじくっていた。
こんなの、無理だ。俺たち死ぬんだ。やだ、怖い。助けて。死にたくねえ、死にたくねえよ。何でもするから助けてくれ。ひいいい。痛い、痛いいい。お願い、助けて…。
啜り泣くような懇願にアシカは頭がおかしくなりそうだった。全て海軍の連中が言っているのだが、敵なのにこちらの同情心をひどく煽る。助けてあげたい、この無慈悲な暴力から。だけど彼女を止めるには自分はあまりにも非力すぎた。
「…ぅ、おぉ!」
「キシッ」
一人が勇気を振り絞って剣を振り上げる。だがいとも簡単にマオは、その海軍を腹を刺した。吐血し、海軍はのたうち回る。わざと急所を外したらしい。
そこからは残りの海軍たちの一斉攻撃だった。銃を乱発、剣を振り回し応戦しようとするが、マオはそんなことを気にすることもなく、銃弾が自らの腕や脚を掠めようとも奪う行為をやめなかった。
「う、動くなぁ!!」
不意に、銃声に紛れて劈く声がした。一人の海軍がアシカの首元に剣を当てている。
「こいつお前の仲間だろ!少しでも動いてみろ、こいつの首が飛ぶぞ!」
「ぁ、だ…」
駄目だ、そう言いたかったが声にならない。今すぐ逃げてと伝えたい。必死に目で訴えるが、海軍はそれに気づかない。
マオはアシカなど眼中に無いように歩を進める。笑みを湛えたまま血塗れの刀を持って歩いてくるマオは、狂人以外の何者でもなかった。狂人はスピードを緩めない。正気か?海軍は叫ぶがマオは応答しない。剣が震え、アシカの首の皮膚が少し裂けた。とろりと血が出たがそれよりもマオのほうが怖かった。ぽっかり浮かぶ金の瞳に射抜かれ、気がおかしくなりそうだ。
「……――“シャンブルス”」
そんな恐怖を攫ってくれそうな声が、突然辺り一帯を震わせた。
アシカの視界は一瞬にして変化する。先程まで近くに居たマオは今では遠くだ。ハッとして傍らを見やると、己の船長がそこに立っていた。
「せん、ちょ…」
「…気を楽にしろ、すぐに終わる」
それはきっと、自分にだけ言ってくれた言葉だった。
ローは能力を展開させ邪魔な海軍を一掃した。マオの周りに居た海軍共は、一瞬にしてバラバラにされる。殺されたと錯覚した彼らは気絶した。意識を保っている者は殆ど居ない。全員仕留めたと確認したローは迷うこと無くマオにツカツカと歩み寄る。「手間かけさせやがって」低く唸るような声音に、本気で怒っているのだとアシカは悟る。
ローは彼女の眼前に立つと、彼女の胸倉を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
「…一つ、言っておく」
マオを射る彼の瞳が細まる。マオは、表情を変えない。
「お前がそのマークを掲げる限り、勝手に死ぬことも、助けられるのに仲間を助けないのも許さない」
「……」
「お前の境遇なんかどうだっていい。お前はハートの海賊団のクルーだ、それ以上でもそれ以下でもない。…自覚を持て、お前の行動一つで俺たちは左右される」
マオの太ももの部分は赤く滲んでいる。そこを一瞥するとローはマオの胸倉から手を離した。行くぞ、と目でアシカを促す。慌てて立ち上がってアシカは先に行くローを追う。少ししてから、背後から自分たちを追う軽い足音が聞こえた。