仕事とプライベートは線引きしろ


 意識が浮上した時、燕は古びた建物内に横たわっていた。汚れたコンクリートに無造作に放られていたので作業服が汚れている。髪にも埃がついていた。
「気づいたか」
 建物内に響く低い声に、燕はゆっくりと顔を上げる。そこには黒い着物を着、佩刀した男が立っていた。彼の後ろには何人か控えている。おそらく彼が頭領なのだろう。
 本当に誘拐されてしまったなと燕は呑気に思う。高杉はまだ可愛いほうだった。今の燕は両腕は後ろで拘束されて使えない。彼らが仕事の依頼をしに来たわけではないことは明白だった。
「貴様、高杉と親しい仲だそうだな」
 そんなことを言いだす男。成程彼は高杉と敵対関係にあるのか。大方自分を人質として捕まえ、高杉の動きを封じる魂胆なのだろう。
「あの…あっしが人質でも無意味なんじゃないんですかねェ」
「そんなことはない。お前は個人的にも奴と懇意にしていたではないか」
「え、そうなんですか、第三者にはそう見えるんですか」
 高杉がどう思っているかは知らないが、少なくとも自分はそんなに親しいと思ったことはない。なんとなく縁があり、なんとなく細々とした付き合いがあるだけだ。それに仕事以外のことを彼と喋ったことはない。
「考え直したほうが良いですよ」
「命乞いか?だがもう遅い。奴には既に書簡を送りつけた」
「え」
「ふん、我らと大人しく取引すれば良かったものを…あっさり断りよって」
 ぶつぶつと文句を言って背を向ける男。
 やってしまったことは仕方ないと思う。しかし、たかがしがない技師一人の為に彼が取引に応じてくれるとも思わないしましてや彼が自分を助けてくれるとも思わなかった。多分、見捨てられるだろう。ネガティブな考えかもしれないが、それが妥当なのだ。取引とどこにでも居る技師一人とを天秤にかけるほどでもない。火を見るよりも明らかだ。
 燕は奴らの動向を気にしつつ、手探りで切れ味の良い物を探す。到底脱出できるとも思えなかったがどの道殺されてしまうのがオチだ。やらないよりもやって死んだほうが良い。
 とそんな中、外が騒がしいことに気づいた。男たちも何の騒ぎだと怪訝し、一人がドアを開けて確かめる。
 瞬間、男が吹っ飛んだ。
「は…?」
 全員が口をあんぐりと開けて、茫然と前方を見る。
「失礼、ここに良い技師が居ると聞いて参ったのだが…どこに居るのでござるか?」
 ガシャガシャと騒がしい音と共に入ってきたのは、サングラスをかけた青年だった。騒がしい音は彼がつけているヘッドフォンが原因らしい。 
「き、貴様は河上――」
「ああそこに居たか」
 頭領らしき人物の言葉は遮られ、青年は燕に歩み寄る。背後では既に頭領は息絶えていた。
 青年は無言で燕を拘束していた縄を外す。この青年が一体誰なのか心底気になったが、前を見てその問いかけをするのはやめた。「しつこいでござるな。貴様らの頭は死んだのに刀を構えるか」抜刀し、燕たちに刀を向ける集団。非戦闘員である燕はどうすれば良いのかさっぱり分からず困惑した。
「…なんだァ、手こずってんのか万斉」
 困惑した彼女の耳に入ったのは、高杉の声だった。
「あ、れ…高杉さん」
「思ったよりも元気そうじゃねーか、ククク」
 一歩、歩んだと同時に高杉は数人の男たちを斬り殺した。あまりにも一瞬の出来事に燕は硬直する。高杉は気にすることなく燕の眼前まで行った。
「なに呆けてやがる」
「……いえ、何でも」
「まあ良い。おい万斉」
「相分かった」
 命じたと同時に万斉は動く。多対一なのに向こうが有利だと思えない程、万斉は強かった。あまりにもあっさりと敵が血を流すので、燕は思わず目を逸らす。
 「ああそうか」すると高杉は閃いたように呟く。
「…お前に見せるモンじゃねえな」
「――!」
 ふ、と視界が暗くなる。高杉の手が燕の視界を覆い尽くしているのだ。
「少し待ってろ。すぐに終わる」
 暗闇の中響いたその声は、ざわめいていた燕の心を落ち着かせた。
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