思ったよりも人はあたたかい


 その後、地下の遊び場は解体された。“黒蟻”も無くなり、そこは跡形もなく消え去った。自らを黒蟻だと名乗っていたあの男は処断され、燕を拘束した者たちも正式な令状が無かったという理由で江戸城を追われた(因みに燕が小刀で男の一人を刺したことについては正当防衛ということで片が付いた)。しかし井久間の件については不問。攘夷戦争時代のことについては善悪の判断がつかないというのが理由であった。
「……なんていうか、苦しい事件でしたね。これ」
 降りてきた報告書を読みながら呟く山崎に、土方は何も言わなかった。皆が報われるわけではない。結果的に燕が死ななかっただけでも今回はまだ良かったのだ。
「副長、霧島さんがお見えです」
「霧島が?通せ」
「土方さん、俺ァ終兄さん呼んできますぜ」
 そそくさと退室する沖田を眺め、土方は煙草を灰皿に押し付ける。
「燕さんは甘いものが好きだったな」
「あ?ああそうだったな…」
「トシ、屯所にある甘いものを集めてきてくれないか」
「は?」
「労うんだよ!燕さんと終を!!」
 ニッと笑う近藤に、土方は困ったように笑うしかなかった。

「……何ですかィ、これ」
 机に置かれた大量の菓子を、燕は当然ながら怪訝そうに眺めた。
「菓子パという奴ですよ!菓子パ!」
「は、はあ…」
「霧島、気にしないで食え」
「………じゃあいただきます」
「土方さーん、饅頭にマヨネーズ付けるのやめてくだせェ。目に毒でィ」
「うるっせえな!」
 ぎゃいぎゃい騒ぐ彼らを困ったように一瞥してから、燕は相変わらず黙りっぱなしの斉藤に体を向けて座り直した。斉藤は不思議そうな目をして燕を見つめている。
「斉藤さん、あっし…今日はお詫びの為にここへ来たんです」
「?」
「色々ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
 綺麗に三つ指を突いて、燕は低頭する。まさかそんなことをするなどと思っていなかったのか、頭の上で彼が慌てたように気配を乱した。いつの間にか収まっていたのかお菓子で騒いでいた近藤たちは場の成り行きを静観していた。
 斉藤はおそるおそるという感じで燕を肩を掴んで無理矢理頭を上げさせる。燕が顔を上げると、目の前にはノートがあって“そんなことより傷は大丈夫なんですか?”と書かれてあった。
「あ……はい。まだ重いものとかは持てませんが。ていうか斎藤さんだって手が…」
「この程度の傷、終なら傷の内に入んねーよ。それに比べお前は刀を受けたのは初めてなんだろ、無理はするなよ」
「空気読めや土方。お前が喋る場じゃねーだろーが」
「お前も読め」
「なにより女を護ってできた傷は男の勲章だからな!終にそんな勲章(きず)ができるなんて、勲感激!」
「とどのつまり気にすんなってことでィ」
「はあ………いえ、でも…」
「?」
「何かお詫びがしたいんですけど…」
 何が良いですか、と問うてくる燕に斉藤は“そんな気を遣わなくていい”とノートに書き込む。しかし燕は結構頑固者で、そういうわけにはいかないとすぐさま否定した。
「何でも言ってください。何でもします」
「じゃあ終兄さん、今晩から霧島さんに奉仕でもしてもらったら…」
「何言ってるんですか沖田隊長!!」
「お前ホント最低だな」
「終、折角だから何か要望でも言ってみたらどうだ?例えば燕さんの家の軒下に隠れさせてくださいとか」
「アンタらもうちょっとまともなお願い考えろ!!」
 暴走する近藤と沖田を黙らせ、土方は気にせず続けてくれと述べる。
 燕は「さあ」と待ち構える。すると折れたのか斉藤はペンを手に取った。少し恥ずかし気だった。
“じゃあ”
「はい」
“また、からくり堂で燕さんとお喋りさせてください”
「…え?あの……そんなことで良いんですか?」
“これが良いです”
 不安そうに見つめてくる斉藤に、燕は僅かに口角を上げる。
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