心和ぐ、その時よ

いつものように机に向かい本を読んでいた。ふと後ろから視線を感じる事に気が付く。私は読んでいた本を開いたまま伏せ、その視線の主の方へと目を遣る。

「何だ? そんなところで……」
「えっ、な、何でもないです!」

私の予想通りナマエからの視線であった。まあ、この部屋に他の者いるはずがないので、彼女以外の視線では有り得ないのだが。
予想と異なる事といえば、彼女は何故かソファの後ろから此方を窺っている事だ。まるで怯えつつも好奇心が抑えられぬ小動物のようで実に愛らしい。

「何でもない事はないだろう……君からの熱視線で溶けてしまいそうだ」
「……!!」
「おいおい、そんなあからさまに逸らさなくたっていいじゃないか」

思わず緩みそうになる口元を抑えつつ、少しばかり大人げない事を言ってもいいだろうと揶揄いの言葉を口にする。そんな私の言葉にナマエは顔をパッと逸らした。拗ねてしまったのかと思ったが、彼女の赤く染まる耳がただの照れ隠しであると私に伝えてくる。
そうしている内に、ナマエはソファの陰へと身を隠してしまった。本当に拗ねてしまったら困る。ナマエの機嫌が悪くならないように、私はソファの方へゆっくりと歩いていった。

「それで……ナマエはどうして私を穴が開く程見つめていたんだ? 私に構ってほしかったのか、なあ?」

揶揄わないように、そう思っていたが……ソファの裏を覗き込んだ私を上目遣いで見上げるナマエに、うっかりと口が滑る。これは暫く口を利いてもらえないかもしれない。
そう思ったがナマエは一度視線を外すと小さく息を吐く。再び私の方を向いた彼女は、困ったように眉を下げ薄らと笑みを浮かべていた。ゆっくりとした動きで立ち上がる彼女は穏やかな空気を纏っており、今回は許してもらえるようだった。

「それも、ありますけど……」

構ってほしかったと素直に認めたナマエに少し思考が停止する。恥ずかしがり屋の彼女にしたら、随分と積極的じゃあないか。それなら今日はいつもより可愛がってやろうか、なんて手を伸ばしかけた。が、しかし……

「その、最近肌寒くなってきたでしょう?」
「ン? ああ、そうだな……」
「ルキノさん、冬って大丈夫なんですか?」

急に話が季節の話へと流れる。中途半端に伸ばしかけた手を気付かれないように降ろす。一瞬駆け引きでもしてきたのかと思ったがどうにも違う様だ。それなら単純に“そういう気分”ではないのか。いや、そうであったとしてもナマエの事だ、もっと分かりやすく慌てるだろう。つまり純粋に私の心配をしているという事か。

「大丈夫、とは?」
「どれくらい影響があるのか分からないですけど……トカゲだから」
「成程な……」

今までいくつかの季節をナマエと過ごしてきたが、そのような言葉を投げられた事はなかった。それに対して幾許かの疑問を抱いていたが……成程。
確かに蜥蜴について簡単な知識があれば、外気温の低下に伴う活動の変化について気になるのも無理はない。私だって目の前に蜥蜴人間がいたら満足するまで調べさせてもらうだろうな。だが、その蜥蜴人間は私自身だ。低気温における活動については、雪が積もるマップで確認済みである。低気温に長時間曝されていなければ大した影響はない。つまり“ヒト”と変わらないという事だ。

「出過ぎた真似だと思いますが…心配なんです。鱗、冷たくないですか?」
「そんなに気になるなら、触れてみれば分かるだろう」
「触れるって、えっと…」

私の調査結果を知る由もないナマエは、心底心配だといった表情で私を見つめる。たった一言、大丈夫だと伝えてやればナマエは安心するはずだ。だが、私も随分と悪い男のようだ。私の言葉一つで色づいていく彼女を見るのは、実に気分が良い。

「私の事が心配なら、温めてくれるんだろ?」
「今は必要ないんじゃ……!」

私の良からぬ考えに気が付いたのか、ナマエは後ろに少し後退る。いや、私の考えではなく言葉を受けて、だな。私の目から視線を切らさずに、そおっと動く彼女に口角が上がっていく。まるで猛獣に出会った時の行動だが……まあ大差はない、という事にしてやろう。
本当に見ていてナマエは飽きない。というよりコロコロと表情が変わる彼女から目が離せない。嗚呼、ナマエが愛おしい。まさか私が骨抜きにされてしまうとは、初めて会った時からは考えられないが、きっとそう成るべくして成ったのだろう。

「話していたら寒いのを自覚した」
「……?」

彼女の言葉通り、嘘だ。室内にいるのに寒いのであれば、それは部屋として機能が万全でない事になる。私一人が利用するのならまだしも、ナマエも共に過ごしているのだ。万が一にもそのような欠陥があったのなら、直ぐに部屋を交換してもらっている。つまり、私がこの部屋において寒さを感じるのは、殆ど有り得ないという事だ。
ただ折角のチャンスだ。普段私が口にする事のない、所謂弱音というやつを放つとナマエは一瞬固まった。きっと暫し思考を巡らせているのだろう。

「いや、絶対嘘じゃないですか!!」

そして、私の言葉が嘘だと気付き語気を荒げる彼女。少しばかり子供さを纏った様子だ。それを指摘するとナマエは落ち込むので口には出さないが。どうやら私と釣り合わないなんて馬鹿な考えに支配されるようで、一度それについて口喧嘩になった事もあるが良い思い出である。
私にとっては少しの子供っぽさも、的外れの悩みもただナマエを愛おしいと思う一因にしか成り得ない。それに彼女の感情を強く動かす要因になっているなんて、実に光栄な事だろう?

「いいや? 私もこの身体の事をまだ把握出来てなくてな」
「ちょっと! ルキノさん!!」

さて、尤もらしい台詞を吐いてナマエが立っている方へと素早く移動する。急な動きについていけなかったのか、彼女は簡単に私の腕の中だ。そのまま彼女を抱きかかえ、ソファへと腰を下ろした。私の膝の上にいるナマエは居心地が悪いのか、それとも恥ずかしいのか知らないが身を捩っている。
ナマエが逃げていかないように、ナマエを傷付けてしまわぬように細心の注意を払って腕に力を込めた。そっとナマエの耳元に顔を寄せ、出来るだけ優しげな声色で呟く。

「なあ、君が寒い時は私が温めてやるから……私が寒い時は頼んだぞ」

一瞬ナマエの肩が上がり硬直し、そして溜息と共にゆっくりと降ろされる。首を回し、顔だけ此方に向けたナマエは、観念したかのように「仕方ありませんね」と笑った。
きっと、幸せとはこの事を言うのだろう。ナマエの温かさが私に溶けていくようだ。心地の良い柔らかな温度。私は身を預けた彼女の髪にキスを一つ落とし、目を閉じた。嗚呼、暖かい。