知りたい、見せて

「もっとよく見せてください」

アオキさんはよくその言葉を口にする。最早口癖のようになったそれを彼は自覚していない。
今だってきっとアオキさん自身も気付かない内に出た言葉だと、思う。目尻を下げて柔らかな空気を纏うアオキさんだけど、それに騙されてはいけない。今まで散々痛い目をみてきた私の勘が言っている、これは良くないタイプの笑みだ。今回だってアオキさんのせいで頬が赤くなっているのに、絶対それを見たら嬉々としてからかってくるに違いない。

「からかうから嫌!」
「からかいません……多分」
「信じるよ?」

小さく多分と聞こえたような気がしたし、私の問いかけに返事はなかったけれど、アオキさんの事を信じようとそおっと顔を上げた。こちらを見ていた瞳と視線がかち合って、一呼吸の後それが細められた。あっ、やっぱり……。

「……ナマエさんは本当に自分の事が好きなんですね」
「う、嘘つき!」
「多分と言ったので、嘘ではないです」

そうあっけらかんと言い放つアオキさんの口角は上がり実に楽しそうだった。 再び私が顔を背けないようにか、アオキさんの手で軽く固定されて動かない。上機嫌に頬を撫でる彼の様子に心の中で溜息を吐いた。楽しそうなアオキさんの表情に目を閉じる。

あの時だってそうだった。

「ナマエさん! 大丈夫ですか?」

何もない所でまさか転ぶとは思わなかった。口から鈍い声が出て、少し前を歩いていたアオキさんが慌てた表情で近づいてくる。
地面に座る羽目になった私の元へ来たアオキさんは、まるで王子様さながらな様子で手を差し出す。転んでしまった事、そしてアオキさんの行動に周囲からの視線が集まった。こんなに目立ってもアオキさんは平気なんだろうか。というより私自身が恥ずかしくて、思わず大きな声が出た。

「大丈夫です!!」
「本当に? もっとよく見せて……」

私の声は痛みを我慢する声と思ったらしい。眉を寄せたアオキさんは静かな口調で“いつもの言葉”を告げる。この感じ、納得するまでは梃子でも動かないだろう。私は渋々と差し出された手の上へ、手のひらを彼に見えるように載せる。

「擦り剥けてますね。これは消毒せんといかんでしょう」

アオキさんの眉がさらに顰められる。手をつくように転んだので、確かに手の皮が少し擦ってしまっているけれど唾でもつけておけば治ってしまいそうなものだ。だから、そんなに深刻そうな表情をしなくてもいいのに。

「ちょっとだけ赤くなったくらいなので……本当にアオキさんは心配性ですね」
「そりゃ好いてる女性の事です、気になって当然ですよ」

だからちょっと大袈裟だよと伝えると、アオキさんはこちらを真っ直ぐ見据えながら口を開く。彼の言葉に全身の血が沸騰するかのような感覚が身を包んだ。

「〜〜っ!」
「痛いです、ナマエさん」

照れ隠しで軽く打つと、アオキさんは口を僅かに尖らせた。ホッとしたような表情のアオキさんの顔が忘れられない。

最初は恥ずかしかったけれど、それがアオキさんの愛情表現だと気付いた頃から、その言葉が私にとって大切なものになった。極力彼の言葉に応えようと、少しずつ素直になっていく。アオキさんは気がついているだろうか?私の思いに。
とはいえ、全て素直になれる訳もなくて。時折私だってどうしようもなく隠したくなる時もあるのだ。

「ナマエ、もっと……よく見せてください。隠さないで……」
「や、っ……恥ずかしい、!」
「恥ずかしくありません。自分から目を離さないで」

薄暗い部屋の中でアオキさんの口から、まるで懇願するように言葉が零れる。彼に求められるまま、私も受け入れて、溶け合って。確かに繋がっているのに、アオキさんは私の存在を確かめたくて仕方がないようだ。顔を隠すように置いてあった手を奪われて、シーツに縫い止められる。私からも彼の表情がよく見える。アオキさんの切なげに細められた目が、脳裏に焼き付いた。


「アオキさんって、よく見せてって言葉……使いますよね」
「そう、でしょうか?」

彼の部屋で並んで寛いでいる、なんともないひと時。ポロッと溢したその言葉に瞬き一つ、アオキさんはゆっくりと視線を寄越した。僅かに言い淀んだ彼に本当に無意識だったのかと少し驚く。

「うん。あ、嫌ではなくて……何かあるのかなって」
「気になるんです、どんな時でもあなたの事が。自分によって表情を変えるナマエさんも、自分の知らないナマエさんも……すべてが知りたい」

本当に驚いた。アオキさんがそんな想いを抱えていた事も、それを臆する事なく口にした事も。それが心からの言葉だと分かっているのに、私の中で意地悪な心が芽を出してしまった。

「本当?」
「ええ、本当です。おじさんがこんな事を思っているなど……嫌ですか?」
「おじさん……。あ、いや、おじさんが〜とかは全然思っていなくって!」

わざとらしく本当かと尋ねた言葉に返ってきたのは、想像だにしていなかったものだった。思いもよらぬそれに今度は私の言葉が詰まった。おじさんって……付き合った当初は気にしている素振りがあったけれど、もしかしてずっとそれが胸の内につかえていたのだろうか。両の手を振って否定するのを見たアオキさんは、床に視線を落とす。

「それは、思っていない。という事は何かしら思うところがあるんですね……」
「うーん、ちょっとだけ……重、ってアオキさん!?」

重いけれど嫌いじゃないと続く言葉は途切れた。言い切る前に勢いよくアオキさんが頭を下げたからだ。まるで仕事でヘマをして相手先に謝罪する時かのような綺麗なお辞儀に、慌てて彼の肩を掴んだ。

「すみません。今後は気をつけます」
「顔上げてください!!」
「ですが」
「ですがじゃないですって! 重いけど、嫌じゃない……って続けようと思ったんです」
「と、言うと?」

どうしても顔を上げそうにない彼に濁す事なく伝える。多分だけど、ここで濁すと今のアオキさんなら悪い方向に解釈して溜め込んでしまう気がする。物言いたげな目でこちらを見てくるアオキさんの頬に手を伸ばした。まるで以前彼が行った再現のようだ。

「その重みが心地良いよ。アオキさん……私にも貴方をもっとよく見せて」

私も貴方の事を全て知りたいの。