ここから始まる

イチョウ商会ウォロさん。コトブキムラの町民誰に聞いても、いつも笑顔の優しい人と返ってくるだろう。私も今はそう答える。けれど最初は彼の事をどうにも信用出来なかったのだ。

ムラの写真屋に勤めている私は、商会の方とは関わる機会はあまりなかった。それでもムラで生きていると彼らの姿を見かけるものだ。写真屋の仕事の一環で、ゲンゾウさんがイチョウ商会の方とお話しているのを後ろで見ていた。その時の相手がウォロさんだ。優しい人の噂に違わず、後ろに控えていた私に気付きニコリと微笑んだ。何故かその笑顔に小さな違和感を覚え、思わず視線を逸らしてしまった。
そこからウォロさんとの接点は特になく、いつもの日常が過ぎている。彼もこんな一村娘の事など気にも掛けていないだろうな。しばらくは私も彼の事を考えていたりしたが、次第その出来事は薄れていった。

そしてある日。いつものように写真屋の扉を開けようとした時、勝手に……いや中から扉が開いた。出てきたのはウォロさん。思わず固まる私を一瞥した彼は、お邪魔しましたと声を掛けニコリとあの笑みを顔に浮かべる。慌てて頭を下げると、どうもお構いなくと告げて去って行った。 

「そんな入口でどうした?」

去って行くウォロさんをぼんやりと見ていると、不思議に思ったゲンゾウさんから声が飛んでくる。急いで中に入り、呆けていた事を謝りつつゲンゾウさんに尋ねた。

「あの、イチョウ商会のウォロさんが…」
「ああ! 先程ここで写真を撮っていったのさ」
「写真?」
「ここは写真屋だぞ。……ほれ」

呆れた様子のゲンゾウさんは、先程撮ったばかりであろう写真を手渡す。そこには小さなポケモンと笑顔で写るウォロさんがいた。いつも通り、いや何となくいつもと違うように感じる。本当に優しい顔だった。見惚れるのはいいが、仕事の時間だぞと言うゲンゾウさんに否定しつつ、写真の中のウォロさんの笑顔が頭から離れなくなってしまった。
私は自分が思っていたより単純だったみたいだ。ウォロさんのあの笑顔が気になって、いつしか彼を見掛けると目で追いかけてしまう。じっと見るなんて不躾だと思う。でも、ウォロさんのあの笑顔だけじゃなくて、時折する何か悩んでいるような、どこか影のある表情も全部気になってしかなかった。

私からウォロさんに話しかける用事はなく、彼の姿を目で少し追っていたある日のことだった。こちらの視線に気が付いたウォロさんは、私の元へと一直線に歩いてくる。慌てて視線を逸らしたが遅かった。

「さっきから随分と見つめていますが……どうかなさいました?」
「あの、」

話しかけもせずじっと見ていた不審な女に嫌な表情も出さず、いつもの調子で話しかけてくれたウォロさんに口ごもる。なんて失礼な態度なんだと自分でも思うが、どうしようもない。 

「まだまだ商人って珍しいですよね! ジブンはウォロ、どうぞ仲良くしてくださーい!」

満面の笑みを浮かべてそう告げるウォロさんに肩の力が抜ける。小さな声でよろしくお願いしますと呟いた私に、彼は頷きながら手を差し伸べたのだった。

その日を境に私はウォロさんと話すようになり、気が付けば冗談を言い合える程の仲になっていた。今まで見つめるだけだったのが嘘のように、私達は近くになっていった。
いつしかイチョウ商会の人達が外から帰ってくると、他の町民達と共に彼らの元に駆け寄るようになった私は彼の姿を探す。キョロキョロと辺りを窺っていると、背後から声を掛けられて思わず飛び上がる。

「わっ、な……ウォロさん!」
「アハハ、随分と愉快な反応ですね。そんなにジブンに会いたかったんですか?」
「からかわないでくださいよ」
「つい。でもジブンは会いたかったですよ」

誰にでも分け隔てなく優しいウォロさん。この言葉に深い意味がある訳じゃない。そんなことは分かっているし、理解しようとしている。それでもいつの間にか私の心を奪っていったウォロさんのその言葉が、私だけのものだったらいいのにと思うのは悪いことだろうか?

何処から来たのか異邦人の少女が現れて、ムラに彼女が馴染み出した頃だった。彼女が外の調査に出掛ける度に、ウォロさんも外に出て行く頻度が増えた。商会の仕事なのは知っている。だけど胸の辺りが痛くって、言い表せない焦燥感に襲われる。ウォロさんが何処かに行ってしまうような、もう私の手の届かない存在になってしまうみたいで。
そうなる前に自分の気持ちを伝えたい。そんな自分本位な私はウォロさんをムラの外れへ呼び出した。何処に行くんです?と問い掛けを投げてくる彼にもうちょっとですと連れて来て、周りに誰もいないのを確認した私は立ち止まった。私に合わせるように止まったウォロさんは、眉を下げ困った表情をしている。ごめんなさい、今からもっと困らせてしまうかもしれない。

「ウォロさん、貴方の事が好きです」

時が止まった気がした。私の想いに何も言わないウォロさんは、目を丸くして僅かに驚いているようだった。ザアと風が吹く。

「……ありがとうございます。ですがジブンは商人で、いつか帰らぬ人になるかもしれませんから……」

息を小さく吸いウォロさんはゆっくりと話し出す。キュッと寄せられた眉、遠回しに告げられた言葉に全てを理解する。ああ、やっぱり。きっとそう言われると分かっていた。覚悟していた筈だったのに胸が痛くなるのは、それ程ウォロさんの事が好きだったからだ。

「そう、ですか。ごめんなさい、迷惑をかけるつもりじゃなかったんです」
「迷惑だなんて! 貴女のその気持ち、ジブンは嬉しく思っていますよ」
「さっきの言葉は忘れてください。貴方に、そんな顔は似合わないですから」

嬉しく思っていると告げたウォロさんの笑顔はいつもと違って何かを堪えるようなもので。違うの、そんな泣きそうな笑みを浮かべてほしい訳じゃない。優しい彼の口から言わせたくなくて、私は震える声を隠して呟く。

「素敵な時を、ありがとうございました」

どうだろうか、上手に笑えているかな?無言のまま固まるウォロさんに、私は背を向けた。

◆◆◆

コトブキムラに変な女がいる。商人ウォロとしてムラでの信頼も得たワタクシは“優しい人”として認識されている、その筈だった。いつも通り柔和な笑みを貼り付け、いつものように会話をしていた時、その彼女は僅かに眉を顰めてついと視線を逸らしたのだった。男慣れしていない初心な娘かと思っていたがどうにも壁がある。と言ってもきっと彼女もすぐに他の者と同じになるだろう。
それから暫く過ぎ、ムラでいると視線を感じるようになった。視線の主を探すといつかワタクシを避けていた彼女だった。ただの村娘だが懐柔しておくに越した事はない。何、一つ優しげな声色で話しかけてやればいい。

「さっきから随分と見つめていますが……どうかなさいました?」
「あの、」
「まだまだ商人って珍しいですよね! ジブンはウォロ、どうぞ仲良くしてくださーい!」

その後はワタクシの思惑通り、彼女は日に日に心を開いていった。それと、嗚呼認めたくないが……彼女と過ごす時間が、ワタクシにとって大切なものになっていたのだ。

そんなくだらない平穏な日々が続いたある日、異邦の者が現れたとムラは騒然となった。遂にワタクシの計画を実行する時だ。アルセウスに気に入られたらしい異邦の小娘に着いて行くのは腸が煮えくり返る思いだが、それも全ては己が為だ。ワタクシは今日も商人ウォロとしてお得意の笑顔を浮かべるのだ。苦痛だが出来ない事はない。ただ、以前のように彼女との時間が取れない事だけが心に引っ掛かった。
彼女に呼び出されたのはそんな折だった。いつもの能天気な雰囲気はどこにもなく、ワタクシの問い掛けにも碌に答えない。ああ、これは嫌な予感がする。ムラの外れまでワタクシを連れて来た彼女は漸く立ち止まり、此方を振り向く。ワタクシの目に泣きそうな、顔をした彼女が映った。

「ウォロさん、貴方の事が好きです」
「……ありがとうございます。ですがジブンは商人で、いつか帰らぬ人になるかもしれませんから……」

彼女の言葉がワタクシの心に落ちる。此れまでの経験からその言葉が出てくるのは分かっていた。いつものようにワタクシは用意してあるお決まりの返事をするだけで良かった筈だ。それなのにすぐに出てこなかったのは、何故か早鐘を打ち出した心臓のせいだろうか。

「そう、ですか。ごめんなさい、迷惑をかけるつもりじゃなかったんです」

本当に、迷惑ですよ。ワタクシの計画を破綻させる要素なんて要らない。貴女が大切だなんて。貴女が好きなのは、ワタクシではなくて商人ウォロでしょう。ワタクシの事を考えずに、自分の思いを告げた貴女がどうしてそんな表情をするのですか!

「さっきの言葉は忘れてください。貴方に、そんな顔は似合わないですから」

まるでワタクシが、泣いているみたいに言うな。いつも通り、ワタクシはいつもの笑顔を浮かべているだろう!震えて目の前の男の表情すら分からなくなったのか。ワタクシは平気です、貴女こそ大丈夫かと皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったのに、何故言葉が出てこないのだ。

「素敵な時を、ありがとうございました」

ワタクシに背を向けて歩き出す彼女の手を掴んだのは無意識だった。

「待ってください!!」

振り返った彼女の眼からまるで真珠のような涙が煌めいて落ちる。泣いている顔を見たくなくて、彼女を自分の腕に閉じ込めた。何を悩む事があるのだ。計画なぞ、再び練り直せばいい。例え彼女が商人ウォロを好きであっても、彼女が去って行くよりはいい。

「ワタクシも、ナマエさんが好きです」

ジブン、そう言わなかったのはせめてもの反抗だ。これで彼女と商人ウォロはめでたく結ばれる。腕の中の彼女に視線を遣ると柔和な笑みを浮かべて、ワタクシの頬に手を伸ばした。

「それが、貴方なんですね」

それが?何を言っている。目の縁の涙を拭い、彼女は噛み締めるように言葉を零す。

「私、いつも笑顔のウォロさんを好きになったわけじゃないんです」
「は?」
「時折見せる悪そうな顔、一人で悩む姿、それに悪戯っ子みたいな笑顔……どれも好きなんです。ねえウォロさん、私にもっと貴方を教えてください」

ああ、なんて事だ。こんな村娘に“いつも優しい”ウォロ以外の顔を知られるなんて。勿論ワタクシの計画がバレた訳でもない。けれどナマエさんなら、もしかすると。上等ですよ、嫌と言う程教えて差し上げましょう。

「そこまで言うのなら。ワタクシの事を知っていきなさい!」