とある序章

「やっぱりアオキさんかっこいいな〜」

最近私のナイトルーティンが一つ増えた。それはSwitchを起動してゲームを始め、チャンプルタウンのジムに入って遠目からアオキさんを眺める。満足したら会話して、バトル。何回バトルしてもアオキさんが格好良くて写真を撮る手が止まらない。会話が終わりアオキさんが宝食堂から出て行ったのを見送って、セーブをせずに電源を落とす。
そんなルーティンを始めてもうどれくらい経っただろうか。今日もいつものように電源を落とした時だった。画面にノイズが走る。えっ、やめて! 焦る私を余所にノイズが酷くなり、そして画面が暗転する。それと同時に急激な睡魔が私の思考を染めていき、そこで意識は途切れた。


「私のSwitch!! …………あれ? ここどこ……?」

飛び起きながら大声を出した私ははたと気づく。こんな部屋知らない。布団も普段のものより上質でふかふかだ。もしかして夢? 確かに急に眠くなって、それで寝てしまったような。夢にしては随分リアルな感覚に、明晰夢じゃないだろうか……まで考えた時だった。部屋のドアが開く音がして、誰かの足音が此方へ向かってくるのが耳に届いた。

「っ! 起きた、んですか……」
「えっ?」
「ナマエさん……」

その誰かは私を視界に入れると、目を丸くして一瞬固まった。私の間抜けな声を聞いた彼は、油を差していないブリキのオモチャみたいな動きで口を開く。そんな口から溢れ落ちたのは聞き慣れた自分の名前だった。

「アオ、キさん?」
「はい、アオキです」
「アオキさん……え、何? やっぱり夢?」
「夢じゃないですよ、ナマエさん」

やっぱり夢だ。目の前の安心出来る声色の、落ち着いた雰囲気の男性が名乗ったのは“アオキ”という名前。私の推しが私の事を認知して、というより同次元にいること自体が夢でしか説明出来ない。あまりに好き過ぎて夢の中にまで出てきてしまうだなんて、嬉しいやら恥ずかしいやらで状況整理すらままならない。夢だから。それで納得すればいいのだけど、夢であっても別にアオキさんと話したいだなんて思っていなかった私は軽くパニックだ。

「何か気に食わない物とかありますか? 変えます」

考え込んだ私を見たアオキさんは、内装が気に入らなくて唸っていると勘違いしたようだ。下手に尋ねるアオキさんに、私なんかに気を遣わないで! と叫びたくなる。夢なのに、上手く思い通りにならないもどかしさが胸中を占めていく。

「気に食わない……? や、特にないです! シンプルだけどしっくりくるというか、落ち着く部屋だなって」
「そう言っていただけると安心しました。此処の部屋は、これからナマエさんが使う部屋なので……何かあればすぐに言ってください」

アオキさんとどんな関係なんだろうか。夢によくある支離滅裂な設定だと思うけど、少し気になる。言葉を僅かに交わしただけだが、どうにも私の機嫌をアオキさんが伺っているように感じる。私がとんでもない我儘女で、でもアオキさんはそんな我儘女の事が好きとかだったらどうしよう。自分の夢のくせに解釈違いを起こしそうだ。そんな考えを振り払い、手招きしてアオキさんを近くに呼ぶ。

「アオキさん、少しいいですか」
「はい。どうしました……かっ!?」

ベッドに座ったままの私に目線を合わせるように、中腰になったアオキさんの顔にそっと手を寄せた。頬に手が触れた瞬間、肩が跳ねて上擦った声を漏らした彼の様子に慌てて手を離す。

「へ、あっ……すみません!」
「自分の方こそ……急に触られて、あの、すみません。……普段は画面越しの、ナマエさんの手……これがナマエさんの体温……」

お互いに謝り合う瞬間が過ぎた後、アオキさんは独り言の声色で呟く。此方に視線も向いていない事だし、独り言で間違いはないと思うのだが内容が内容で気になってしまう。画面越しって……もしかして遠距離恋愛設定の夢? アオキさんが一人の世界に入っているのをいい事に、私自身もこの夢について考え出した。何でこんなよく分からない設定なんだろう。私の見ている夢ならもっと楽しそうな夢にしてくれたらいいのに。思わず小さなため息が溢れる。

「ああ、すみませんでした。ようやく願いが叶ったので嬉しくて。ナマエさん、何か飲みたい物ありますか? 用意してきます」

私が呆れたのかと思ったんだろうか? アオキさんは軽く謝罪して、目を細めて微笑んだ。目元に皺が出来たのを見て、本当にリアルな夢だなあと再度思う。ゲームでも確認出来なかった皺を出してくる夢もどうかとは思うが。チラとアオキさんを見ると、私の返答を心待ちにしている様子である。

「飲み物……あー、と……ホットミルクとかで」
「分かりました。部屋の中は好きにみていただいて構いません。此処はあなたの部屋なので」

夢だけど待たせるのも悪いし、そう思った私はとりあえず眠りに影響しなさそうなミルクを頼む。そんなオーダーを軽く受けたアオキさんは、一言声をかけると部屋の外へと出て行った。ドアの外へと消える彼の姿に名残惜しさを感じたのは仕方ないだろう。

「折角の夢だけど起きたら終わりだよね……」

夢は覚める。いくら明晰夢で普段とは違っても、所詮夢は夢。狙ってアオキさんの夢を見れる訳もないし、もう少しだけこの状況を堪能しても良かった。ベッドに再び寝転びながら馬鹿な事を考える。

「あーあ、覚めなければいいのに」

もうちょっと、この夢を楽しんでいたい。そんな想いが自然と溢れた。でも仕方ないと鼻で笑い、目をゆっくりと閉じていく。

「ナマエさん」
「わ! アオキさん、部屋出たんじゃなかったんですか?」

居ないと思っていた人物の声が聞こえて、再びベッドから飛び起きる事となった。びっくりした。いつの間にかベッド脇にアオキさんが立っていて、此方を見下ろしていた。さっきまでいなかったよね? 飲み物を持っている気配もないし、これが夢の特有の謎展開なんだろうか。

「ありがとうございます。あなたの口からそう言っていただけるなんて。大丈夫です、ナマエさんの願いは叶いますよ。いえ、叶えます」
「ちょ、アオキさん落ち着いて……」

最初の此方の機嫌を伺うような様子から一変、今度は私の困惑なんかお構いなしにアオキさんは滔々と語る。肩に置かれた手に力が込められ、僅かに痛みを感じた。

「安心してください。疲れているでしょう、今は寝て……起きたら自分達の今後について話しましょう」
「あ……うん。そうだ、ね……」
「おやすみ、ナマエさん」

アオキさんの言葉に導かれるように、私はベッドへ身体を沈める。変な夢だったけど、楽しかったな……起きたらゲームを、確認…しない、と……。微睡に誘われるがまま身を委ねた私に、アオキさんの声が聞こえた気がした。

「ようこそ、“此方”の世界へ」