「イーヴリッグくん、待った?」
「ひゃい! ……あ、えっと、僕も今来たところです」
「そっか、ありがとう。早速向かってもいい?」
柔らかな口調で告げるナマエさんにこくりと頷く。同じゼミ生の彼女は、多分異性の中で一番話をする女の子だ。別に私が異性に縁がないとかそういうのでは断じてない!(だってLAGOM神の教えには異性と親交を持つようになんてないのだから)
出会った当初は僕をヤマムラ君と呼んでいた彼女は、いつの間にかイーヴリッグ君と呼ぶようになった。信徒ではないナマエさんにそう呼ばれた時、自分の活動が実を結んでいると嬉しくなったものだ。でも、それだけで。ただのゼミ仲間という関係は変わらずだ。どうしてそんな僕を今日誘ったのだろうか。横を歩く彼女へチラリと視線を遣る。
「どうしたの?」
「えっ、いや、どうして僕……私を誘ったのか?」
「前にイーヴリッグ君がカフェの前で立っていたのを見たから、詳しいかなって思って」
なんて事ないように言う彼女に一瞬固まる。僕が詳しいだって?一人で入った事もないのに荷が重すぎる。本当の事を言ったらナマエさんは帰っちゃうだろうか。それは嫌だな。
「確かに詳しいが、その今日行くカフェはまだ私も行った事がない、ので……ええっと……」
「よかった!」
「よ、よかった?」
「初めてのところに一緒に行けるのって嬉しいから」
「……は、え!? あの!」
「あっ見えてきた!」
嬉しいってどういう意味?そう聞こうと出した声はナマエさんによって中断される。弾んだ声の彼女が指し示す先を見ると、都会の洗練された人達がゆったりとした時間を過ごしているカフェ。そう思える外観がそこにはあった。そんな場所に躊躇なく彼女は歩いて行く。
「待って!」
「うん? ……もしかして予約の話? ちゃんと二名でしてあるから大丈夫だよ」
「予約……? そ、そう! それを言おうと……」
予約って、カフェに入るだけなのに都会ではそんな事をしなきゃいけないのか。何も知らないと思われたくない僕は、とりあえず彼女に合わせて曖昧に笑う。
店員に案内された席にナマエさんが座ったのを見てから、自分も席に腰掛けた。向かい側に座る彼女の姿が目に入って落ち着かない。なんだかゼミで会う時よりも可愛く……って僕は何を考えているんだ!こんな時こそLAGOM神の教えを思い出して……平常心を保つ為に飲んだ水はいつもの味と違って余計に心を乱す。店内に流れている耳触りの良い音楽も、僕の早鐘を打つ鼓動と混ざって不協和音になっている。
「この水、レモンかな?」
「え……」
「普通の水とは違う感じしない?」
まるで助け舟のようなその言葉に、僕はもう一度水を口に含んだ。ナマエさんの言葉を頭で流しながら味わうと、確かに柑橘系の味がするような気がした。
「確かにそんな気がする。その、予約とか……ありがとうございます」
「気にしないで! 私が誘ったんだし、こっちこそありがとう」
「かわ……違う! あー、ごめん……何頼む?」
僕にだけ向けられた笑顔に思わず心の声が漏れる。慌てて繕った言葉に嫌気がさす。どうしていつもこうなんだろう、変な奴だと思われてないだろうか。手元のメニューを覗きながらこっそりと様子を伺う。
「うーん、無難にランチ限定のプレートにしようかな」
「じゃあ僕もそれにしようかな」
特に気にしていない様子にホッとしつつ、僕に何を言われようと気にしないよな……と少し落ち込む。落ちてきた髪を耳に掛ける彼女の仕草にすらドキッとしてしまうのに、彼女は何にも思っていないんだろう。お洒落なランチメニューもどれを選べばいいか分からない僕は、彼女の真似をする事しか出来ない。つつがなく注文するナマエさんにバレないように息を吐いた。店員もいなくなった席で思う、何を話せばいいんだろう。教義についての説教なら言葉が出てくるのに、目の前の彼女との会話が見つからない。一体どうしたら……。
「なんかちょっと、緊張する…かも」
「き、君も?」
「イーヴリッグ君も?」
「……え、私は緊張など! 普段から話すのには慣れている」
「それじゃあイーヴリッグ君の事話してほしいな」
偶然かもしれないけれど、先程から彼女に助け舟を出してもらいっぱなしだ。でもその話なら大丈夫。いつも通りに話せばいいだけだ。軽く咳払いをして私は口を開く。
「我が名はイーヴリッグ、LAGOM神の忠実なる無機のキャビネット。LAGOM教団について」
「待って待って! 違うの、イーヴリッグ君の事を話してほしくて」
「えっと?」
意気揚々と語り出した途端、制止の声が掛けられる。出鼻を挫かれたような気持ちを抱きつつ、ナマエさんの言葉の意味を思案する。考えても説教を聴きたいとしか思えなくて、首を傾げた。そんな僕に彼女は逡巡した後、緩やかに言葉を紡いだ。
「イーヴリッグ君……つまりヤマムラ君の事知りたいな」
「はい!?」
お待たせしました、という声に遮られる。ワンプレートに載せられた、今まで画面越しにしか見た事のないようなお洒落なランチが目の前に並べられた。食べてみたかった都会のランチ。それなのにナマエさんの事が気になって、まるで輝いて見えない。
「ねえ、僕の事ってどういう意味?」
「同じゼミ生なのにイーヴリッグ君の事あまり知らないと思って」
それって僕の事が知りたいって意味?嬉しいという感情が胸に込み上げたのも束の間、ふと今までの記憶が過った。僕の話をつまらなさそうに聞き流す人、どこか馬鹿にした表情を浮かべる人。ナマエさんの言葉を真に受けて話して、結局興味を失ってしまったら?ああ、嫌だな。そんな思いをするのなら最初から言わない方がいいんじゃないのかな。渇きだす喉を水で潤し、小さく息を吸って彼女を見た。
「僕の事なんか聞いても面白くないよ……」
「あ…ごめん、ご飯食べよっか」
急に口籠った彼女にやっぱりからかわれただけと気付く。真に受けなくてよかった。これで彼女に馬鹿にされない。結局僕を正しく見てくれるのは神様しかいないんだ。そう思うと今までの高揚感なんて全て消えていくみたいだ。名も分からない料理にフォークを突き刺した時だった。
「私が、その……知りたかっただけだから」
小さくてまわりの音に掻き消されそうな声が彼女から零れる。思わず手を止めて顔を上げると、ランチプレートに視線を落としたままの彼女が目に入った。またからかって!そう思ったけれど、ナマエさんの耳は赤くなっていて……気が付くと僕は話し出していた。
「僕、すごく田舎の、雪が多い所に住んでたんだ」
「……! イーヴリッグ君の地元の話だよね?」
「本当に全然面白くないけど……うん」
パッと顔を上げたナマエさんの目が輝いている。その表情に心の中を巣食っていた暗い感情が少し消えたようだった。もし、彼女が僕を馬鹿にするのならこれっきりにすればいい。私はイーヴリッグ、話すのは慣れている!
***
「美味しかったね!」
カフェを出た後、ナマエさんはそうやって笑った。さっきまで僕の目の前で、僕の話を楽しそうに聞いていた時みたいに。
「……えっ、あ、そうだね」
「その間は……」
「ご、ごめん! あの、僕ランチの味とかより……君と話した事の方が印象強くて…。でも、美味しかったのは本当だよ!」
考え事をしていたせいか反応が遅れた僕をジッとナマエさんは見つめる。悪気があったわけじゃないと慌てて否定する。流石にこんな事で怒っていないよね?と窺った彼女はしかめっ面だった。
「イーヴリッグ君って、タチ悪いよ……!」
「タチ悪い!? えっ、えっ? 何かした?」
「何もしてない! でもしてる!」
「どういう事!? 分からないけど、怒らせちゃったならごめん。その、僕…ナマエさんにき、嫌われたくないんだ」
「……そういうところ」
こんな事ってある!?どこでナマエさんの機嫌を損ねっちゃったんだろう。ようやく“僕の事”を聞いてくれる人と話せたと思ったのに、こんなのあんまりだよ!それにまだ君の話も聞いていないんだ。何を言っているのか自分でも分からない勢いで話していると、彼女の表情がフッと和らいだ。
「えっと……嫌わないし、むしろ……」
「むしろ?」
「……やっぱり言わない!」
「え」
さっきまで怒っていた彼女はコロコロと表情を変え、歯切れの悪い調子で話し出す。そう思えば頬を染めて少し拗ねたように顔を背ける。人間らしくて無機には程遠い彼女の様子に心が引かれるなんて。
「今日は私の我儘に付き合ってくれてありがとう」
「うん。此方こそありがとう。僕の話……聞いてくれて、嬉しかった」
しばらく無言で歩いていた僕達で、その無言を破ったのはやっぱりナマエさんだった。キャビネットの僕の目をしっかりと捉えた彼女は目を細めて笑った。
「じゃあまた大学で」
「あの! 次は……君の話聞かせてほしいんだ。嫌ならいい、けど」
「うん! また私に付き合って」
こくこくと頷く。もう完全にカフェで抱いた感情は消えていた。今までだったら言わずに飲み込んでいた思いも、ナマエさんになら伝えられる。君が聞いてくれたように、僕だって君の事が知りたいんだ。
「……それと、帰ったら私がイーヴリッグ君を誘った意味……考えてほしいな」
「分かった、考えるよ! ……え?」
「今度こそまたね!」
働き過ぎて張り裂けてしまうのではないかと思えるような心臓の音が響く。無機には程遠いそれは、本当なら忌避すべきものだ。でも、でも今だけはいいだろうか。
愛なんて嘘っぱちだし、LAGOM神のキャビネットたる私には必要ないもの。だけど、それを乗り越えてこそ……あーー!分かんない!多分これはナマエさんとまた話さないと治らないし、このままだと教団の活動にも影響が出る。だから、また彼女に付き合ってあげないといけないのだ。それにあの時間……確かに僕自身を見てくれたナマエさんの事を、僕も知りたい。これも真なる無機になるための壁かもしれない!
鳴り止まない鼓動を聞きながら、僕は信徒の待つ家へと足を進めた。