いつも通り抑圧作業を終わらせて、魔弾の射手の収容室から出ようとした時だった。不意に背後から圧を感じて振り向くと、すぐ後ろに彼が立っていた。魔弾さんの担当者みたいになっているから、彼が動く事は知っているが急に寄ってこられると思わず身構えてしまう。私が咄嗟に構えた武器を見て、魔弾さんの黒い靄が僅かに増えた気がした。
機嫌を損ねてクリフォトカウントが減っていないだろうか。収容室の外から銃声が聞こえてこないか意識を向けたが、特にそれといったものは聞こえてこず胸を撫で下ろした。構えていた武器をゆっくりと下げる。
「何か私に用事? 魔弾さん…」
そう言ってから普段職員の間で呼んでいる魔弾さんという呼び名を口に出してしまった事に気が付く。今度こそ機嫌が悪くなるかと思ったが、彼は軽く頷いただけだった。
「少しの間エネルギー以外の報酬で依頼を受けてやろうか」
魔弾さんは私ではなく、きっと様子を見ているであろう管理人にそう告げた。依頼については私が口を挟めるものではない。しばらく無言の間が流れた後、スピーカーから管理人の声が聞こえてきた。
「それはありがたいけど、魔弾の射手…君は一体何を求める?」
「内容は明日こいつに言う」
「えっ、私に?」
まさか私に話が振られるとは思っていなかったため、間抜けな声が出てしまった。勿論その後私の意思が確認される事もなく、管理人から明日はよろしくと断れないお願いをされ、今日の作業は終了したのであった。
魔弾さんはどんな報酬が欲しいのか、それを考えていて昨日は全く寝れなかった。報酬はお前の命だ、なんて言われたらどうしよう。睡眠不足で頭が働いていないのか、あまりいい考えが出てこない。憂鬱だと一つ溜息を吐き、バインダーを持ち直して収容室へと入った。
「今日もよろしくお願いします、魔弾の射手」
「……」
「えーっと今日も抑圧作業を…」
「今日の作業は俺が決める」
「……?」
報酬の話が出る前に作業に移ってしまおうとしたのが見抜かれたのか魔弾さんから制止が入る。制止というよりこれは……。
「魔弾の射手、それは報酬に関係がありますか?」
「そうだ。昨日此処の管理人が呑んだ契約に関する事柄についてだ。ついでに俺の事は昨日呼んでいたように呼べばいい」
魔弾さんってこんなに流暢に話せたのか。答えながら僅かにこちらに近付いてきているような気がして一歩後退った。それに彼が言った最後の言葉の意味が分からない。最期になるから好きに呼ばせてやるとでもいいたいのか。
「もし嫌だと言ったら?」
「お前は作業を真摯に取り組んできたはず。それに嫌とは言わないだろう」
そう言った魔弾さんは銃を構えた。流石に調子に乗りすぎた。嫌な汗が出てくるのを感じる。こちらを向いている銃口は、私を撃つためのものではない事を知っている。知っているからこそ怖い。魔弾の射手の弾丸が貫くのは他の職員だ。
「そう、ですね。管理人も望んでいる事ですから」
声が震えているのが分かる。なかなか銃口を下げてくれない魔弾さんから目を逸らさずに、貴方に従いますと訴えた。しばらくそのままの状況が続いたが、魔弾さんが不意に銃口を下ろした。しかし緊張が解けたのも束の間、彼は私との距離を詰め、私の手からバインダーを奪い取り後ろへと放り投げた。
「魔弾さん……!」
「今日は“愛着”作業だ」
「あいちゃ…く…っ!」
依頼になっているのだから、愛着作業なんてないじゃない! そう言おうとした瞬間、魔弾さんによって顔を掴まれる。突拍子もない行動に固まった私を気にする素振りもなく、手に力を入れたり抜いたり……これは頬を揉んでいる? 本当に彼が何をしたいのか全く分からない。
魔弾さんの手から頬が解放されたと思った刹那、唇が触られているのに気付く。非難の声を上げようとしたが、万が一口に指が入ってしまったら何が起こるか想像もしたくない。何が起こるか分からないのがアブノーマリティなのだから。しかし、機嫌を損なわないように好き勝手させていたが、あまりに私に干渉しすぎではないだろうか。これじゃあまるで魔弾さんが私に愛着作業をしているような……。
一通り触って満足したのか、魔弾さんは私を解放した。ようやく終わったと放り投げられたバインダーを回収しに彼の横を通った瞬間、強い力で引かれていつの間にか魔弾さんに後ろから抱きしめられるような格好で座っていた。
「は、えっ?」
「寝ろ」
「寝ろって言われても」
「……」
無言で銃をチラつかされたら従うしかない。アブノーマリティの腕の中で眠るなんてよっぽど肝が据わっていないと無理だ。そう思っていたが魔弾さんの黒い靄が私の目を覆い、私の心臓の音と魔弾さんの体温だけが感じるものの全てになってしまった後、すぐに私の意識は溶けていったのだった。
「ナマエくん、作業お疲れ様!」
ノイズ混じりの管理人の声に私は飛び起きた。もしかして相当な時間、魔弾さんの腕の中で寝ていたんじゃないかという事実に気が付き、血の気が引いていく。
「ご、ごめんなさい!」
管理人に対してか、それとも魔弾さんに対してか私の口からは大きな謝罪の言葉が飛び出した。魔弾さんは無言で立ち上がり、いつもの体勢へと戻った。
「謝らなくても怒っていないから。それより今日は自由に依頼が出来て良かったよ」
「依頼?」
私は魔弾さんにこねくり回されて、彼に脅され寝ていただけだが。結局報酬の内容も聞いていないし、一体どういう事かと魔弾さんに視線を遣ると、彼は銃を抱え直して口を開いた。
「今日の作業は終わりだ」
魔弾さんはそれっきり口を噤んでしまった。しばらく魔弾さんを見ていたが、管理人から退室命令を受けて私は収容室から出ざるを得なかった。本当に今日の作業は一体何だったのだろう。まあ寝ていただけだし、特に身体に不調もないからいいかと呑気に考えている私は知らなかった。今後、定期的にこの謎の愛着作業が行われることを。ポケットに入った彼からのギフトに気が付くまで、後少し―――。