テレビの中で女が男に「浮気者!」と叫んでいた。結局誤解が解けてハッピーエンド、よくある展開だ。
「ナマエさんは嫉妬、とかしますか?」
「えっ?」
「少しだけ気になったので……」
びっくりした。こちらを見ていた事もそうだけど、ドラマの内容に言及してくるなんて。アオキさんの興味に掠らない内容だと思っていたから尚更驚いた。多分深い意味もないだろうその言葉に、少しだけ期待が膨らむ。でも、こういうのは基本ぬか喜びになるのが多いのだ。
「もしかしてドラマ見て心配になりました?」
「まあ、ですね……」
歯切れの悪い返事をするアオキさんにやっぱり先は長くないことに気が付く。私から猛アタックしてアオキさんと恋人になったけど、彼の気持ちは私にはないのかもしれない。そんなこと思いたくはないけど、もしかしたら情けで付き合ってくれた可能性も否めない。思わず零れそうになる溜息をグッと飲み込んで、私はゆっくりと口を開いた。
「別に、しませんよ」
「例えば自分が他の女性と食事していても、ですか?」
「ええと、多分、しないです」
「……そうですか。あの、本当に?」
だから本音を隠して私は微笑む。アオキさんに嫌われたくない。私からの一方的な思いで成り立っているこの関係を、これ以上悪いものにしたくないのだ。私の言葉にアオキさんは一瞬目を伏せ、逡巡した後に恐る恐るといった様子で口を開く。そんなに心配なんだろうか。
「だって付き合いとか仕事とか色々あるでしょう? いちいち嫉妬してたら面倒な女じゃないですか」
「…………」
「あの?」
「っ! あ、そうですね。今後仕事でそのような事もあると思ったので確認を……」
やっぱり駄目だ。嫉妬なんかする面倒な女は嫌われてしまう。慌てた様子で確認だと口にする彼の様子に、嫉妬してしまうし、嫉妬してほしいなんて本心を言わなくて良かったと思う。間違った選択をしなくて本当によかった。
「あはは、アオキさんそんなことまで気にしてるんですか?」
「いや、一応……。ですが、まあ自分達には関係のない話でしたね、いい歳の大人ですし」
自分で嫉妬しないって言ったのに、何で胸が痛いんだろう。 私は笑顔を作って、誤魔化すように言葉を紡ぐ。 本当は、アオキさんに嫉妬してほしいのだ。私ばっかり好きみたいで悔しいし、少しくらい妬いてほしい。その本音を彼に言える女だったら幾分可愛げもあったんだろう。 でも言えない、言えるならこんなに悩んでいない。
それに、アオキさんにそんな素振りを見せればきっと別れを切り出されるに違いない。それならこのままの関係で良い、アオキさんと居られるだけで幸せなのだから。 そう自分に言い聞かせて、私はアオキさんの言葉に頷いた。
「うん、そうですね。だからアオキさんもしないでくださいよ」
「……」
わざとらしく強調する様にそう言えば、アオキさんは少しだけ困ったような表情を浮かべて笑う。ああ、これは呆れている顔だ。面倒くさいと思われているのかな。もはやBGMと化したはずのドラマの音が嫌に耳に響く。
「えっと、あ! お茶なくなったから取って来ます!」
私はその場を誤魔化すように慌ててソファから立ち上がって、キッチンへと向かった。冷蔵庫からお茶を取り出してグラスに注ぐ。冷たい液体が喉を潤していく感覚に、少しだけ落ち着きを取り戻した気がする。大丈夫、気付かれてないはずだ。
「あーあ……、ほんと馬鹿みたい」
思わず口から零れてしまった独り言は、誰に聞かれるでもなくシンクに落ちていく。嫉妬してほしいなんて思ったところで無駄なのだ。彼はそんな人じゃない。
「アオキさん、早く私の事フってくれればいいのに」
私だけが彼に依存しているようで、何だか無性に泣きたくなった。こんな馬鹿な事言ってないで戻ろう。 軽く目を擦り、グラスをシンクへ置く。そして大きく深呼吸してリビングへ戻ろうとした時だった、背中に軽い衝撃とお腹に腕が回された感触がしたのは。首だけそっと振り返ると、アオキさんが抱き着いてきたらしい事が分かった。
「ア、アオキさん……?」
「……すみません」
消え入りそうな声で謝るアオキさんに、私は首を傾げる。一体どうしたんだろう。こんな弱ったアオキさんを見たのは初めてだ。それに彼とこんなに密着するのだって。そこまで考えて、恋人らしい事をしてなかった事実に胸が痛くなった。でもそんな事より今は私を抱き締めているアオキさんの事だ。
「急に、どうしたんですか?」
「……さっきの話は嘘です。関係ないだなんて」
私の背に顔を押し付けながらアオキさんが呟く。「嘘ってどういう事ですか」と口を開く前に彼は続けて言葉を紡いだ。
「嫉妬、しました」
「えっ?」
「……嫉妬、です。前にナマエさんが男性と話されている際、相手が同僚だと知っておきながら」
アオキさんが嫉妬した? 信じられなくて聞き返せば、アオキさんは苦々しい声音で答えてくれる。
「嘘……」
「嘘じゃありません」
彼の言葉が衝撃的過ぎて、言葉が上手く出てこない。嫉妬、してくれたんだ。私が男性と話していただけで。私1人がその思いを抱いていた訳じゃなかった、その事実が嬉しくて思わず頬が緩みそうになったのをバレないように引き締めた。
「アオキさん、顔を見せてください」
「……」
「お願いします」
渋々といった様子で腕が解かれた。アオキさんの顔を見つめれば、気まずそうにしている。今日だけで彼の知らない顔をいくつ見られるんだろう。アオキさんは軽く息を整えて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あなたにとって、自分のこの思いは煩わしいかもしれません」
「煩わしい? そんな事思ってませんよ」
「聞こえていました。フってほしいと」
「あ……」
「すみません、盗み聞くつもりはなかったのですが……」
あの時すでにキッチンに居たんだ。同じ家にいるのだから、聞かれても仕方がない状況だった事に今更気づく。
「あれは違うんです! 別に別れたいって意味で言ったんじゃなくて……」
「いいんです、今までこんなおじさんに付き合っていただいて……感謝して、いますから」
言葉を遮ったアオキさんは諦めを含んだ声でそう言った。ああ、駄目だ。このままだとアオキさんは本当に離れてしまう。そんな予感がして、咄嵯に私は口を開いた。
「……アオキさん、聞いてください」
「……はい」
「私、ずっと不安だったんです」
「不安?」
アオキさんが不思議そうに聞き返す。先程逸らされてしまった視線が此方を見ている今しかない。今まで溜め込んでいた思いを吐き出すチャンスだ。ここで言わなければ、きっともう私と彼との関係は終わってしまう。
「アオキさんが嫉妬してくれるか分からなくて。私ばっかり好きで、いつか捨てられちゃうんじゃないかって」
「そんな事はありません!」
「うん、分かってます。アオキさんはそんな人じゃない。でもね……やっぱり不安なんです」
今まで心の内に隠していた本心を口にすれば、自然と涙が溢れてくる。アオキさんはそんな私を宥めるように頭を撫でた。優しく触れてくれる手が心地好くて、つい甘えたくなる。きっと先程のアオキさんの言葉を聞くまでは、こんな態度を取ってしまったら駄目だと自分の思いに蓋をしていただろう。 でも、もう大丈夫。そっと顔を上げるとアオキさんは控えめに笑みを浮かべていた。
「アオキさん……?」
「すみません。自分だけじゃなくて、嬉しく思いまして……こんな事いかんと思うのですが」
喜色が滲む様子で話す彼に、首を傾げる。するとアオキさんは、少し気まずげな表情でゆっくりと口を開いた。
「今まで自分は嫉妬するだけに留まらず、浅ましくもナマエさんにも嫉妬してほしいと……考えていました」
「……私達、物凄くお似合いじゃないですか?」
「ええ、そうですね。ただ言葉が足りなかったようです」
暫く沈黙があって、そしてどちらともなく笑い合った。嫉妬するなら、もっと早く言えば良かった。そうしたら、お互い悩まなくても済んだのに。
「アオキさん、もう一度抱き締めてほしいです」
「……一度と言わず、何度でも」
アオキさんはふわりと笑って、今度は正面から抱き締めてくれた。私も彼の背中に手を回す。温かい。アオキさんの体温を感じながら、彼の胸に耳を当てる。トクントクンという鼓動が聞こえて、それが愛おしくて堪らない。
「…………好き」
「自分も、好きです」
小さく呟けば、アオキさんはしっかりと答えてくれる。彼と付き合って暫く経つけれど、今から私達の関係が始まっていくような気がする。
「私嫉妬しちゃうけど、本当にいいですか?」
「それを言うなら自分も嫉妬深いですから……いくらでも」
その言葉と共に腕に力がこもり、よりアオキさんを感じる。ああ、幸せだなあ。どちらともなく唇を重ねて、目を閉じた。彼からの嫉妬だなんてどんなに甘美なものなんだろう、か。