コンコンと部屋をノックする音が聞こえる。この時間のこのノックは、きっとシェフが夕飯を持ってきてくれた合図だ。前は食堂で食べていたが、最近は何故か部屋に持ってきてくれるようになった。理由は聞いても教えてもらえないままだ。あんまり待たされるとシェフは無理矢理ドアを破ってくるので、思考はある程度に私は急いでドアを開けた。
ドアを開けると片手に大型の骨切り包丁、片手に湯気が立っているお皿を手にしたシェフが待っていた。最初の頃はシェフの手の包丁が怖くてしかたなかったが、その矛先が私には向かないと知ってから恐怖は薄らいだ。食材を切るもので人に切りかかったりはしない……そう思いたい。
さて、シェフが持ってきてくれた料理は何だろう。湯気が立っている浅めの皿、シチューだろうか? 彼は背が高いから皿の中身が見えない。でもとってもいい香りがする。その匂いを嗅いだ途端、自分のお腹がくぅと鳴いたのが聞こえ少し恥ずかしくなった。早く食べたいなんて思いながら、シェフを部屋へと招き入れる。
「今日もありがとうシェフ!」
「ああ……今日はおでんだ」
「おでん! 久々だなあ」
「そうか……」
この時期のおでんはありがたい。ただでさえ暗く冷えるこのホテル、身体の中から温める料理が嬉しくないはずがない。シェフは机へと料理を置き、スッと後ろへ下がった。彼は私が食べ終わるまで帰らないのだ。シェフから視線を逸らし、机に置かれたおでんを見る。大根、はんぺん、こんにゃくに卵……つゆは透き通りとても美味しそうな匂いがしている。きっと良い出汁が出ているに違いない。彼の作る料理は私の好みに合わせてくれているようで、毎回とても美味しくいただいている。ホテルに来た最初の頃は、赤黒く濁ったスープや食べると舌が痺れる料理といったとんでもないものが出ていたが、今はそのようなものが出される事はなかった。
さて。箸を手に取り、大根に箸を入れる。気持ちの良いほど簡単に箸が入るそれを口に運ぶ。やっぱり思っていた通り、出汁が染みていて美味しい! 次はどうしようか、いろんな具材があって悩みながら箸を進めていく。普段は食べている最中にシェフに話しかけたりはしないけれど、あまりの美味しさに思わず声をかけてしまった。
「このおでん作るのにすっごく時間かかったんじゃ……?」
「時間をかけて……じっくりと、煮込んだ……」
「やっぱり! このスジ肉なんてとっても柔らかいもん」
大根の時点で予想していたが、入っていたスジ肉もとても柔らかくて美味しかった。口に入れた瞬間に噛まなくても、ほろほろと崩れていくような感触。一体どれだけ時間をかけて作ったんだろう? それに美味しいこの肉は牛スジではないみたい。基本的に豚牛鳥くらいしか食べたことがないので、それ以外の肉だと全く分からない。わざわざ珍しい肉を使っている……? 折角作った本人が後ろにいるのだ。聞かない手はないだろう。
「このお肉って何の肉? 牛肉ではないと思うけれど……」
「秘密、だ……。ただ、お前のために、用意した……特別な肉……」
「特別?」
何故秘密なのだろうか。特別と言っていたから、私に当ててほしいのかな? そう思いシェフの顔を伺ったが、彼はいつもの無表情で何を考えているか想像も付かない。こちらがじっと見ていても何も言わず、こちらを見返してくるだけだ。彼の帽子の炎がゆらりと揺らぐ。これは聞いても無駄だ。そう判断した私は再び目の前の皿を平らげる事へと集中した。
「ご馳走様! 美味しかったよ、シェフ」
「全部、食べたな……おかわりもあるが……」
「うーん、食べたいけど今はお腹いっぱいだから、」
本当に美味しかった! そう思いながら、自分のお腹を軽くさする。彼が用意してくれる料理の量は、私のお腹の許容範囲いっぱいいっぱいなのだ。毎回おかわりを勧めてくれるけれど、毎回断ってしまう。申し訳ないなと思いながら、彼の様子をちらりと見る。シェフはゆっくりと頷き、あまり気にしているようではなかった。そんな彼を見てほっと胸を撫で下ろした。次こそはおかわりをしよう、そう心に決めて、空になった皿を彼に手渡す。
「分かった……皿、下げる……」
「ありがとう」
厨房で片付けをしながら、地獄のシェフは先程の彼女の様子を思い出す。随分と美味しそうに食べてくれた。自分が作った料理を、何も知らずにただ美味しいと食べる彼女はなんて可愛いのだ。明日はどんな料理を作ってあげようか。毎日毎日、彼女のために料理を作り、彼女が食す。まるで自分が彼女を作っているようだ。そんな事を考えながら、シェフは大きな冷蔵庫の扉を開く。冷蔵庫の中には切り分けられた肉が所狭しと並べられていた。
「まだまだ…“特別な肉”は、沢山ある……」
そう、まだまだ残っている。もも、肩、スネ……それか心臓なんてどうだろう。彼女のために仕留めてやったのだ。仕留める際、随分と暴れた……活きのいい男だった。前にナマエが話していたロクでもない男。わざわざグレゴリーに頼んで、ホテルへと誘い込んだ。じっくりと彼女に気付かれないように、そいつを追い詰め恐怖を染み込ませた。食材が誰なのか……知った時の彼女の顔を想像するだけで胸が高鳴って仕方ない。
でも、まだだ。彼女の細胞の全てが、自分の作った料理によって作り替えられた時、その時に彼女の疑問に答えてやろう。もう取り返しがつかなくなった後ではないといけない。
「また、ナマエのために……、作って……あげないとな……」
ああ、早く彼女の絶望した顔が、見たい。