緩やかに語る

此処荘園には蔵書が多い訳ではないが所謂図書室と呼ばれる一室がある。ルキノにとって特段有用な専門書が置いてある訳ではないが、静かな空間というのは思考を整頓させるに適任だ。普段通り自室で作業をしていたルキノだったが、気分転換にはいいだろうとゆったりとした足取りで図書室へ向かった。
人というのは不思議である。周りを観察して、ある種のルーティンが完成する。つまり図書室にも人が居ない時間があるということ。それを見越してこの時間を選んだルキノは独り占め出来るであろう部屋の扉を開けた。

「どこに……あるんだろう」
「ナマエ?」
「ルキノさん……?」

誰もいないと思っていた室内には一つの人影があった。ただその人物が見知った女性であったこと、そしてその女性に少なからず好意を抱いていたことが、ルキノの足を図書室へと留まらせる。
驚かさないようにと出来るだけ柔らかな音でかけた声だったが、彼女の肩が僅かに跳ねた。少しの心苦しさが胸中を占める。そっとこちらに視線を向けた彼女に、先程の二の舞を踏むまいとルキノはゆっくり口を開いた。

「一体何の本を探しているんだ?」
「爬虫類についての本、です」

何かを求めるように本棚を見つめていた彼女の役に立てればと、軽く尋ねた質問は思いもよらぬ重さを持って返ってきた。まさか爬虫類とは。以前トカゲを見つけて固まっていた彼女をルキノは覚えている。好きな女性が自分と同じ趣味嗜好とは限らないと思っていたが、はて。

「爬虫類? 君は爬虫類にそんなにも興味が?」
「えっと、その……」

問いかけに彼女は目に見えて焦り出した。うろうろと視線が宙を彷徨う。そんな様子からルキノの頭の中には一つの仮説が浮かぶ。それを言ってみる価値はあるだろう。

「もしや、私の為に?」
「っ! え、あ……」

ピタリ、彼女の動きが止まった。可哀想になる程にうろたえ始めた彼女に、ルキノは僅かな罪悪感と、それ以上の愛おしさを抱いた。

「私と試合で一緒になった時の為にだろう」
「あ、はい!」
「くく、冗談だ」

少しからかいが過ぎたと謝罪するルキノの口は薄らと弧を描いていた。ここに他の者がいれば、あまり彼女をいじめるなと言われかねない表情であったが、あいにくと咎める者はいない。からかわれた側の彼女は恥ずかしさからかその事実に気づいた様子はなく、助け舟を出してくれたとルキノに感謝する始末だ。
しばらく彼女の言い訳じみた語りを聴いていたルキノであったが、そろそろ核心を突いていいだろうと軽く咳払いして話を中断させる。

「君が知りたいのは、本当に爬虫類のことかね?」
「……」

ルキノの言葉に彼女は息を呑んだ。きっともう一押し。僅かに身を寄せたルキノは勿体ぶるかのように、ゆっくりと口を開く。

「そういえば、最近新種のトカゲを見つけてね……興味は?」
「そのトカゲって……」
「私は是非君に知ってもらいたいと思っているよ」

彼女の目を覗き込み、まるでお願いするかの如く言葉をかける。甘さまでも乗ったような台詞に、彼女の瞳が揺れた。

「もし、知りたくなったら……私の部屋に来るといい」
「あくまで私の意志が大切、ってことですか?」

ルキノはあえて彼女の問いには答えず、緩やかに口角を上げてみせた。聡明な彼女のことだ、きっと全て理解しただろう。
待っている、そう一言彼女に告げたルキノは当初の目的はなしに部屋を出る。ああ、きっと今日は素晴らしい一日になることだろう。