ふと人の気配を感じ目をゆっくりと開ける。
「あ、起きちゃいました?」
「……君、は」
寝ぼけてますね、私の様子を覗き込んでいたらしいナマエはくすくすと笑った。微睡みに委ねそうになる意識を何とかして留める。私の横に立っていた彼女は、コトリと机へコップを置いた。どうやら彼女は水を飲みに来ていたようだ。
「すまない、寝ていたようだ」
「まったくです。ここで寝ていたら風邪引いちゃいますよ」
まったくもってナマエの言う通り、まさか食堂で寝てしまうとは。酒瓶を開けたまま、みっともなく机に凭れさせていた身体をゆっくりと起こす。その瞬間身体から何かが落ちた。何だろうかと目線を動かせば、持ってきた覚えのないブランケットが落ちていた。彼女は食堂で眠りこけている私を見つけ、わざわざ持ってきてくれたのか。
「これ、掛けてくれてありがとう。君も身体が冷えてしまうから」
ブランケットの埃を払いつつ、彼女に感謝の意を伝える。新しいものを貰えないか、ナイチンゲールに訊いてみなければいけないな。
「まだ戻らないんですか?」
女性が遅くまで出歩いているなんて、身体に悪いから部屋に戻りなさい。そう伝えたつもりだったが、ナマエは部屋に戻る素振りを見せなかった。まったく……中には女性に優しくされただけで勘違いする輩がいるというのに、彼女はそれを分かっているのだろうか。
「ああ、もう少し晩酌でもしていこうと思ってね」
「またエミリーに怒られちゃいますよ」
「それは困った。だが私は酒がないと眠れないのさ……付き合わせるのも悪いからね、部屋に戻ってくれ」
だからこそ私は彼女に悪いとは思いつつも、少し語気を強めに言葉を発する。私の言葉に彼女は固まり、目線を彷徨わせてから此方をじっと見る。何か言いたげな瞳に気づかないフリをして、私は彼女から目を逸らした。
私に何を言っても駄目だと思ったのか、彼女はぺこりと頭を下げて背を向けた。これだとまるで酒に溺れた男の戯言に、呆れた彼女が去っていったようだ。いや、あながち間違いでもないな。
「さて、」
「ちょっと待って!」
彼女も帰った事だし、もう一度酒を煽ろうと瓶に手を伸ばした時だった。制止するように慌てて掛けられた声に振り向く。
「ナマエ、まだ戻ってなかったのか?」
「このままホセさんにお酒飲ませた!ってなったら、私がエミリーに怒られちゃいますから」
そこには部屋に戻ったと思ったはずのナマエがいた。これだと勘違いされても文句は言えないぞ。自らの事は棚に上げて、非難するような口調で彼女に問いただす私に、ナマエは何ともないように笑う。本当に分かっているのだろうか、心配だ。
「はい、どうぞ」
「これは?」
「ホットミルクです」
私の無言の訴えに、彼女は頷き手に持っていたマグカップを差し出す。自分用に入れてきたのではないのかい?とナマエを見る。彼女は冷めちゃいますよ、と溢さないようにそっと私へと渡す。その一瞬、私と彼女の指先が触れる。
「ナマエ、」
「心配事、ホセさんも人だからあると思います」
「ああ…」
触れた指先を払う事なく、彼女はマグカップごと私の手を包み込む。酒を飲んでいないのに、じんわりとした熱が身体に広がっていく。
「だけど大丈夫。眠れないのなら私が…ホットミルクを入れてあげます」
ナマエはまるで私の不安を分かっているかのように、ゆっくりとした語調で話す。彼女の言葉、眼差し……そして伝わる熱が心地良くて、奥底に眠っている不安までも解かされていくようだ。暫し彼女と視線を交わし合う。ふっと力が抜け言葉が溢れる。
「随分とホットミルクに自信あり、だね?」
「落ち着いてきたでしょう?」
私の口を吐いて出た言葉は少し揶揄うようなものだったけれど、彼女はそんな私に対してウィンクしてみせた。こんな時まで余裕を持った大人でありたい私に、肩の力を抜いてくれと彼女なりの気持ちだろうか。それなら効果覿面さ。
「そうだな……これから君にお願いするとしよう」
「ふふ、任せてください」
私からのお願いに、彼女は胸辺りをポンと叩いた。嫌いな夜も彼女のおかげで好きになれそうだ。
少しだけ冷めてしまったホットミルクを飲みながら、私はぼんやりと考える。貰いっぱなしでは男が廃るというもの。彼女は何が好きだろうか。私が彼女に貰った暖かさのカケラを、何倍にもして返してあげたい。
「おやすみナマエ」
「おやすみなさい、良い夢を」
私が飲み終えるまで律儀に待ってくれていたナマエを部屋まで送っていく。閉まるドアを見つめ、踵を返した。明日からの夜が待ち遠しくてたまらない。ああ、久し振りに良い夢が見れそうだ。