Gioca per me.

 書けない。何度も書き直し皺の付いた紙を、くしゃっと丸め放り投げた。床には綴られた想いが幾つも転がっている。私の想いも丸めて屑籠に入れてしまえれば、どれだけよかったのか。
 それでも私が文字を綴ろうとするのは、彼への想いを、もう自分の中に留めておく事が出来ないから。なんて、自分勝手な行いだろう。

*

 彼を初めて見たのは雪が積もる工場。最早何のために参加しているか分からない試合で、いつものようにただ黙々と暗号機を解読していた。
 シンと冷える空気に乗って、何処からか聞こえていた音。その音を聞いた瞬間、冷えていた身体が嘘のように熱く熱くなった。魂の奥底を揺さぶられるような、激情の音。誰が、誰がこの音を奏でているのか!!
 手を止めて様子を窺った瞬間、紅く、美しく光る旋律に貫かれた。何が起きたのか分からなかった。ただ生温かな己の血が不快、それだけが理解出来る事。心臓が身体中に血を送り出し、息が上がっていく。攻撃、この攻撃は誰の……? その疑問はすぐに解消される事になる。
 ゆったりとした足音と辺りに響く鼻歌。ピタリ、私の真後ろでそれが止まる。逃げなくてはいけない、それは分かっている。それなのにあの素晴らしい音を奏でた張本人が後ろにいる、その事実が私の足をその場へと縫い止めた。息を飲み、振り返った私が見たものはしなやかに曲がった弦。
 気付いた時にはチェアに括られていて、彼の音が離れていくのがただただ悲しかった。もっと、もっと聴いていたい!
 結果としてその試合は引き分けに終わった。私の動きは褒められたものではなかったが、初めて出会うハンターだったという事で責められる事もなかった。どこか上の空の私を心配そうに声を掛けてくれる仲間達に感謝しつつ、私の心は彼が奏でる音に囚われていた。

*

 その日から、私は彼の旋律への想いを綴るようになった。伝える事が叶わないのであれば、ただ紙上に載せて吐き出す事が出来れば充分……そう思っていたはずなのに。いつしかその想いは、まるで恋慕のような重く深いものへと変化し、彼へと届けたいと思うようになっていた。彼の奏でる旋律を、ただ一人私だけのものにしたい。
 私は床に散らばったそれを一瞥し考える。私の、伝えたい想いは……。ただ一言、それを丁寧に丁寧に書き上げ、ガーネットの色をした手触りの良い封筒へと滑り込ませる。それを手に私はサバイバーの館からそっと抜け出した。

 館を出ると鬱蒼とした木々が広がっている。その先にハンター達の館があると、そう聞いた。誰もわざわざ近づこうと考えもしない、未知の場所。この場の鬱々しさに対する恐怖もあった、だけどそれ以上に自分の中の熱情に飲み込まれてしまう方が怖かった。彼に会ったなら……いや会えなくたっていい、この想いを。
 音が、聴こえる。私が欲しくて仕方がなかった音。心臓が煩く鳴り出す。静かに、静かに! 彼の旋律を邪魔するな!!

「誰だ?」
「あ、その……」

 待ち望んでいた音に惹かれるように、いつの間にか私は彼の方へと足を進めていたようだった。私の存在に気が付いた彼は演奏を止め、抑揚のない声で呟く。その声に私は漸く彼の前へと姿を見せていた事に気付いた。
 何も出来ぬ間に、彼は此方へゆったりと近づいて来る。私の身体は初めて会ったあの日と同じように動かなくなった。ただ、前と違うのは恐怖によるものだ。

「君は……先の試合にいた子だな。一体何の用だ?」
「邪魔をしてしまってごめんなさい。何も…用はない、の」

 そう、彼の演奏を邪魔してしまった。私如きが! 神に献上するが如く崇高なる調べ……それを制止させるだけでなく、彼の時間までも割いてしまうなんて。
 それにも拘らず、彼が私を認識していた事実に胸が熱くなる。なんて浅ましさだ。彼の有限なる時間を私で消費さすべきではない。謝意を述べて踵を返そうとした。

「君が隠そうとしているそれは?」

 無意識の内に手のそれをポケットへと押し込もうとしていた。私のはしたない想いの篭ったそれは、一瞬の内に私の手から消えていた。何処へと疑問も抱かぬ間に、彼がそれを見ている事に気付く。

「私宛の……ふむ、成る程」
「違うの、渡すつもりは……!」

 血の気が引くとはまさにこの事だろう。私はご丁寧にも封に彼の名前(と言っても役職名だが)を記していた。彼は自分宛であると確認すると、封を開けさっと目を通す。
 ここまで持って来ておきながら、渡すつもりがないと妄言を吐いた私は、彼を止める事すら出来ない。私の想いを否定されるくらいならば、いっその事逃げ出してしまおうか。

「いいだろう」
「え?」 

 彼の口から紡ぎ出された音は、私の想像していた音とは全く異なっていた。彼は、私の想いを読んでなお、それを否定しないと言うのだろうか。
 思わず聞き返してしまった私へと、彼はグッと顔を近づける。その動きで彼の覆い隠されていた目が見え、私を真っ直ぐ射抜いている事に気が付いた。深く何処までも光を吸い込むような彼の瞳。

「君の口から、直接、言ってみたまえ」

 彼は私に言い聞かすように、ゆっくりと言葉を奏でる。いいのだろうか、私の想いを口にして。いや、私は確かに彼に赦された。あのエゴイスティックな想いは赦されるものだと。
 彼のその言葉はまさしく魔の音だ。私に絡みついて、そして深くまで浸透していく。頬に冷たい感触が伝わる。溢れ出す涙を抑える事なく、私は想いを彼に伝える。

「貴方の演奏を、私のために、奏でてほしい」
「ふふ、……さあ、我が演奏を! 世界の旋律を聴きたまえ!」

 もう戻れなくたっていい。私は今幸せの絶頂にいるのだから。