丁寧にナマエさんを棺に納める。教会の主祭壇前に立てられたそれは、そこにあるのが相応しいかのような存在感を放っていた。普段の試合なら、こんな場所に納棺したりなど勿論しない。でも今日は僕だけだ。目の前の物言わぬ彼女の頬へと、そっと手を伸ばした――その時。
「イソップ」
「!」
教会に声が反響する。誰も来ないと思っていた場所に、一番来てほしくなかった人物の声が。目の前の彼女が動き出した、そう錯覚した。しかし”彼女”は沈黙を保ったままで、直ぐに生きているナマエさんの声だと認識した僕の足は、外へと逃げ出そうとしていた。
「逃げないで、ねえこっちを見てよ」
「あの、僕に……何か…」
逃げようとした僕の手をナマエさんがパッと捕らえる。流石に振り払って逃げる事は出来ない。僕は仕方なく彼女へと身体を向けた。目を合わせたくなくて、少しずつ視線をズラす僕に彼女は一つ溜息を吐く。チラと主祭壇の方を見た彼女は、淡々とした声で尤もな言葉を投げ掛けた。
「何か? イソップこそ、私に何か言わなきゃいけない事があるんじゃない?」
「……そ、の…僕は」
「練習をしていた?」
やはりナマエさんは見ていた。僕が丁寧に納める様もずっと見ていたのかもしれない。気味が悪いと言われても仕方ない。仕方ないし、他人に言われたところで気にならない……はずだった僕は、どうにかしてナマエさんに許されようと言い訳を探していた。だから、彼女が逃げ道を用意してくれた時、それに乗ろうと口を開いたのだ。
「わざわざこのマップで? 嘘は言わないで」
それもナマエさんにはお見通しだった。赤の教会で、更にこんなマップのど真ん中で納棺しておいて練習など……誰も信じないだろう。
彼女は少し苛立った風にぴくりと眉を動かしてみせた。怒りの感情を持つ人と接するのは、普通に話すより疲れる。ただでさえナマエさんと話すのは、どうしてか他の人と話すのより疲れるのだから。彷徨わせていた視線をそおっと彼女へと向けた。
「気を悪くしてしまったら、謝ります。でも……悪い意味は、なく…て」
「うん、イソップの瞳を見れば分かるから」
僕の謝罪の言葉は、彼女の力強い言葉で肯定される。ナマエさんは……怒ってはいない? 人とそれほど関わってこなかったからか、直ぐに彼女の言いたい事が分からなかった。
それでも……彼女のあまりに真っ直ぐな瞳を見ていた僕は、どうしてもナマエさんの真意を知りたくなった。彼女の瞳から逸らさず、そこに映り込む情けない自分を見る。おどおどして情けない、だがここに居続ける意味は――。
「僕は、貴女を…近くで見たかったのかもしれない。だけど…」
ぽつりと真情を吐露する。どうして僕が、物言わぬ彼女を作ったのか。ナマエさんを、いつもなら手の届かない彼女を、手の届くようにして見たかった。でも、言えるわけがない。
「直接言えない、から?」
貴女に伝えるのが怖かった。それを伝えるのすら、僕は怖い。彼女はまたしても僕の言いたい事を代わりに音にする。
僕の口から音にならなかった声が漏れた。情けない、だけど僕はナマエさんに伝えなくてはいけない。今まで抱いた事のない不思議な感覚。まるで仕事をする時のような、使命を受けた……そんな強い気持ち。
「そう、でした……でも僕は、自分が思っていた以上に、欲張りだったみたいだ」
ゆっくりと目を閉じ、深く息を吐く。彼女は何も言わず、僕が口を開くのを待っている。数秒、数分……どれだけ経ったかは分からない。長いようで短い時間かもしれない。再び目を開いた僕を、彼女はじっと見つめていた。ナマエさんの瞳には、もう情けない僕はいない。
僕は、どうしようもなく彼女を――。
「ナマエさん…貴女の隣で、僕も一緒に歩みたい」
本当に欲張りね。彼女はただ、そうやって微笑んだ。
僕が一人で彼女を納棺する事は、きっとない。いや、あるとしても……それはナマエさんの最期の時になるのだろう。僕は物言わぬ彼女に背を向け、笑みを浮かべるナマエさんの方へと歩き出した。