ぎしり、ベッドが軋む音。それと身体も沈むような感覚。ふわふわとした心地はきっと彼が来た合図だ。
「こんばんは、行者さん。これもまた夢の中ね」
瞼をあげると夜を旅する彼がいるのだろう。このまま微睡みに身を任せるのも面白いけれど、そんな事をしたら彼にからかわれてしまう。前に寝てしまったら、夢の中で寝るなんて大した眠り姫だなんて恥ずかしい台詞を貰ってしまったのを忘れていないわ。
「随分と慣れたもんだなナマエ」
「だって貴方が会いに来るのはいつも夢の中じゃない」
私がそう言い返すと、一瞬目を丸くした彼は言うようになったなァと不敵な笑みを浮かべる。慣れるに決まっている、貴方が一体どれだけ私の夢に来てくれたのか忘れたとは言わせない。
私を閉じ込めるように上に覆い被さっていた彼にそっと手を伸ばす。私の手が彼の顔に触れると、スリと頬を寄せてきた。どこか猫のような仕草にふふっと声が漏れる。
「夢を盗んで、そして取り替える事も出来るのでしょう?」
「ああ、何の夢がお好みだ?」
嫌がる素振りなんて全く見せず、むしろ上機嫌な彼はいつもなら言わない台詞を吐く。どれだけ撫でられるのが気に入ったの? 人の夢を好きにして、それを生き甲斐のように振る舞っていた彼が珍しい。
でも折角だからお願いしてみようかしら。断りでもしたら拗ねて意地悪な事をしてくるに違いないから。何でも言ってみろと、行者さんは目を細め私からの言葉を促した。
「草原で……のんびりしたい」
「そんな夢でいいのか?」
「ええ、それがいいわ」
どうやら彼にとって、私のお願いは意外だったらしい。欲のない奴めとブツブツ呟きながら、彼は私の目を大きな手でそおっと覆う。それだけで彼が私を傷付けまいとしているのが伝わってくる。
夢の中でどんな事が起きても、現実では変化はないと言っていたのに。彼の優しさを感じながら目を閉じた。
*
「こんな何もない夢のどこがいいのやら。折角なら普段体験出来ぬ事を望めばいいものを」
寝具の上では感じる事のない涼しげな風がさあっと頬を撫でる。シーツの滑らかな感触がチクチクとしたこそばゆい感触に変わり、どこか青臭いそれでいて安心する香りがする。ほらよ、という行者さんの声を合図にゆっくりと瞼を開ける。
「あら、だから頼んだのよ」
「どういう事だ」
寝転がる私の横で彼は空を見ていた。私も起き上がって彼の方へと身体を寄せる。彼がスッと身体を動かしたのは私が寄りやすいように違いない。ああ、本当に優しい人……。
どうにも私の望んだ夢に満足出来ないらしい彼は、尻尾をゆらりと揺らしていた。俺ならもっと素晴らしい夢をお前に見せられる! という主張かしら。貴方にはこの夢の素晴らしいさが分からないのね。それならば教えてあげないと。
行者さんの腕を両手で包み込むようにそっと触る。それに気付いた彼がこちらを見たタイミングで、私が貴方に見せれる最高の笑顔をプレゼントするの。
「太陽の下なら貴方の顔がよく見える」
「な、」
まるで空を映したようにキラキラと光る瞳。 その素敵な目が大きく開かれる。彼は何かを言おうとしてそれは音にならず、ただ空気が漏れるだけ。その代わり闇夜を閉じ込めたような、それまた美しい彼の尻尾が綺麗に丸まり、彼の驚きを代弁しているようだわ。
いつも彼に驚かされている仕返しが出来たみたい。動きを止めた行者さんの方へ、膝立ちで身体をぐいっと近づける。それでもやっぱり彼の顔は遠い。
「驚いた顔も素敵よ、行者さん。いえ、ルキノさん」
「〜〜っ! よくそんなこっぱずかしい事を……!!」
それでも、彼に触れたくて。伸ばした手がルキノさんの顔に触れた。それまで私の一挙一動を逃さないように、ただ見守っていた彼の身体が跳ねる。そのまま彼の首にするりと腕を絡めて……その瞬間、彼は思考の海から浮上した。
私から彼へと回されている腕を見て、そして私の本心からの言葉を聞いて彼は相当焦ったみたいに大きな声を出した。私だって少し恥ずかしかったけれど、でもそれ以上にルキノさんの思考を乱せるのが嬉しかった。こんなの想いはしたないかしら?
いつの間にか私は完全に立ち上がっていた。普段見る事のない位置から彼を見ている。恥ずかしさが入り混じった表情で私を睨むように見つめるルキノさん。まるでいつもと形勢が逆転したみたい。恥ずかしさか怒りか、どちらかは分からないけれど、強い感情を抑える事が出来ず震える彼を抱き締める。
「もうおしまい?」
ゆっくりと私の鼓動を聴かせてあげるようにルキノさんの頭を私の方へと寄せる。そのまま彼が落ち着くように一定の速度で撫でていく。彼の震えが収まり、身体の力が抜けていくのを感じる。
私より大きくて、年上なルキノさんにこんな感情を抱くのはおかしいのかもしれないけれど……可愛くて愛おしくて、そして守ってあげたくなる。私の前でくらい気を抜いて休んでほしいもの。
「…………ってやる」
「なぁに?」
しばらく私の胸に頭を預けていた彼が小さな声で何かを言っている事に気がつく。一度では聞き取れなくて彼に顔を近づける。
「ナマエが望むのなら、夢の外でも会ってやる」
顔を上げてこちらを見るルキノさんの瞳には私が映っていた。空でもなく私だけが彼の瞳を彩る事が出来ている、それがたまらなく嬉しかった。
瞳に魅入られて動けなくなってしまった私を、ルキノさんは優しい力で抱き締める。ああ、さっきとは逆になってしまったわ。そのまま彼の腕の中に収まった私はゆっくりと力を抜いた。
*
「全く最初に怯えていた様子は何処へ行ったのやら」
「それだけ貴方に惹かれ、好きになったのよルキノさん」
再び目を開けた時、私達は見慣れたベッドの上へと座っていた。先程とは違うのはルキノさんが後ろから私を抱き締めている事だけ。彼に身体を預けたまま、彼の方へ……上へと顔を動かす。
そこには憎まれ口を叩きながらも、慈愛のこもった眼差しで私の事を見つめるルキノさんがいた。いつものようにどこか挑発的な表情を浮かべる事もせず、穏やかな彼に少し自惚れてしまう。もしかして私の想いが伝わったのかしら、なんて。
「……もう今日はゆっくり眠るんだ」
「誰がゆっくり寝かしてくれないのかしらね?」
ルキノさんは私を緩やかな動きで静かにベッドへと沈めていく。癖で身構えそうになったけれど、彼はふっと笑ってシーツを掛けた。
そんな事をルキノさんがする気はないのは分かっていたはずなのに、反応してしまったのが恥ずかしくなる。それを誤魔化すように過去の彼の話をわざと出した私は、内心冷や冷やしていた。違うのよ、貴方を信頼していないわけではないの。けれど私の反応の意味も、貴方になら解るでしょう?
「ふん、誰だろうな? ……おやすみ、良い夢を」
「おやすみ、ルキノさん」
きっと彼は気づいていたけれど、気づかないふりをしてくれた。やっぱり貴方は本当に優しいのね。
目を閉じる。夢の中で眠るなんて何回聞いてもおかしな事だけれど、私は眠りに落ちていく。彼の温もりも消えていく。
荘園で会うルキノさんは”彼”ではないかもしれない。外で会うなんて無理かもしれない。でも、確かに貴方は約束してくれた。私が信じなくてどうするの? 待っている……ううん、私だって探して会いに行くからね、行者さん。