私はとある部屋の前で手紙を持ったまま立ち尽くしていた。どうしよう入っていいのだろうか、私がそう悩むのには理由があった。原因は私の手にある手紙だ。質の良い封筒に入ったそれには、『此れを見たらすぐに私の部屋に来るように ルキノ』と短い文が書かれていた。
朝、部屋を出た瞬間にはらりと床に落ちた手紙。封筒に宛名もなかったそれはいたずらだと思っていたけれど、読んでみると確かに私宛だった。正しくルキノさんの筆跡であったし、彼が手紙を送る相手は私のはずである。確信であるというより、そうであってほしいというだけだけれど。
普段からしょっちゅうルキノさんの部屋に入り浸っているような私に、わざわざ手紙を出して呼び出した事に疑問を覚えたが、もしかしたら何か驚かしたいことでもあるのかもしれない。そう考えた私は一度鏡で身だしなみを整え、手紙を握りしめて彼が待つ部屋へと向かったのである。
そしていざ畏まって部屋に呼ばれるという事実に、ドアをノックしようとしていた手が止まる。もし別れよう、なんて言われたらどうしよう。頭を占拠しようとする悪い考えを、軽く頭を振って追い出す。深く息を吸って意を決した私は、コンコンコンと軽くドアをノックした。
「入ってきたまえ」
少しの間の後、部屋の中からルキノさんの声が聞こえた。いつもなら向こうからドアを開けてくれるのに。緊張を飲み込んでドアをゆっくりと開けた私の目に飛び込んできたのは、部屋の光を吸いきらきらと美しい光を纏うルキノさんの姿だ。
部屋に入って固まる私を不思議に思ったのか、ルキノさんは立ち上がり此方へと歩いてくる。その度に光が反射して、辺りに宝石が散っているようだ。いつの間にか目の前に立っていた彼にハッとする。
「ルキノ…さん? いつもも格好良いけど、きらきらしていてすっごく綺麗」
「そうか? この衣装は試合で目立ったしょうがない」
ルキノさんに見とれていた私の頭からは、先程までの不安なんてとっくに追い出されていた。ただただ彼が綺麗で……そんな思いが音となって口から零れる。私の言葉にルキノさんはフッと笑うと、軽く手を広げて“衣装”への不満を口にする。スッと細められた目もいつもとは違い、ぼんやりと光を湛えるそれは琥珀のようだ。
「それって衣装なんですかね?」
「さあな、私はそのように認識しているが」
身体自体が宝石に作り替わっているような、そんな状態を衣装として認識しているなんて。ルキノさんが衣装に興味がないのか、それともそう認識させる“衣装”が凄いのだろうか。彼に導かれるままソファーに座った私は、横目でちらりと彼を見つめる。
「……あの、いつもと雰囲気が違いますね」
「ああ、どうやらこの衣装に引き摺られているようでね」
そう、ルキノさんがいつもと異なるのは見た目だけではなかった。雰囲気も普段より落ち着いているような感じがする。普段も私と比べたら随分と大人だけど。
「何だ、今の私は苦手かね」
「苦手っていうか、慣れないだけですよ。ルキノさんはルキノさん……なんですよね?」
少し残念そうな空気を纏わせてルキノさんは私に問う。新しい一面と言うのだろうか、いつもとは違う彼に新鮮さを感じつつ、ふと似ているだけで別人なのではという疑問が浮かんでくる。
「私は私、と言いたいところだが、少々説明が難しいな」
万が一別人だったらどうしよう。そんな一心で尋ねたけれど、望んでいた言葉は返ってこなかった。彼は組んでいる手の人差し指を軽くトントンと動かす。どうやら上手く説明出来る言葉が出てこないようだった。そんな彼を見ながら、私はどういう意味なのか考え……そして気が付く。
「えっ、あの、それじゃあ私出ていった方がいいんじゃ……」
「何故だ? 君は私の恋人だろう。恋人と二人で過ごすのに何の問題もあるまい」
普段のルキノさんと違うのなら、私への想いも違うのではないだろうか。だから出ていこうと、そう伝えた私に彼はどこかムッとしたような表情をする。何を遠慮する必要があるのか、自分と恋人であるのを忘れたのか。そう言いたげな彼の様子に、段々と混乱してくる。
「んん? ちょっと待って、よく分からない……」
「あー、そのだな。今までと少し性格が異なる別個体とでも言ったところか」
彼がルキノさんなのか、違うのか。どうにも分からなくなってきて、助けを求めるように視線を投げる。私の視線に気が付いた彼は一拍置いて、分かりやすい回答を口にした。
「おい、何故私から距離を取るんだ!」
「だって、別個体ってことはいつものルキノさんじゃないって事でしょう?それなのに、その、いちゃついたら浮気になっちゃう」
スッと立ち上がり距離を取った私の腕を、彼は慌てた様子で掴む。勢いがあったはずなのに掴まれた腕は痛くなくて、力加減を絶妙にしてくれていることが分かる。そんなところもルキノさんと一緒だけれど、彼は別個体……そう言っていたのだ。
「全く……ナマエは愛らしいな。それに私は随分と愛されているらしい、我ながら妬けてしまう」
「……だから、今日は帰りますね」
私の慌てふためく様子に、彼は力を抜いて和らげな雰囲気になる。それだっていつものルキノさんと一緒で。でも今日は。自室に戻ろうと決めた私は、腕を掴んだまま離さない彼の手にそっと自身のそれを重ねる。暫くそのまま彼と見つめ合っていたが、私の訴えに負けたのか手をゆっくりと外す。
もしかしたら煌めく宝石のような彼にはもう会えないかもしれない。そう思うと少し名残惜しい。だけどもう帰らなくては。それじゃあと彼へと背を向ける、つもりだったのだ。
「いや、待ちたまえ。私だって君を愛しているルキノだ。そう易々と帰らすとでも?」
「愛し……! その、まるで悪役みたいなセリフですね」
私が背を向けようとした瞬間、彼は立ち上がり私を引き寄せる。私を手元に収めた彼は、にんまりと笑ってそう告げる。悪いことを考えていますと顔に書いてある彼に、少しの嫌味を含めた言葉を投げかけたが全く効いている様子はない。
それどころかいつもと違う彼に抱き締められて、私が緊張していることに気が付いていた。恥ずかしくなって俯いて彼に顔を寄せる。抱き着くみたいになってしまったけれど、これなら熱を持った顔を見られることはない。
「まあ、私はハンターだからな」
そう思っていたのに彼にくいっと顎を掬い上げられ、隠そうとしていたものが暴かれる。彼のどこか射貫くような視線に囚われて逸らすことが出来ない。そんな私の事なんか知った事ではないと言わんばかりに、彼は手を動かし私の頬を撫で上げた。
自分の鼓動の音だけがやけに大きく聞こえて……どれくらい経っただろうか。彼の手が止まり、そして私の肩へ置かれる。手を追っていた視線を彼の方へそおっと向けると、彼は眼を細めて肩を軽く上げる仕草をした。
「それで、どうかね?」
「私がルキノさんのお願いを断れないのを知って……!」
ゆっくりと尋ねられた言葉は、こちらに選択肢があるようでないに等しいものだ。彼の言葉には何とも言えない圧があったし、それに“彼”の珍しいお願いを断る術なんて持っていない。観念した私は彼の隣へと再び腰を降ろすことになった。
*
「ああ、随分と穏やかな日を過ごせた。ありがとう、私のamore」
「うう…本当にルキノさんだあ」
「全く君は……ずっとそう言っているじゃないか」
結果から話すと彼は紛れもなくルキノさんであった。私を引き留めて何をするのかと思っていたら、彼は自分の膝をポンポンと軽く叩いた。つまり膝に乗れと言うことだったけれど、恥ずかしくて乗れる訳がない。そんな私を見かねたのか、仕方のない子だと尻尾で絡めとり難なく膝に乗せることに成功してしまった。
それから特に何事もなく、私はルキノさんに抱き締められたまま過ごすことになった。時折顔を首筋に寄せてくる彼に、くすぐったさを感じて身を捩ると、すぐにすまないと離れていく。そんな彼に寂しさを感じたのは……秘密だ。
ルキノさんは何かの作業をする時も私を乗せたままで邪魔じゃないのかなと思ったけれど、揺れる尻尾が視界に入り随分とご機嫌な事に気が付き、それならいいかと私は身体の力を抜いた。時にはこんな日もあっていいよね。
****
「ルキノさん! 今日はいつものルキノさんなんですね!」
次の日、ルキノさんの部屋を訪れた私が目にしたのは、“いつもの”ルキノさんだった。ソファーに座り込む彼に小走りで近付く私に、ルキノさんは無言で立ち上がるとずんずん歩いてくる。
「ナマエ……」
「え、何…?」
おかしな雰囲気のルキノさんに、思わず足が下がる。何か怒らすような事をしてしまったのかと考えるが何も思いつかない。困惑の色が乗った声を上げる私に彼はまた一歩詰め寄ると、ガッと両肩を掴んだ。
「昨日は随分とお楽しみだったようだな?」
「お楽しみ……? ちょっ、ルキノさん自分に嫉妬してません!?」
「私じゃない私が、ナマエといちゃついてたんだぞ。その記憶が残っているだけに余計に、なあ?」
語気強く言い放つルキノさんは、自分自身に嫉妬という世にも珍しい事をしていた。普段なら嫉妬してくれる……それだけで彼の愛を感じていたけれど、今回はあまりに特殊だった。記憶が残っているという事は昨日の彼もルキノさんだったのは確実。だからこそ“彼”に嫉妬する理由がよく分からないのだ。
「一緒に座っていたくらいじゃん!」
「そうだが……あーー、クソッ!」
それにルキノさんが言うような“お楽しみ”なんてことはしていない。それを指摘すると彼は手を放して目を逸らし、視線を宙に彷徨わせる。そして尻尾を床に叩きつけた。多分理屈では分かっているが……という事だろう。
「そんなに言うならルキノさんが違う衣装着る時に、私のこと構わなければいいじゃないですか……」
「はあ、分かってないな」
「なんで溜息…」
どうにも納得がいかないようなルキノさんにそう告げると、彼は頭を左右に揺らし溜息を吐く。こちらを若干非難するような態度だけど、別に間違った事は言っていないと思う。溜息を吐きたいのはこちらですよ、と言いたくなるのをグッと堪えてルキノさんの言葉を待つ。勿論、少し不服そうにするのを忘れずに!
「私はナマエを愛している。そんな私に構うな? 無理に決まっているだろうが」
衝撃。
「おい、ナマエ?」
「ルキノさん好き……」
「私も好きだが……急にどうした」
ルキノさんからのストレートな愛の言葉に全て吹き飛んでしまった。恥ずかしげもなくそんなこと言って!なんて文句を口にしようと思っていたのに、私の頭の中を占めるのは彼への愛しさだけだ。
「分からないならそれでいいです」
「ん、ああ?」
私は勢いよくルキノさんに抱き着く。自分がいかにクサいセリフを吐いたなんて気付かない彼は、少し困ったように笑った。そんな仕草も大好きだよ。
抱き着いた私を抱き上げて、そおっと降ろされたのはソファーの上だった。影が掛かったと思うと額に微かな感触。離れていくルキノさんを目で追いかける。彼は私の横に座り、肩を優しく引き寄せた。それに応えるようにコテンと頭を預ける。
「今日はいっぱいイチャイチャしましょうね」
「随分と積極的だな」
「嫌い?」
「そんなはずないだろ」
わざと訊いた言葉に、彼は目を細める。そして緩やかに弧を描いた口は、また私に口づけを降らしていく。彼からの溢れんばかりの愛を享受しながら、ぼんやりと考えた。
どんなルキノさんでも好きだという想いは変わらない。けれど、やっぱり普段の彼が一等大切な存在なのだ。ああ、本当に好き。宝石のような“彼”には悪いけれど、私の一番は目の前にいる彼のものなんだから!