Double lovers

「ルキノさん……?」
 
いつもなら私が部屋に入るとすぐに声を掛けてくれていたのに、今日はそれがない。おかしいなと思いつつ、気づいていないだけかもしれないと、私はルキノさんの名を呼んだ。しばらくすると返事が返ってきたが、いつもと少し声色が異なる気がする。もしかして、体調が悪いのだろうか? 何か私に出来ることはないだろうかと、声のする方へ足を進めると、見知らぬ男性がソファに座っていた。

「え、誰?」
「君は……!」

部屋を間違えた? でもそんなはずは…。あれだけ通い慣れているルキノさんの部屋の場所を間違えるはずはないし、何より室内はいつものルキノさんの部屋だ。この部屋で異質なのは、目の前の彼だけ。嫌な予感がする。彼が立ち上がろうとしているのが目に入った瞬間、私は踵を返して弾かれたように動き出した。

「ま、待ちたまえ!」

一直線にドアへと向かう私を、その男性は慌てて追い掛ける。立ち上がった彼は思っていたより背が高かった。背が高いという事は、私に追い付くのは造作でもないということで…ドアに辿り着く前に私は彼に捕まってしまった。手首を掴まれ、鈍い痛みが走る。

「はな、してっ!」
「すまない! 手首は…大丈夫だろうか?」

私の言葉にその男性はパッと手を離す。謝りこちらを気遣う様子に、悪い人ではないのではないかという考えが頭をよぎる。それに知らないはずなのに、どこか彼を信用してもいいという気持ちが湧いてくる。そんな考えを振り払い、気まずそうに頬を掻く彼から少し距離を取り、声を掛けた。しかし、彼の爪…まるでルキノさんみたいだ。

「私は…」
「そこまでだ。彼女が怖がっているだろう」
「ルキノさん!」

目の前の男性が何かを話そうとした瞬間、背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。ルキノさんが戻って来たならもう大丈夫。私はルキノさんの元へ駆け寄った。

「何もされていないか?」
「うん、大丈夫。でも……彼は一体誰なんですか?」
「気にしなくていい」

心配そうに私に声を掛けるルキノさんに、特に何もなかった事を告げる。そして見知らぬ男性の方をチラリと見ながら、彼の正体について問い掛けた。ルキノさんの部屋に居たのだから、客人かもしれない。
きっと教えてくれるだろうという私の予想とは裏腹に、ルキノさんは少し食い気味に必要ないと答えた。むしろ聞いてほしくないと言った声色だ。

「つれないことを言うな、私はルキノだ」
「え?」

どうしようかと考えあぐねていると、目の前の男性が自身の名を告げる。しかしその名前が想像も付かなかったもので、私は口から間抜けな音を出す事となった。

「はあ……人であった頃の私だ。君は此奴の事は気にかけなくていい」
「ルキノさん? は、え?」

そんな私の様子を見てルキノさんはため息一つ、彼が自分自身であると明かしたのだった。人だった頃…? ルキノさんの言っている言葉は分かるが、理解が出来なくて目で訴えると頭を抱えるような仕草をしている。なるほど、ルキノさんもいまいち理解出来ていないと言う事だろうか。
しかし、彼の事は何と呼べばいいのかと悩んでいると、私の考えを見透かしたかのように、ルキノさんが教授と呼べと告げる。その声に人のルキ……教授は僅かに眉をひそめ、私もルキノだと言うのにと溢した。彼には悪いが、教授と呼ばせてもらいますと心の中で呟く。

「やはり、君は私の…」
「っ! ち、近いです!!」
「おい! 離れろ!! 大丈夫か、ナマエ」
「ビックリした…」

決して良い雰囲気とは言い難い紹介が終わり、私の中に帰りたい…という気持ちが湧き出てきた時、はたと気付く。教授が近い。いつの間にか私の顔を覗き込むような教授の行動に、思わず声を上げてしまった。
その声に反応したルキノさんは、勢いよく教授を私から引き離す。その勢いで教授はよろけたようで、バランスを取ろうとしていた。それを見ていると腰に軽い衝撃があり、グイッとルキノさんの元へ引き寄せられた。

「うわ、わ!」
「痛くないかね?」
「驚いただけで…ありがとう」

急な衝撃に声が出た私に、ルキノさんはそれはそれは心配だと言わんばかりの表情でこちらを見つめる。そんなに心配しなくても大丈夫なのに、ルキノさんは時折私の事を壊れやすいガラスか何かと思っている節がある。腰に目を落とすと、ルキノさんの尻尾が巻き付いていた。一度彼の尻尾を撫でると、ゆるりと解け床へと落ちる。
二人でそういったやり取りをしていると、俯いた教授の肩が小刻みに震えているのが目に入った。結構な力で引き離されていたようだし、もしかしてどこか痛いのでは? 大丈夫かと私が声をかける前に、教授が口を開いた。

「狡いじゃないか! 君の恋人という事は、私の恋人でもあるだろう?」
「そんな訳あるか!」

教授の口から飛び出してきた言葉は、予想の遥か斜め上といった内容だった。そんな言葉に間を空けず、ルキノさんが語気強めに否定する。
私の話をしているはずなのに、口を挟めそうな雰囲気ではない。仕方ないので一歩引いたところで二人の口論を観察していたが、やはりルキノさんと教授はどこか似ている。教授がルキノさんと言うのは、ルキノさんなりの冗談かもしれないが親族であるのは間違いないだろう。
二人が話し終えるのを待っていたけれど、一向に終わる気配がない。ここは私が止めないと終わらない。それに、もしかして教授はルキノさんをからかっているんじゃないかという考えが頭を過ぎる。

「あまりルキノさんをからかうのはやめた方が」
「からかう?」
「だって貴方の恋人ってそんな冗談…」
「彼女の言う通りだ」

久しぶりに会えたルキノさんに気分が上がってしまった結果だろうと、私は教授をやんわりと嗜めた。ルキノさんは冗談に対して本気で怒るような人じゃないけれど、ヒートアップしてしまう可能性も否めない。それだけ今のルキノさんは、何というか自然体? いや子供みたいな雰囲気なのだ。
私の言葉にルキノさんは深く頷いた。教授はというと、首を傾げ目をぱちぱちとさせている。てっきり冗談という言葉に乗ってくるかと思ったのに。私も教授と同じく首をひねる事となった。
教授は私の行動にくすりと笑い声を零し、そしてルキノさんの方へと視線を遣る。そしてルキノさんと視線がかち合うと、教授は数歩前に出た。

「恋のライバルが自分だなんて、随分と面白いじゃないか」

まるで睨むような力強い目付きで、ルキノさんを見つめる教授。教授の宣言に、私もルキノさんも固まる。そんな私達の様子を見て、教授は満足そうに大きく頷く。そして再び私に視線を向けた教授は、私に手を伸ばそうとして…ルキノさんに止められた。

「私が許すとでも?」
「私が先に出会っていれば、ナマエの恋人の座は私だったかもしれないだろう」
「…私自身だからと言って、攻撃しない訳じゃないぞ」

すぐに離されたが、それでも少し痛かったようで教授は掴まれた手首を何度か摩った。ルキノさんはそれを鼻で笑い返す。
険悪になる雰囲気、そして何より私の話をしているという状況。恥ずかしいが私のために争わないで! というやつである。何故か蚊帳の外になっているが、私が止めないと最悪な事態になってしまう。教授が傷つくのも勿論、ルキノさんが人を傷つけてしまうのも嫌だ。
私なんかが状況を打破出来るとは思わないけれど、何もしないよりはマシだ。口を開こうとしたその瞬間、教授が纏っていた鋭い空気が溶けた。

「自分自身に凄まれても全く怖くない。だが、怒らすのも本意ではない」
「いい加減帰ってくれたまえ」
「言われなくとも。それじゃあナマエ、これから宜しく頼むよ」
「へ? あ、はい。よろしくお願いします」

憎まれ口を叩きつつ、教授はやれやれといった様子で首を振る。それを受けてか、ルキノさんの雰囲気もだいぶ柔らいだものに変わった。先程まで口論していたとは思えない。嵐が来て一瞬で通り過ぎていったみたいだ。
教授が隣を通り過ぎる際、一瞬身体に力が入ったが、彼の爽やかな声色に気の抜けた声が出る。部屋を出る直前、教授は私の方を見てパチリとウインクをし、ルキノさんに何かを言われる前に足速に去っていった。少しだけ、顔が熱い。

***
教授が部屋を出ていった後、私はソファに座るルキノさんの股座あたりに収まっていた。後ろから軽く抱き締められている。尻尾が時折肌を撫でてくすぐったい。

「君を狙う輩がまさか私とは…まったく最悪だ」
「ルキノさん」
「ん?」
「さっきの本当ですか?」
「私は冗談は言わんよ。まあ、冗談だと思いたいが」

遠い目をするルキノさんへ首だけ動かし顔を向ける。私も疲れたが、ルキノさんはそれ以上に疲れたのかもしれない。何というか積極的な人だったなと、教授の事を思い出しながらルキノさんの方へ身体を預ける。

「へえ…本当にルキノさんなんだ」

そう呟いた瞬間、抱き締めていたルキノさんの力が僅かに強くなった。そして尻尾までもが私の身体に巻き付き、やわやわと緩急をつけて力が込められる。

「ナマエは彼の方が良いか?」
「まさか!」

これは本当に時折見せるルキノさんの嫉妬だ。口に出すと怒られてしまうかもしれないから言わないが、彼が可愛くて仕方がない。思わず小さな笑い声が漏れてしまう。
キュッと一度尻尾が締まり、スルリと解かれた。そしてわざとらしい咳払いが一つ聞こえる。

「元より君が彼が良いと言ったところで、渡すつもりも…逃がすつもりもないが」

そんなに心配しなくても大丈夫、そう呟いた私は立ち上がりルキノさんと向き合う。わずかにルキノさんの目が開かれる。私はルキノさんを見つつ、一つの提案をした。

「疲れたから一緒に甘い物、食べませんか?」

私の言葉に、ルキノさんは目を閉じた。甘い物苦手だったかもしれない。でも、きっと大丈夫。

「ああ、君が食べさせてくれるのなら」

ほらね。
こうしてこの一連の出来事は無事に幕を遂げた。

その後、試合で一緒になった教授が思っていたよりも積極的でドキドキしてしまったり、それにルキノさんが噛み付いていたり…色々あるけれど、それの話はまた次の機会に。