駆け引きの時間

中庭にあるベンチに腰掛け、本を読んでいた。心地の良い風が頬を撫で、柔らかな陽射しはほんのりと身体を温めてくれる。ここで殺伐とした試合が行われていることを忘れてしまいそうだ。

「何故君が此処にいる?」
「あ! ルキノさん久しぶり!」
「久しぶり…昨日試合で会ったばかりだろう」

ぺらりと本を捲った瞬間、後ろから声を掛けられた。振り向くと怪訝そうな表情を浮かべたルキノさんが、こちらを見ていた。尻尾がユラユラと揺れている。
私といえば会いたかった相手に会えた喜びで、思わず震えてしまいそうだ。その思いのまま出した声は、少しばかり大きなものになってしまったが、まあご愛嬌だろう。

「ああ、ナイチンゲールに頼んで入れてもらったの」
「一体どうなっているんだ…」

ルキノさんが聞きたかったのは、何故“ハンター”の館の中庭にいるのかだろう。私の返答に、頭を抱えるように目を閉じたルキノさんに、私は立ち上がりぐいと近づく。

「それで気になりません?」
「それで?」
「何の本を読んでるとかですよ!」

ルキノさんには強気でいく、それは今まで彼と関わってきて学んだことだ。私の問い掛けにルキノさんは首を傾げる。確かに急に気にならないかと訊かれたら困惑すると思う。だけど彼に聞いてほしいが故に、わざわざこの中庭で読んでいたのだ。ここで引いてしまえば、今までの行動の意味がなくなる。

「はあ。どんな本を読んでいるのかね?」
「トカ……爬虫類の生態についての本です!」
「……そうか」

呆れつつも私に質問してくれたルキノさんに、本の内容を告げる。うっかりとトカゲと言いかけた私は何とか言い直したが…駄目だったようだ。
ルキノさんは僅かに後退った。彼のこの反応は引いている。ルキノさんのことだから、興味があるならと説明してくれると思ったけれど、それは甘い考えだった。私は彼が下がった分だけ前に詰める。

「そんな露骨に嫌がらないでよ」
「いや、私にわざわざ告げなくてもいいだろう」
「少しでもルキノさんのこと知りたいなぁって思っただけです!」

そう…別にやましい事なんて何もない。ただ、彼について、関係のある事は少しでも知りたいと思っただけだ。ただの可愛らしい恋心だ。溜息を吐くルキノさんに、流石に距離を詰め過ぎてしまったかと心の中で反省する。ここは大人しく引き下がるのが吉だろう。

「それで、生態知ってどうするつもりだ?」
「どうするって……どうしようもないけど…」

謝って帰ろうと口を開こうとした時、逆にルキノさんが私に問い掛けた。別にルキノさんのことが少しでも知りたいだけで、トカゲの生態を知ることが目的じゃない。それを正直に言ってもいいのだろうか? 悩んだ私が出した答えは、何とも曖昧な言葉だった。

「そんな本を読んだところで、結局は分からない事だらけだろう」
「確かにそうだけど……それでも、知りたいんです」

ルキノさんの声色から呆れているのが伝わってくる。やはりきちんと伝えるべきだった。そう思って出した声も、肝心な言葉が抜けている。ここまで来て、ルキノさんのことが知りたいと直接言えない私は、なんて意気地なしなんだ。

「……それなら、もっと良い方法があると思わないかね?」

しばらく無言の間が続き、本当にどうこの場を納めようかと考えあぐねていると、ようやくルキノさんが口を開いた。彼の言葉にパッと顔を上げる。ルキノさんの目は細められ、口は薄三日月の形を描いていた。彼が言う良い方法とは一体何だろうか。

「私で直接知ればいい。“色々”と、な」

そう言うとルキノさんは自身の胸元に手を当て、スッと下へと撫で下ろす。自信の表れだと思うが、どこか色っぽくて変に意識してしまう。慌てて頭を数回振り、邪念を追い出した。その様子を見ていたルキノさんの肩が揺れている。笑われている…。これ以上恥ずかしい姿を見せないように、背筋を正して彼を見た。

「私は、嬉しいですけど……いいんですか?」
「私がした提案だぞ、いいに決まっている。ただ此処では説明出来ない。知りたくば私の部屋に来てもらう事になるが」

私にとっては願ってもない提案だが、ルキノさんにとってメリットがあるのだろうか。彼は無意味なことはしない主義だと思う。ルキノさんの出した条件も、私にとって魅力的なものだった。ルキノさんが直接教えてくれて、なおかつ部屋にも招待してくれると言うのだ。もしかして、私は夢を見ているのかもしれない。

「うーん……」

本当はすぐにでも行きますと答えたかったが、それはそれではしたないと思われないだろうかと理性が止めに入った。正直今更な気もするが、ルキノさんにはそう思われない。

「私の気が変わらない内に決めたまえ」

気が変わらないうちにって! それは考える猶予なんてないぞ、という言葉に等しいものだった。それになかなか返事をしない私に、ルキノさんは少し苛立っているようだ。彼の足は軽く地面に打ち付けられている。これ以上は待たせられない。それに、私だってこのチャンスを逃したくない。

「わかりました、よろしくお願いします!」
「……」

意を決して答えた私に、ルキノさんは何故か無言だ。もしかして返事を待たせ過ぎた? やっぱり大丈夫ですと言うのも憚れる。とりあえず彼の表情で判断しようと、そっと顔を覗き見た。どうか不快な表情をしていませんように。

「あの、ルキノさん?」
「提案した私が言うのも何だが、君はもっと警戒心ってヤツを持った方がいい」
「警戒心…」

ルキノさんは一瞬眉を顰めるように目を細め、溜息混じりにそう話した。警戒心、確かにハンターの館側に一人で来ている私はそう言われても仕方がない。もちろんルキノさんが言ったのは、それだけを指しているのではないことも分かっている。私だって何も知らない子供ではないのだ。

「いや、だがそれもまた人間であるが故か……? まあ、いいさ。行くぞ」

ぶつぶつと呟くルキノさんは、どうやら一人で納得したらしい。私にそう告げる彼の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。そのルキノさんの様子を見て、私は彼の部屋に行ったらどうなるのか察した。しかし、人は好奇心には逆らえない。それ以前にルキノさんを知りたい私には、選択肢など無きに等しいものだったのだ。
着いてきたまえと足を進めるルキノさんが、振り返りこちらを見据えている。私は覚悟を決め、彼の元へと駆け寄った。


◇◇
ナマエの普段の行動から、私の事を憎からず思っている事は理解していた。本来なら恋沙汰等取るに足らないものだと思っていたし、今も思っている。しかし、いつからか彼女を気にかけていたのもまた事実だ。ナマエという存在が私の中で大きくなっていたのだ。ハンターとしてあるまじき思いを彼女に抱いていた、という事になる。
今回の私の提案は、正直な事を言うとナマエにある種の警告をする為のものであった。ナイチンゲールの許可を得たところで、一人でハンターの館に来る危険性は想像するに容易かった筈だ。いくら彼女が私に興味を持っていたとしても、急に部屋に誘われたら? ナマエの事だ、きっと顔を赤く染めて謝り此処から去るだろう。そして、私を避けてくれればいい…そう思っていた。
だからこそナマエが悩む素振りを見せた際、私の気持ちに気付かない彼女に少し苛立ってしまった。何を悩んでいる? 断って帰ればいいと彼女を急かしてやれば、お願いしますときた。その時点で悩んでいる事が馬鹿馬鹿しくなってしまった。

ナマエを連れて部屋に戻った後、やはり彼女はどこか落ち着かない様子であった。そんな彼女を見て約束通り説明してやり、そして少しだけ危機感を持ってもらおうと、私は彼女の肩にそっと手を伸ばした。手が触れた瞬間、彼女の肩がビクッと跳ねる。やめて、そう一言告げればいい。しかしナマエはただただ身を固くするだけで、私の手を振り払おうともしなかった。

「ナマエ、どういう事か分かるか?」
「……」

私の問いにナマエは答えない。身体が震えているのが分かる。流石に脅し過ぎたかと、私は彼女の肩から手を離そうとした。しかし、離した私の手をナマエが掴む。私は僅かに目を見開いた。

「どうしたんだ?」
「いいですよ」
「何? 君は何を口にしているか分かっているのか?」
「男性の部屋に招かれた意味くらい…理解しています」

驚いた。ナマエは私が思っている程、子供ではなかったのだ。彼女の答えに逆に私が固まる事になった。ナマエは上目遣いでそんな私を見つめる。私の返答を待っていると思うのだが……待ってくれ。思いもよらぬ展開に思考が纏まらない。

「ルキノさんは私でもいいんですか」
「でも?」
「だって…私みたいなちんちくりん…」
「ナマエ、君は何か勘違いしている」
「勘違い?」
「私は何とも思わない女性を部屋に招いたり等しない」

その言葉にナマエは目を丸くする。そして、ぽっと彼女の頬が色付いた。私の思いに気が付いたらしい彼女は、目に見えて狼狽出した。もういいだろう。私自身素直になるべきだ。

「君が言い訳をする前に告げておく。私は君を好ましく思っている、だからこそ部屋に連れてきた」
「わ、私なんかを…」
「ナマエが、いい。君だけでいい」
「……ありがとう。私もルキノさんの事が好きです」
「ああ、知っている」

何だ、自分の思いに従えばこんなにも事は早く進むのか。私はナマエに再び手を伸ばし、彼女を引き寄せた。さて、今からどうしようか。ナマエはどうしたいのかと様子を伺うと、チラチラとベッドの方へ視線を遣っていた。ああ、成る程。しかし、まあ“それ”はまだ後でもいいじゃないか。だが彼女が望むのであれば、応えてやらねばならない。

「ナマエ…君は今からどうしたい?」
「ルキノさんの好きに、してほしい」

ナマエがそう言うのであれば、お望み通り。今から君を堪能させてもらおうか。