Call my name!

少しばかりの用事を終わらせて自室のドアを開けると、中から人の気配がする。私の部屋に勝手に入り込むのは一人しかいないし、私が許していない。彼女はベッドの上に座って何やら考えているようだった。ナマエは元より小さいが、私のベッドで座っているとその小ささがより際立っている。
彼女はベッドの上で小さく身体を揺らしていた。眠いのかと思ったが、どちらかというと何かに唸っているような揺れだ。どうも一人で悩むきらいがあるナマエの事だ。また私がいないのをよしとして悩んでいるじゃないだろうな。
私が帰ってきた事にも気付かない様子のナマエを、驚かさないようにそっと近づく。流石にベッド際まで近づくと私に気付いた様で、しかめっ面から一変花の咲くような顔でおかえりなさい! と笑った。ああ、本当に癒される。そんな彼女に緩みそうになる頬を抑えながら声をかけた。

「浮かない顔をしてどうした。何か悩んでいるのか?」
「ルキノさん……いや、その」
「ん? 言ってみろ、力になれるかもしれないからな」

思っていた通り一人で悩んでいたナマエはバレていないと思っていたのか、私からの言葉に面白いくらい目を泳がせ言い淀んだ。私に悩みを打ち明ける事で負担にでもなると考えているんじゃあないだろうか。私がナマエの悩みを負担とする男だと思われていたなら実に心外だ。私の事なんざ幾らでも頼ればいい。いつも可愛らしく私の名を呼び、奏でるように言葉を運んでくれる彼女は今日は随分と消極的のようだ。

「大した事じゃないんですけど、名前を……」
「名前を?」

幼子へ言い聞かせるようにゆっくりと訊ねた私に、ナマエは少しだけ困ったように笑いポツリと呟く。大した事ではないと言いつつ、それでも口籠るナマエに私はそっと続きを促す。

「えっと、私達恋人……ですよね、それで」

何だ? どれだけ深刻な事かと身構えていた私は、彼女の思わぬ舵の切り方に気が抜ける。いや、ナマエにとっては一人で抱え込む程の悩みなのだ。だが……名前、それに恋人。そこから彼女の悩みを考えてみたが、どうにも一つしか思い浮かばない。

「私ずっとルキノさんって呼んでるから……呼び捨てで呼びたいなって」
「呼べばいいじゃないか」

やはり。一度呼吸を整え覚悟を決め、といったように深く息を吐いたナマエは、緊張からか少し震える声でそう言い切った。概ね私の予想と同じ内容だ。私が思うに名の呼び方なんて重要な事柄ではないが、彼女には意義深い事なのだろう。一世一代の告白だと言わんばかりに頬を染め、おずおずとこちらを上目遣いで見るナマエが可愛くて、無意識に彼女の方へと手が伸びかけていた。いや、まだ駄目だ。彼女の悩みに真摯に向きやってやらねば。

「……察してくださいよ」
「あー……、恥ずかしいのか。無理はしなくていい」

許可を求めているのかと思い好きに呼べと言い放った私に、ナマエは眉を下げ困ったような、どこかむくれたような顔でこちらを見てきた。んん? 何だその表情は……。彼女にその表情をさせた原因を幾らか考え、はたと気付く。彼女のそれは羞恥心からか。確かに時折ナマエが無意識に私の事を呼び捨てにする時、場面が場面であるから正直興奮するが……無理をしてまで呼んでもらおうとは思わない。

「恥ずかしいけど、呼び……たい」
「練習するか? ほら、ル キ ノ 」

私がそうは思っていても、ナマエはどうしても呼びたいらしい。そこまで言うのであれば協力してやろうじゃないか。ゆっくりと自分の名を口にするのは不思議な感覚だが、これで彼女も呼びやすいだろう。ナマエも私の意図を察したのか、意を決した様子で口を開いた。

「ルキノ……さん! ……ルキ、ノさ…ん」
「…………」
「さん付けで呼んだらペナルティで!!」
「そこまでしなくても……いや、待て。そこまで言うのなら分かった」

沈黙が場を支配する。成る程、これはどうにも時間が掛かりそうだ。さて、どうしようか。私が黙って考えているのをナマエは呆れから来るものだと勘違いしたらしい。自ら罰をと口にした彼女は随分と早口だ。一度決めた事を実行しようとするのはナマエらしいが、私に罰を求めるとは。その必要はない、と言いかけ不意に閃く。言い出したのは私ではないし、それくらいいいだろう。まあペナルティをと言ったのだから、流石に彼女の望む結果になるはずだ。

「はい! ペナルティはルキノさんが考えてください!!」
「全く君ってやつは……いきなりペナルティだぞ」
「えっ!? さっきのはなしで!! 待って! ルキノさん!!」
「わざとやってるのか?」

そう思っていたのも束の間、いや次の瞬間には彼女は挑戦に失敗していた。しかもナマエには自覚がなかったようで、笑顔でペナルティを決めてくれと言う。私に罰してほしくてわざとやっているのかと思うほど、綺麗に墓穴を掘っていくナマエ。流石の私もフォローが出来ず、自分の失態に焦る彼女を笑って見る事しか出来なかった。抜けているところも、私にとっては彼女を愛らしく思う要素にしかなり得ない。年甲斐もなく随分と入れ込んでいる自分に一笑する。
ああ、悪い癖が出た。つい考えに没頭し、相手を置き去りにしてしまう。それを……ナマエの前でやってしまうなんて。慌ててナマエに意識を戻すと、彼女は顔を赤らめ潤んだ瞳で此方を見ていた。先程の私の様子に気付いた訳でもなく、彼女は己が失敗をそしてこれから与えられる罰に恥じていたのか。ナマエの熱が籠った視線に、ゾクゾクと言い知れぬ感覚が身体を走る。思わず鳴りそうになる喉をどうにか抑えつつ、その気持ちを悟られぬよう私は呆れているといった表情をわざと貼り付けた。

「違います……でも自分から言ったので、何でもどうぞ」
「そうだな……」
「は? え……?」

結論から言うと我慢出来なかった。好きな女が恥じらいながら、自分を好きにしていいと言っているのだから。据え膳食わぬは男の恥と言うのだろう? ただ私も分別ある大人だ。我慢出来なかったと言っているくせに説得力の欠片もないが。余計な事を言い、肝心の言葉を言えぬ彼女の口を塞ぐ。それが私からナマエへの罰だ。何をされたのか理解出来ずに呆然とする彼女を、尻尾で引き寄せ優しく抱き締める。

「私はナマエが名前を呼んでくれるだけで嬉しいんだ。気にするな、少しずつ慣れていけばいいさ」

そうだ、それでいい。私のような存在に囚われてしまったナマエには申し訳ないが……ずっと愛らしい声で私の名を呼んでくれ。腕の中の彼女の髪にそっと指を通す。どこもかしこも私とは違って柔らかくてそして弱い彼女。ナマエから見たら私は大人で、強い存在に思えるだろう。だが君が思っている程、私は強くないのだ。ナマエを手放すのを想像するだけで、ここに閉じ込めておきたくなる。……私は悪い大人だからな、そんな事は噯にも出さず余裕ぶって笑ってやるのさ。
ナマエは私の腕の中で、どうしてそんなにかっこいいの?と困ったように微笑んだ。私も同じ事が聞きたい、どうしてそんなに可愛いんだ?ただ二人、見つめ合って時間が過ぎる。なんて幸せ、なんて穏やかな時間なんだ。ふっと彼女が顔を上げ、喜色に満ちた表情で音を溢した。

「……好き、ルキノ」
「よく出来ました」

目を閉じるナマエに影を落とす。上手に出来た良い子にはご褒美をあげないといけないだろう? さあ、他にどんなご褒美を上げれば、彼女は喜ぶだろうか。思わず上がっていく口角を隠す事なく、愛らしい彼女に再び口付けた。