共に描くその先

「すみません、誰かいませんか」

ルキノが食堂で喉の潤いを乾かしていた時だった。ガチャリと回るドアノブの音、そして誰かが入ってくる音が聞こえた。一体誰だと悩む間もなく、声を掛けられる。その声にルキノはゆっくりと振り向いた。

「どうした?」
「ルキノさん! お食事中でしたか?」
「大丈夫だとも」

振り向いた先にはルキノの予想通りナマエがいた。彼女は眉を八の字にさせ、申し訳なさそうな表情を浮かべている。声を掛けたはいいものの、私が食事中と勘違いしたのか。ルキノは手に持っていたグラスの中を飲み干して、そっと机に置く。ナマエにさっと机の上を見せ、心配はご無用だと手を広げて笑う。そのルキノの様子を見たナマエの肩がスッと下がった。

「それで随分と深刻そうな声色だが、どうしたのかね?」
「御足労をお願いすることになるんですが…中庭に来ていただけませんか」

ナマエのあまりに仰々しい物言いに、ルキノは目を丸くする。ナマエといえば少し気まずそうに視線を彷徨わせていた。彼女には特別優しく接していたつもりなのだが…ルキノは心の中でそっとため息を吐く。これからはもっと積極的にいくべきかなどと考えつつ、ルキノは畏まらなくても大丈夫だと、出来るだけ柔らかな声でナマエに告げた。


中庭に出た瞬間、室内との光量の差に目を細める。横に立つナマエをチラリと見ると、ナマエも僅かに眉を顰めていた。お揃いだな、そう声を掛ける前に彼女は歩き出してしまった。ほんのりと寂しさを感じつつ、ルキノはゆっくりナマエの後を追う。
ナマエは足を止めて、ついと視線を上げた。そこには大きな木が植えられており、釣られて見上げれば葉間から木漏れ日が射し降りていた。しかし、一体この木に何の用事があるのかと、ルキノはナマエの方へ視線を向ける。するとナマエは木の上の方を指差していた。

「あそこ…見えますか?」
「上に一体何が?」

ルキノがそう問い掛けた時、ニャアと微かな鳴き声が聞こえた。まるでルキノに応えるように、なんともタイミングの良い猫だと内心思う。

「こんな所に珍しいな」
「多分野良猫が迷い込んで…降りれなくなってしまったんだと思うんです」
「降りられないという事はまだ子猫かもしれない」
「ええ、それで…」

ナマエはルキノと話している間も、ずっと子猫がいるらしい場所に視線を向けたままだ。野良で生きているのであれば放っておいても大丈夫だが、彼女がそこまで心配しているのならばと考える。そしてわざわざナマエが人を呼びに来た事を思い出し、ルキノは木の方へ歩いていく。

「あっ、ルキノさん…」
「君が人を探していたのはこの為だろう?」

ルキノの言葉にナマエは頷きつつ、不安げな表情でルキノを見ている。確かに教授という呼び名から、私が木を登れるとは思っていないのかもしれない。これが例えばエリス君だったらどうか? きっと彼女は不安な顔をする事なく、頼んでいただろう。ただの想像でしかないが妬けてしまうなとルキノは独りごちた。だが此処には私しかいない、早くナマエを安心させてやろうと口を開く。

「こう見えてもフィールドワークで木を登る事もある。心配せずとも大丈夫さ」
「気をつけてくださいね」
「ああ」

ルキノはナマエの視線を背に受けながら、木の枝に手を掛けた。そして幹の窪みに足を掛け、グッと力を込め上に登る。登るのは久しぶりだが、これなら何とかなりそうだとルキノは思う。軽やかに上がっていくルキノにナマエは感嘆の声を溢した。

「よし、ほらこっちに…」
「捕まえられそうですか?」
「ああ、なんとか」

子猫がいる高さまで上がったルキノはそっと手を伸ばす。怖がらせないようにゆっくりとした動きだったが、警戒しているようで子猫はなかなかルキノの方へ来ない。待っていても来ないと判断したルキノは、勢いよく腕を伸ばして子猫を掴んだ。急に捕まれた事で子猫は暴れるが、それを何とか抑え込んでルキノは降り始めた。

「ナマエ、受け取れるかね?」
「はい!」

ある程度まで降ったルキノはナマエに声を掛ける。ナマエの返答を聞いたルキノは、子猫をそっと差し出した。ナマエも背伸びをし子猫を受け取ろうとする。

「あっ!」
「……逃げていったな」

子猫はナマエに渡される前に自ら地面に降り立ち、此方を振り返る事もせず慌てて逃げていった。走り去った方を見ていた二人は顔を見合わして笑う。

「まったく…。礼など期待していないが実に薄情な猫だな」
「あはは。でも、ルキノさんありがとうございます!」
「お役に立てたようで何よりだ」

ルキノは木から降り、手を払いながらそう答える。冗談で言っただけで猫に対して何の期待もないが、彼女の役に立てたのであればまあいいだろう。さて帰ろうかとルキノはナマエを見ると、彼女は猫が走り去った方をじっと見つめていた。

「猫は自由でいいですね」
「確かに自由だが…」
「人にも、場所にも囚われず…羨ましいな」

ぽつりとナマエは呟く。ルキノはナマエに手を伸ばそうとして、下ろす。暫く二人の間に沈黙が流れた。ナマエの瞳にはどこか物悲しそうな色が宿っている。此処へ招かれた人は何かしらの思いを持っていると、そうルキノは聞いていた。きっと彼女にもやるべき事があるのだろう。そこまで考え、ルキノは軽く頭を振って再びナマエへ手を伸ばした。

「ナマエ」
「何ですかルキノさん」

軽く肩を叩かれたナマエは、ゆっくりとルキノへと振り向く。光の加減のせいか彼女が泣いているように見えたルキノはキュッと口を結ぶ。何も言わなくなってしまったルキノを、ナマエは不思議そうな面持ちで見ていた。

「此処を出たら、私と一緒に新しい街に行って共に暮らそうか」

ナマエの目が丸くなる。どう声を掛けるのが正解なのかルキノには分からなかったが、ナマエを見ていたら自然と言葉が溢れたのだ。ナマエはルキノからの言葉を咀嚼しているようで、目を瞬かせている。ルキノ自身もスルッと出てしまったものだったため、己の言葉に対して僅かに驚いたが、それでも本心である。ルキノは先程の言葉を否定せず、ただナマエの答えを待った。

「ええ…ルキノさんの気持ちが変わらないのなら、是非」
「一人で行くより、きっと二人の方が楽しいだろう。ありがとうナマエ」
「これからもっと貴方の事を知りたいです。教えてくれますか?」
「勿論。私を知ってくれ、そして…君の事も教えてほしい」

荘園から出るのは難しいと、頭では分かっている。ただ今はナマエとの未来に希望を持ってもいいだろう。ルキノはナマエに微笑みながら、心の中で呟いた。