甘いの誰だ?

彼…いや彼等の部屋の前で私は髪をサッと直してドアをノックする。いつもであればどちらかの声が聞こえてドアが開かれる筈だが、今日は一向にその気配がなかった。
しばらく待っていたが薄暗い廊下はじわじわと私の体温を奪っていくようで、仕方ないと駄目元でドアノブに手を掛ける。すると想像に反して軽い感触でそれは回った。鍵が掛かっていない。わざわざ入り込むような人はいないかもしれないが、随分と不用心だ。そんな事を考えながら、私はそっと部屋へと足を踏み入れた。
部屋に入るとギギッと音を立ててドアが閉まる。それでもこちらに来る様子のない彼に私は頭を捻りつつ、小さく声を掛けながらゆっくりと移動した。本当に今日はどうしたのだろうか。もしかすると不在なのでは? その考えが頭を過った時、どこからか緩やかな風が私の頬を撫でた。その風につられ、そちらへ視線を動かす。

「無咎さん…?」

そこにはこの部屋の主、白黒無常の一人……無咎さんが椅子に身体を預けていた。窓辺に沿うように置かれた椅子は、私より随分と大きい彼の身体も難なく包み込むような大きさだ。窓は開けっぱなしで、そこから心地の良いそよ風が入ってきている。

「勝手に入ってきてごめんなさい。返事がなかったから…」

返事があるまで待っておけ。きっとそのような言葉が飛び出すと思っていたが、無咎さんは口を開くような素振りを見せない。慌てて発せられた私の言い訳は段々と尻すぼみになっていく。
寝ている。無咎さんは椅子にもたれ、規則正しい息を吐き出していた。安らかな…その表現がぴったりな様子だった。彼の胸が浅く上下している。そんな無咎さんを見ていると、私の中の悪戯心が僅かに芽を出す。いつも無咎さんには意地悪な言葉でからかわれているし、何か彼をからかうネタなんて…という馬鹿な考えだ。

「起きないよね?」

誰に問う訳でもなくぽつりと呟く。他に誰もいないのは分かっているがサッと周りを確認し、私は寝ている無咎さんに近づいた。ここまで近付いても起きないという事は、かなり深い眠りについているのだと思う。
無咎さんにゆっくりと手を伸ばす。胸は早鐘を打ち、静かな室内に響いているようで冷や冷やする。無咎さんの顔に手を添えた。彼の体温はやはり冷たくて、触れた瞬間に私の熱を奪っていくようだ。そのまま手を滑らせ、彼の顔の白と黒のをそおっとなぞる。アザかと思ったが手に引っ掛かる感覚はなく、不思議な感じだ。
好き勝手触っても起きる気配のない無咎さんを見て、ほっと胸を撫で下ろした。彼の顔を触っている瞬間に目覚められたらたまったもんじゃない。特にこれといった収穫はないけれど、そろそろ離れようかと思う。しかし最後に一つだけやりたい事があった。私は無咎さんの頭をゆるゆると撫でる。いつもなら絶対に届かない彼の頭、それを撫でる事が出来るなんてちょっぴり嬉しい。随分と満足させてもらったし、今度こそ離れようとした…つもりだった。

「寝込みを襲うつもりか?」
「えっ」

その言葉と共に手首を掴まれ、グイッと無咎さんの元に引っ張られる。言い訳をしようとした私の口は無咎さんに塞がれてしまう。彼の胸元を叩いて抗議したが、まるで効いている様子が微塵もない。角度を変え何度も口付けられ、無咎さんに抵抗する気力は砂のように零れ落ちてしまった。

「っ、は……無咎さん!」
「俺に悪戯をしようとして返り討ちに合うなど、ナマエもまだ甘いな」

好きなだけ私の口内を蹂躙した無咎さんは私の非難の言葉を物ともせず、目を細めてにんまりと笑った。反論しようにも図星で言葉を返せない私に、彼は再び顔を近付ける。口から覗く彼の赤い舌から目が離せない私を誰か責めてくれ。

「だが、ナマエのそんな甘いところが好きだ」

蕩けるような無咎さんの言葉と、先程とは打って変わって触れるような優しい口付けに溶けてしまいそうだ。