独り占めしたい心

「ファンクラブないんですか? 入ります!」
「ないのでやめてください」

平凡な自分にピッタリだとノーマルタイプのポケモンを繰り出して、それでいて負けるつもりはないと告げているような表情に、そして決して平凡だとは言い難い強さで勝利を収めたアオキさんに今まで感じた事のない衝撃を覚えたものだ。
無意識の内に馬鹿な事を口走った私に真顔で言葉を返した彼。それが私とアオキさんの出会いだった。

「わ〜! 今日のバトルもかっこよかったです!」
「はあ、どうも」

挑戦者とのバトルを終えて、軽く肩を回しながらコートから降りてくる。駆け寄りながら称賛の言葉を伝えた私に、アオキさんはチラリと視線を寄越して僅かに頭を下げる。そしてそのままカウンターのいつもの席へと腰を下ろした。一見するとかなりの塩対応だけど、誰に対してもアオキさんはこんな対応なので慣れてしまった。最初は少し悲しかったのは内緒だ。
特に何も言われないのをいい事に隣の席へ座る。いつの間にか宝食堂の常連仲間入りを果たしていた私に、他の常連客も気を遣ってか彼の隣を空けてくれているみたいだった。

「アオキさん、嬉しいのなら素直になりなよ!」
「……」

アオキさんに先程のバトルの感想を熱心に伝えていると、カウンターの中から女将さんの声が飛んできた。別に私が好きで伝えているだけだから!と慌てて女将さんに伝える。アオキさんが私の話を聞いているのか分からない曖昧な反応をしているから言ってくれたとは思うけど、彼にとって面倒な私に好きに喋らせてくれているだけでもありがたい。

「やっぱりアオキさんのバトルが一番好きです」
「……ありがとうございます」

本当に好きに喋って、最後はもう独り言みたいになった私の言葉にアオキさんは小さくお礼を口にする。うん…やっぱり彼は礼儀正しくて、最高のジムリーダーだ。バトル中のアオキさんは勿論、彼の人柄も好きになった一つの理由。ファンクラブ会長としても鼻が高い、なんて存在しない組織を想像してこっそりと笑った。


今日は特に予定もないしのんびりしようと家で寛いでいると『ロトロトロト……』とスマホロトムが主張をし出す。出てみると食堂で知り合った人からで、今からアオキさんがチャンピオンクラスとバトルするという話だ。そんなの聞いてない! 慌てて準備して宝食堂へ向かったけれど、

「間に合っ……てない!!」

着いた時には遅かった。バトルコートにはもう誰も立っていないし、何よりお客さんの騒めきは先程まで行われていたバトルによる冷めきらない興奮の色を帯びていたから。ああ、私も見たかった。

「どうして呼んでくれないんですか! 今日はチャンピオンとのバトルだったんでしょう?」

ギリギリ走っていないような速度で詰め寄った私に、アオキさんは緩慢な動きで振り返る。すると彼の陰に隠れて見えていなかった人物が目に入った。サッと血の気が引いていく。

「ナマエさん……アオイさんが驚いていますよ」
「え、あ…ごめんなさい」

アオイと呼ばれた少女を見る。どこにでもいそうな学生で、でもアオキさんと話しているという事は彼女がチャンピオンクラスなのだろう。どうしよう、急に怖い大人がやって来たと怯えさせていないだろうか。心配で若干挙動不審な調子で謝罪を口にする様子を、彼女は目を丸くさせて見ていた。

「気にしないでください! えっと、私はアオイです……その…」
「アオイちゃん! 挨拶が遅れてごめんなさい。私はナマエです」

僅かに頷いたアオイちゃんは恐る恐るといった様子でこちらを伺う。こんな少女に気を遣わせてどうするの! そう自分に叱咤をし、これ以上印象が悪くならないように笑顔で挨拶を返す。アオイちゃんの強張っていた顔が解れたのを見て、内心胸を撫で下ろした。

「ナマエさんは私たちのバトルが見たかったんですか?」
「ええ、アオキさんのバトル姿に惚れ込んでいるから…」

私の言葉に表情を明るくしたアオイちゃんはアオキさんの方へと向いた。ちなみにアオキさんは先程までのやり取りを感情の見えない表情で見つめていたのだが、少し助け舟を出してくれてもいいのに。そう独り言ちる。

「私、今からもう一戦しても大丈夫です!」

出会ったばかりの私のために再戦の提案をしてくれるなんて……! 見たいと騒ぐだけの私とは大違いだ。

「……正気ですか? 自分は勘弁してほしいんですが」
「駄目ですか? ナマエさんが見たいって……話してて私も見てほしいなあって思うんです」
「アオイちゃん……!」

溜息を吐きつつそう答えるアオキさんは心底面倒臭そうだ。まあ、分かっていたけれど。それでも引き下がらないアオイちゃんに尊敬の念すら湧いてくる。感嘆の声を漏らす私に視線を寄越したアオキさんは、再び溜息を溢した。

「駄目なものは駄目です」
「そうですか…」

一刀両断。これ以上無理強いをするのは流石に申し訳ない。また機会があればと目を伏せた。

「ですが……まあ、別日にアポを取ってくれるなら空けときますよ」
「ありがとうございます!」

アオキさんの言葉にアオイちゃんと声が重なった。大好きなアオキさんと既に好感度がかなり高いアオイちゃんのバトルを見られるなんて、自分は本当に幸運の持ち主だ。早く二人のバトルが見たいなんて上機嫌で帰路に着いた。

***
そして遂にその日、結果を言うとアオイちゃんの勝ち。だけど勝ち負けなんて重要じゃない、そう思えるバトルだった。二人の手持ちへの信頼感が、相手を翻弄させるような戦略が、そしてバトルへの真剣な取り組み姿……どれもが私を高揚させる。誰が見ても楽しそうにバトルをするアオイちゃんは勿論のこと、アオキさんだっていつもより生き生きとしているように見える。これが最高峰のバトルなんだ……!

「す、凄い……」
「勝ちました!」

アオイちゃんがこちらを向いてVサインをする。元気があって可愛いな。彼女に手を振り返してからアオキさんを見ると腰に手を当てて身体を伸ばしていた。その歳には勝てないといった仕草に笑いそうになる。笑うのは失礼だと何とか堪え、バトルコートから降りてくる二人に駆け寄った。

「二人ともお疲れ様です! 本当に凄いバトルで……あの、アオイちゃんもし良かったら色々とお話したくって」
「えっ、私ですか? いいですけど…」 

アオイちゃんはチラリとアオキさんを見る。もしかしたら憧れと言っていたのに、彼に頼まないのを不思議に思ったのかもしれない。アオキさんが引き受けてくれそうにないという事もあったけれど、今回はアオキさんに頼めないのだ。私も彼女みたいに強くなって、本気のアオキさんと戦ってみたい。見ているだけで満足していたのに、随分と大きな夢が出来てしまったものだ。

「ナマエさん、少しいいですか?」
「はい、どうしました?」

アオイちゃんに話しかけようとしたタイミングでアオキさんに呼び止められる。どうしたのだろうかと振り向くと、思っていたより近くにアオキさんが立っていて少しびっくりする。僅かにだけど普段より眉間に皺が寄っているような……。

「……アオイさんお疲れ様でした。彼女の我儘に付き合っていただきありがとうございます」
「は、はい!」
「アオキさん何処へ……。あ、アオイちゃん! 本当にありがとう、またよろしくね」

そう言うとアオキさんはこちらを一瞥し、そのまま歩いて行ってしまう。アオイちゃんに頭を下げて慌てて彼の背中を追った。アオイちゃんにはまた後で連絡しておこう。

店の外へ出ると冷たい外気が肌を刺す。バトル観戦で籠った熱がすぅっと冷えていく。もうそろそろコートを出さないといけないなんて考えながら、何故かこちらを見ずに歩くアオキさんの横へ駆け足気味に並んだ。

「外、少し寒いですね。そういえば…今日のバトルもかっこよかったです! ありがとうございました」

いつもの調子で伝えた言葉にアオキさんからの反応はなかった。少し気まずくて口を閉じる。

「ナマエさん」
「何ですか、アオキさん」

しばらく無言で歩いていたが、アオキさんが不意に立ち止まる。私もつられて立ち止まった。チャンプルタウンの中でもあまり来た事のない場所で、人通りもないこの場所に何か用事でもあるんだろうか。物珍しさに辺りを見渡していると、再び名を呼ばれる。

「ナマエさん。自分のバトルが一番だとおっしゃっていたのに……嘘だったんですか」
「へ」
「今日のバトル、やはり負けた自分よりも彼女の方が格好良かったですか? 終わった後随分と興奮気味に話しかけていましたし」
「え、ちょっと…」

最初は淡々と喋っていたアオキさんだったが段々と語気が強くなっていく。私を見ているはずのアオキさんは、こちらの狼狽えている様子なんて全く目に入っていないようだ。彼の足が何度か地面を叩いていて小さな砂埃が舞った。

「別にいいんです。貴女は強い人がいいんでしょう。これからはアオイさんのファンクラブでも作ったらどうです?」
「アオキさん!」
「……何でしょう」

遂には責めるみたいな口調でそう告げて、顔を逸らしたアオキさんに目が丸くなってしまう。もしかして拗ねている?アオキさんにも子供らしい一面もあるんだ。ちょっとだけ親近感が湧く。ただ、この良くない空気を続けるのは彼も望んでいるわけではないだろう。それにどうやら思い込んでいる部分もあるようだし……私はゆっくりと口を開く。

「ちょっと勘違いしてると思うんです」
「勘違い、ですか」

ぱちり、と瞬きをした。それでも疑うような目付きでこちらを見るアオキさんは納得していないようだ。

「ええ。勿論アオイちゃんの戦い方に憧れとか、そのかっこいいなとは思いますけど……でも私が一番好きなのはアオキさんですよ」
「……しかし、」
「アオイちゃんともっと話をしたかったのは、バトルについて教えてほしくって」

言えるところまで告げる。これ以上は私が恥ずかしくて言えない。チャンピオンクラスにバトルを教えてほしい…それはおかしな事ではないと思う。心の中でそう頷いてアオキさんを見ると顔を顰めている。他にも気になる事が?そう尋ねようとした時だった。

「何故アオイさんなんですか? 自分もそれなりに強いと思いますが」
「えーっと…それは」
「……言えませんか」

何故という問いに思わず言い淀む。その姿が不服だったのか、アオキさんの声が僅かに低くなり、瞳に陰りが帯び出した。深い瞳の色に射抜かれて心臓が音を立て始める。言うまで逃がさないというような鋭い眼差し、それに言葉選びを間違えたら駄目な気がした。

「う、その……私もアオキさんと戦いたい…なって」
「自分と……? 戦った事あるじゃないですか」

言葉に詰まりつつ答える私をアオキさんは疑うような目で見ていた。アオキさんの言う事は尤もで、確かに以前戦った事がある。だけどそれは“ジムリーダーの仕事”としてのバトルだった。私が戦いたいのはさっき見た本気の彼。

「本気のアオキさんとですよ! アオイちゃんと戦っている時のアオキさん…とっても楽しそうだったから」
「それは……」
「今の私じゃアオキさんのそんな表情出せないので、アオイちゃんに特訓つけてもらいたと思ったんです」

腹を括りアオキさんの事をしっかりと見据えて、思いの丈を口にする。恥ずかしいと言って隠したりしていない本当の気持ち。僅かに身動いだ彼の瞳に当惑の色が浮かぶ。やっぱり思いはきちんと伝えなくてはならない、と続けて心の内を吐露した。
言い終えた私に「すみません」と声を掛けたアオキさんは、暫し黙り込み小さな息を溢す。流れるように視線を上げ、再び此方を見据えた。

「自分の勘違いだと言う事は分かりました。ですが、それでもやめてください」
「どうしてですか?」
「……皆まで言わないと分かりませんか?」
「えっ、まあ…はい…」

理由を言っても尚、やめてほしいと告げるアオキさんに困惑する。するりと出た疑問の言葉に肩を竦めたアオキさんは呆れ声で問い掛けた。

「貴女を取られたくない」
「取られ…」
「簡単に言うと、醜い大人の嫉妬です」

此方を捕らえる真剣な眼差しに、心臓がドクリと跳ねる。言葉を復唱する私にアオキさんは自嘲気味に呟いた。嫉妬…嫉妬?その言葉とアオキさんがどうにも結びつかなくて、呆けた様子で彼を見つめた。アオキさんは暫く私のそんな姿を見つめ、フッと雰囲気を和らげる。

「少々喋り過ぎました。冷えるといけないので、帰りましょうか」
「やめます」
「はい?」
「あの、アオイちゃんに教えてもらうの…やめます」
「……はい」

踵を返して歩き出そうとする背中に言葉を投げる。たった一言、それでもアオキさんは足を止めた。此方を振り返った彼は確かめるかのように、私に言葉の続きを促す。

「なので責任を持ってアオキさんが教えてください」
「自分と戦うのに?」
「そうです! ね、いいでしょう?」

アオキさんと戦う為に、アオキさんにバトルの教えを請うなんておかしな話だと思う。しかしこれが私の中での最善解だった。案の定訝しげな表情を浮かべる彼に、先程まで嫉妬だと口にしていた男は誰かと言いたくなって口を噤んだ。

「ええ、分かりました。ナマエさんの頼みなら…喜んで」
「少し照れ臭いですけど、よろしくお願いします」

薄く彩られたアオキさんの表情に擽ったい気持ちになる。美味しそうに食べている時とはまた違った穏やかな笑みだ。アオキさんもこんな風に笑えるんだ。
今度は二人並んでゆっくりと歩く。横目でチラリとアオキさんを見るといつもより顔色が明るく思えた。その表情を作っているのが、先程の話かもしれないと思うと身体が暖かくなってくる。聞いてもいいかもしれない、と思い切って彼へ尋ねる。

「アオキさんいつもより機嫌がいいですね。私からでも頼られると嬉しいですか?」
「ナマエさんだから、です」
「それって……」
「素直に話すのもいいと思いまして。ナマエさん、これからは自分を一番に呼んでください。……それくらいの我儘は許してください」
「は、い」

ファンとしてじゃなくて、一人の男の人としてアオキさんが好きだ。ストンと心に落ちた答えを自覚した途端、自身の心臓が大きな音を立て始める。ぎこちない動きで頷く私をアオキさんはまた見た事のない表情で笑った。もう彼から抜け出せそうにない。