奥底に

「アオキさん、仕事と私どっちが大切?」

隣に座っていた彼女がポツリと呟く。何故またそんな事を訊くのかと彼女を見る。すると目が僅かに細められ、口元には隠し切れない笑みが宿っていた。ああ、きっと誰かに唆されたに違いない。自分がどちらを大切に思っているかだなんて訊くまでもないだろうに。抑え切れない溜息を溢しつつ、早くと急かす彼女に口を開く。

「そんなの決まってます、勿論…」
「勿論?」

期待の眼差しで此方を見る彼女にふと思う。もし仕事と伝えたら彼女はどんな反応をするのだろうか。常々彼女には振り回されっぱなしだ。少しくらいいいのでは、なんて悪戯心が芽を出した。

「……仕事です」
「へ〜……え?」
「確かに日頃愚痴も多いですが、楽しいですよ」
「そう、なんです…か」
「はい」

彼女の驚きの声に心持ち気分が良い。いつもあなたには驚かされていますから、その仕返しです。少しばかり達成感を覚えたが、段々と尻窄みになっていく彼女の声にそろそろネタバラシをしようと視線を遣る。

「ナマエさん…?」
「え、あの、その…」

今まで見た事のないようなしおらしい彼女の姿に動きが止まる。「冗談はよしてください!」と文句の一つや二つ飛んで来ると思っていたのに。目に薄く膜を張り、微かに震える彼女にドクリと胸が鳴った。

「変な質問してごめんなさい……あの、嫌いに…ならないで……」
「……いえ! 謝るのは自分の方です。意地悪をしてしまいました、すみません」
「意地悪?」
「仕事と答えたらどんな反応をするのか気になってしまい……悪趣味でしたね」

涙が溢れる前にと伝えた言葉に、彼女はポカンとした表情で固まる。しかし自分が情けない言い訳を告げていくと、悪かった彼女の顔色も随分と戻ってきたようだった。

「本当に申し訳ありません」
「それって……アオキさんの本心は私の方が大切って事?」
「はい。仕事などと比べる必要もないくらい、あなたが大切です」
「よかっ…たあ。アオキさんにそこまで好かれてないのかな? なんて思っちゃいました」

安心したのか緩い笑みを浮かべる彼女の頭をゆっくり撫でた。すみませんと呟く自分に、彼女は次は許しませんと口を尖らせた。
そんな彼女に頷きながら、再度心の中で謝罪をする。不安げに自分を見つめる彼女が、此方に縋るように震えていた彼女がどうしようもなく愛しいと思ってしまったなんて。自身のはしたない思いに蓋をして、心の奥底へと抑え込んだ。彼女に、気付かれてはならない。