少し肌寒いくらいの温度に設定したエアコンから出てくる風が、急いで部屋を冷やそうと頑張っている。
レースカーテン越し、碧落の空には夏を象徴する一つである、むくむくとした入道雲が浮かんでいるのが見えた。
外から帰ってきたばかりの躰にはまだ盛夏の炎が残っていて、完全に鎮火されるまではもう少しかかるだろう。
内からも冷やそうと冷凍庫から出したアイスクリームは、この前中也さんが買ってきてくれたものだ。いつもはカップアイスにするのだけれど――食べるスピードがゆっくりなため、高確率で溶けたアイスで手を汚してしまうから――どうしても期間限定のこの棒アイスが食べたかった。
テレビをつける気にはなれず、ソファの上で膝をかかえ、意識を平らに均していく。ぬるい空気が冷やされていくのを感じながらアイスを齧った。
ガチャリ、と玄関の開く音がして、眉間に皺を寄せた中也さんが連日の猛暑に辟易している表情で入ってくる。
「美味いか、それ」
「うん、甘すぎなくて美味しい」
「そうか、良かったな」
「中也さんの分も入ってるよ」
「俺はいい。全部手前に買ってきたんだ。つーか、味わいてぇのは判るけどよ、ちんたらしてっと溶けちまうぞ」
「あ、ほんとだ、もう溶けてきてる」
彼とは同じマンションに住んでいるけれど、階が違う。中也さんもシャワーを浴びてきたのだろう、わたし同様に彼の髪もしっとりと水気を含んでいる。
外にいた時間はそこまで長くないのに、黒は熱を吸収しやすいのもあってか、たっぷりと汗をかいてしまった。
「あ、水出しコーヒー作ったんです。良かったらどうぞ」
「これ美味いんだよな。ちょっと貰う、っと悪ィ、電話来た」
リビングから出て廊下で話している彼の声が微かに聞こえる。
強い日差しを浴びて疲労の蓄積した躰が微睡んできた。いけない、まだアイスを食べ終わっていないのに。大惨事は避けなければ彼から叱られる。けれど瞼だけに重力がかかっているかのようで、どうにも重たい。溶けそうな箇所だけでもとりあえず舐めて何度か時間稼ぎをする。
一瞬だけ意識が断絶した。
かくん、と揺れた頭を柔らかく受け止められる。電話を終えた彼がいつの間にか横に腰掛けていた。
「ったく、寝るのか食うのかどっちかにしろ」
「ねむいけど……ちゃんとたべおわりたい……けど、ねむい……」
やれやれ、と彼が肩を竦める。睡魔と戦うわたしからアイスを取り上げようとしないところが優しいなと思う。
「それじゃあ、……目ェ覚まさせるしかねぇな」
ぽけ、とした目で彼を見やれば、その口許がゆるやかに笑みを象る。そうして薄く開かれた唇からはちらりと犬歯が覗いた。
「……? え、ち、ちゅうやさ、!」
溶けたアイスが白い道を描きながらわたしの指を伝っていた。それをあろうことか、彼が舌で掬い取ったのだ。
雲ひとつない空を凝縮してまあるくしたような、青いビー玉を彷彿とさせる二対の目が甘やかな眩暈を誘引する。
「っ、ん、……は、」
「……」
彼の舌が這ったあと、ごく軽い力で犬歯が突き立てられる。皮膚に食い込む歯の感触、緩急のついた舌の湿った動き、ちゅう、と指先を吸われるたび、躰の奥で熱が燻り出してしまいそうになる。
夏の日差しと彼の目の光は同じ『ぎらぎら』だ。
「ぁ、う……く、くすぐったい……!」
「擽ったい、ねぇ。どうだ、目は覚めたかよ? せっかくシャワー浴びたんだろうに、危うく大惨事になるとこだったじゃねぇか」
「さ、覚めました……! それはもうばっちりと!」
逃げないようにと掴まれていた手首が解放され、そこに未だ巻き付く彼の体温が部屋との温度差によって際立つ。
残りのアイスを普段の倍のスピードで食べ終えれば、彼はやっと視線を逸らして立ち上がった。
「手洗ってこい。寝るならソファじゃなくて、ちゃんと|寝台《ベッド》で寝ろよ」
「……はぁい。中也さんは? 一緒にお昼寝しないの?」
「俺は構わねぇが……手前がゆっくり休めねぇと思うぜ?」
「そ、れは、ちょっとこまります、ね……」
「冗談だ、って云ってやれねぇのが、俺も困ってンだ。しっかり休めよ、まだもう一件仕事が残ってたろ?」
拒絶しているわけではないけれど、今の自分の疲労度を鑑みると手を広げて大歓迎というわけでもなく。それを把握してくれているんだろう彼は、わたしが微妙な反応をしても特に気にした様子はない。
けれど、折角二人でいるのだからこのまま爆睡して起きて、それぞれがさぁ仕事! と余韻なく別れるのも寂しかった。
手を伸ばして彼の手を掴む。先程されたように指先へ唇を寄せれば、彼が息を詰めた気配がした。
「じゃあ、一回だけ|接吻《キス》、してください。そうしたらちゃんと寝台で寝るので……」
「……手前は、どうしてこう……はぁ」
「な、なんですか」
「自ら据え膳になりに行ってどうすンだよ」
「え?」
「しかも"一回"だけ、って回数もきっちり指定してきやがる。自制が効くようにってか? ぽやぽやしてそうに見えて、意外と俺の手綱握ってやがんだよなァ、手前は」
その目にはもうぎらつきはないけれど、乱れた光はまだある。徐々に照明を落としていくみたいにして、その乱れもだんだんと凪いでいく。
抑えられた感情が唇を通して伝わってくる。
とけゆく夏を閉じ込めるような接吻。
カーテンに陽が落ちていて、ところどころが白く焦がされているように見えた。互いを繋ぐ銀糸がとろりとほどける。
一回だけ、って云ったのはなにも彼のストッパーを外さないようにするためだけじゃない。
わたしだって、こう見えて我慢しているのだ。
彼の加速度的な熱にすぐ酩酊して、際限なく欲してしまうから。